第五五話 満月の夜
クリスタルの輝きが静まり、辺りは徐々に暗くなり始めた。
リビア外周には、急遽設置された数多くの篝火が辺りを明るく照らし出す。
さらに、バルバトスの諫言により、緊急クエストの内容も変更され、リビアを囲むように土嚢がうず高く積まれ、防衛網が敷かれている。
防衛網設営に尽力したカッパー、シルバークラスの冒険者たちは息も絶え絶え。今はリビア内に避難し、運命の時間まで身体を休めている。
そんな彼らを甲斐甲斐しく世話をするのは、商人たちだ。彼ら商人たちも、この緊急事態に駆り出されているのである。どうやら商人組合による指示なのだそうだ。そうシャロンが教えてくれた。
そして俺たちは、リビア近郊お草原地帯に集まっていた。勿論、他のゴールドクラスの冒険者もだ。
「さて、もう間もなく日の入りを迎える」
静かに語り出すのは、インクウェルに今現在たった一人しかいないミスリルクラス――バルバトスだ。集まった冒険者をゆっくりと眺めていく。
「皆も知っている通り、今日は満月。迷宮が変遷を迎える日だ。この日だけは、何人たりとも迷宮へ立ち入ることは禁止されている。それは、過去にある事件があったからだ」
ある事件。それは満月の日に迷宮に残った商人たちの凄惨な末路の事。
「未だ確かな原因は解明されていない。組合が全面禁止にしたからな。まぁ、それは仕方がないことだと思う。あまりにも危険すぎるからな。組合も馬鹿じゃねぇ。人の命の重さをちゃんと理解しているからこそ、それ以降の調査はしていないんだ」
淡々と語るバルバトス。誰もが静かに耳を傾けていた。
「組合さえ二の足を踏んだ。そんな危険すぎる満月の夜、俺たちは何者かによって迷宮内に閉じ込まれてしまった」
未だワープゲートを破壊し、上層下層へ続く通路を塞いだ犯人は見つかっていない。
「ワープゲートは完全にぶっ壊され、通路も謎の崩落。数多くの奴らが尽力していたが、復旧は間に合っていない。完全に俺たちは閉じ込められた」
現状を再認識させられ、誰もが暗い表情で俯く。すると、静まり返った冒険者たちの耳に届く、楽しげな笑い声が。皆が顔を上げると、バルバトスが楽しげに笑っていた。
「ハハ。笑えるねぇ。そうだろ? お前ら」
戸惑う冒険者たち。そんな彼らにバルバトスは、ニヤリと笑みを浮かべ続ける。
「組合さえ二の足を踏んだ満月の夜だ。もし、こんな最悪な状況を乗り切ったなら、俺たちは英雄だ。俺たちは冒険者。未知なるものに立ち向かう大馬鹿どもだ」
バルバトスの力強い、そして心を掴む熱い言葉が、冒険者に浸透していく。
「やってやろうじゃねぇか! 満月の夜を乗り切って、俺たちは生きて迷宮を脱出する! その暁には、俺たちは英雄だ! てめぇら、気張りやがれ! 必ず生き残るぞ!」
咆える様に叫ぶバルバトス。その熱意を受け取って、冒険者たちは戦意を漲らせ、叫ぶ。
その様子を見て、ニヤリと笑ったバルバトスは、皆に背を向け、俺たちの元へ。
「ハハ、どうだ? 皆、大馬鹿どもだろ? だが、俺は嫌いじゃねぇ。冒険者ってのは大馬鹿者じゃねぇとな」
楽しげに笑みを浮かべるバルバトスに対し、シャロンはハァとため息をついて、肩を竦める。
「私としては、暑苦しいのはあんまり好きじゃないんだけど」
「ハハ、しょぼくれて暗いよりはマシだろうよ」
「まぁそうなんだけど……」
疲れ切った表情を見せるシャロン。俺たちの方へ振り返ると、優しく微笑み掛ける。
「さぁ、私たちも移動しましょうか」
「はいっ!」
元気よく返事をしたのは、陽だ。それに満足そうに頷くと、シャロンと共に指定された場所へと移動する。
「おい、坊主。死ぬんじゃねぇぞ」
バルバトスとすれ違う際、彼は俺にそう言ってきた。
「そのお言葉、そっくりそのまま返しますよ」
俺がそう言い返すと、バルバトスは少し驚いた表情を見せた後、ニヤリと笑った。
俺たちが指定された場所へ着くと、丁度、日の入りだったのか、クリスタルの輝きは完全に消え去り、夜の帳が降ろされたところだった。
「さぁって、これから踏ん張りどころよ。皆、気合入れて」
シャロンが一人一人とみて、明るく言った。
「シャロンさん、本当に魔物の襲撃があると思いますか?」
そう質問したのはソフィだ。するとシャロンは……。
「ん~それは私には判らないわね。魔物の襲撃があると言っていたのは、バルバトスだし。もしかしたら、変遷に巻き込まれて、気付かぬ内に、皆死んでいるかもしれないし」
「えぇ!?」
その答えに、驚くソフィ。いや、ソフィだけじゃなく、他の皆も同様に驚いていた。
「そうなったらそうなったで、仕方がないって諦めるしかないわ。私たちは冒険者なんだもん。いつ理不尽な事で命を散らしてしまうか判らない稼業だしね」
まぁ確かに冒険者という稼業は、常に死と隣り合わせだ。いつ魔物に蹂躙されるかもしれないし、不幸な事で命を落とすか判らない。
「いつでも覚悟はしておかないといけない。冒険者になるっていうことはそういうことなのよ。まぁ貴方たちルーキーに、覚悟を持てって言っても、簡単に持てるものではないけどね」
明るく言うシャロンだが、皆の表情は暗い。
「まぁそんなに心配しなくても大丈夫よ。まだ私たちは天に見放されたってわけじゃないし」
いや、そうは言うけど、今の状況は充分に天に見放されたってことじゃないのか?
そう思って、シャロンを見上げると、彼女は真剣な表情を浮かべ、上を見上げていた。
シャロンが見詰める先――天井に生えるクリスタル。昨日見た星空のような輝きは鳴りを潜め、まるで月明りを投影するかのように、淡く輝いていた。
そして……。
「来るわよっ!」
シャロンが鋭く言った。その瞬間、地面が激しく揺れる。
「あわわっ!?」
激しい揺れに、転びそうになるせつなを支える。
「ご、ごめんなさい……先輩……」
ポッと頬を染めるせつな。だが、俺はそれに構っている余裕は無かった。
天井から伸びるクリスタル。淡い輝きが先端へと集まっていくと、まるで水滴が滴り落ちるかのように、集まった光が落下していく。
落下した光の雫は、地面に衝突すると、形を変え――。
「ハハ、なるほどね。そういった感じで来るわけね」
シャロンが呟く。シャロンの視線の先には、揺らめく光が。いや、形取る光は、徐々に光量を抑え――そして、魔物へと形を変える。
「あ、あれはシルバーエイプ!?」
叫んだのは陽だ。現れたのは、六階層で散々痛い目を受けた魔物――シルバーエイプだった。
「ええ、そのようね。でも、あれ一体って訳じゃないみたいよ」
シャロンは答えながらも天井を見詰めていた。そこにはまるで豪雨の様に降る光の雨が。
次々と落下した光の雫は、その語りを魔物へと変化させていく。
シルバーエイプ、ヴァンプバット、ブラントビーンズ……。
俺たちが出会った魔物から、未知なる魔物まで、その数は数えきれない。
「数百……ではきかないわね。数千……いや、今なお降り注いでいるみたいだし。あはは、多分これは、日の出までずっと続くと見た方がいいわね」
「そ、そんなぁ!?」
雨の様に降り注ぐ光の雫。あの光の元は月の光だろう。なら、シャロンが言っていることは、あながち外れているという訳ではなさそうだ。
「「「オオォォォオオオオ!」」」
近くで怒号じみた声が聞こえて来る。見れば多くの冒険者が現れた魔物へと突撃していくところだった。
「あのバカ……」
シャロンが思わず、そう呟いた。まぁその気持ちも分からなくもない。何せ、突撃していく冒険者たちの先頭を行くのが、あのバルバトスだからだ。
今やバルバトスは、冒険者たちの大将。先陣を切っていい存在じゃない。
「あのバカは放っといて、私たちも戦うわよ!」
シャロンが振り向き、力強く言った。
俺たちが生き残る為には、大量の魔物を倒すしか道は残されていない。
神妙に頷く俺たち。シャロンを先頭に、俺たちは魔物の大群へと突撃していく。
こうして、長い長い夜が始まったのだった。
◇
「こんにゃろ~!」
陽が大剣を振り、魔物を一刀両断すれば……。
「シッ!」
ソフィが陽を狙う魔物を的確に切り捨てていく。
陽とソフィのコンビネーションは格別だ。互いが互いを信じ、確実に魔物を駆逐していく。
だが、如何せん魔物の数が多い。流石のソフィでも対応しきれなくなる。
雪崩のように襲い掛かって来る魔物に苦戦を強いられるソフィ。だが、そんなソフィを救うのは、せつなだ。
「〈ライトアロー〉!」
光の矢が飛翔し、ソフィの背後から襲ってきていた魔物を仕留める。
「ありがとうございます! セツナさん!」
「陽さん、ソフィちゃん、あまり突出し過ぎないで下さいっ!」
普段とは違い、せつなが叫ぶように諫める。
「ごめん、せっちゃん!」
即座に後退してくる陽とソフィ。うん、こっちは問題なさそうだな。ちゃんと的確に処理して行っている。
そして、もう一人の前衛を任されたユニウスだが……。
「フッ!」
短く呼気を放ちながら、剣を閃かせ、確実に魔物を仕留めていっているようだ。
流石だ。先程、連携を確かめた時に少しユニウスの剣術を拝見したが、太刀筋も綺麗で、優雅な剣筋で驚いたものだ。まさに王道といった感じだ。
そして、もう一人。ユニウスとコンビを組むマルクだが、彼女も相当の手練れ。短刀を閃かせ、正確に急所を穿っている。更に、ナイフを投げ放ち、ユニウスが手に負えなくなる前に、先んじて手を打っていた。
「う~ん、流石ね。ルーキーとは思えないわ」
俺の隣で腕を組んで、戦闘を行っている皆を見守っているシャロンが、そんな感想を漏らしていた。
「シャロンさんは、参戦しなくていいんですか?」
そう俺が訊くと、シャロンはニコッと微笑む。
「それは言わなくても、貴方には判っているのではなくて? リュウヤが彼女たちに任せているのも同じ理由でしょう?」
あ~なんだかやりにくいな……。
「悪くない判断だとは思うけど、貴方がそんなに考えて動く必要はないわよ? 私たちに任せてくれても大丈夫なんだし」
「いや、まぁ少し慎重な性格なんで」
「ふふ、まぁそういうところが、バルバトスの目に引っ掛かったんだろうけど」
そう納得するシャロン。そう言えば、先陣を切っていたバルバトスは、と見やれば……。
「バルバトスさんも、いつの間にか下がっていますね」
大量の魔物を蹴散らした後、バルバトスは後ろに下がり、戦況を見守っているようだった。
「そりゃあね。あいつも判っているのよ。これが前哨戦だってね」
そう。シャロンが言うように、これは前哨戦だ。確かに大量の魔物が襲ってくるのは脅威だが、正直、肩透かし感が否めない。
今なお、新たな魔物が出現しているが、日の入りまで、この状況がこのまま続くだけとは到底思えないのだ。
シャロンも、バルバトスもそう感じているからこそ、今はまだ体力を温存しているのだ。そして、俺も……。
「でも、そろそろ代わってあげないといけないかしら。あの子たちも、少しは体力を温存して貰わないといけないしね」
「おぉ、シャロンさんの魔法がやっと見れるんですね」
連携のすり合わせの際にも、シャロンは特に加わることはなく、彼女の力量は確認できていない。まぁどれくらいソフィたちが使えるのか、確認する意味合いもあっただろうし。
ゴールドクラスの冒険者。その力量はどれ程のものなのか、やっぱり気になるところだ。
「何言っているのよ、リュウヤ。貴方も戦うのよ」
「え? 俺もですか?」
「当り前じゃない。ゴールドクラスの先輩が戦うのよ? ルーキーが控えたままなんて許されるわけないわ」
「いや、俺、そもそも冒険者じゃないし」
そうだ。俺はそもそも冒険者じゃない。いや、冒険者になりたかったんだけれど、俺の正体がそれを許してくれないんだよ……。身バレは絶対にあってはならないことだし。
そう俺が言うと、シャロンが目を見開いて驚く。
「え? リュウヤ、貴方って冒険者じゃないの?」
「ええ、冒険者登録はしていませんよ」
「冒険者じゃないのに、迷宮に潜るなんて、貴方バカなの?」
おいおい……馬鹿扱いは酷くねぇか?
「いやまぁ、俺は冒険者登録はしていませんけど、あいつらが冒険者だし、付き添っているって感じですよ。ほら、ポーターみたいな役割なんです。俺、この迷宮に来てからは戦ってませんし、あいつらが倒した魔物から魔石を採取するだけでしたしね」
「ポーターねぇ……。ポーターが火魔法を使えるなんて話聞いたことがないけど?」
何だかシャロンの目が胡散臭い物を見るかのような、そんな目をしている。
「まぁ色々とあるんですよ」
そう誤魔化した俺だったが、シャロンは……。
「ふ~ん、色々とねぇ……。あ、もしかして!」
あっと声を上げるシャロン。まさか俺の正体に気付いた?
シャロンは俺の耳元に顔を近付けると、そっと囁く。
「貴方って、どこかの王子とか?」
ズコッ……何だよそれ。どんだけシャロンの頭の中はお花畑なんだよ。
ワクワクした顔のシャロンを見ていると、まぁ勘違いしてくれているんだし、そういう事にしていてもいいんじゃないかと考えを改める俺。
「まぁ詳しくは言えませんが……」
言葉を濁すと、シャロンは「やっぱり……なら玉の輿も……」とブツブツと呟き始めていた。あ~……失敗したかもしれない。
「と、とにかく、彼女たちを休ませるんでしょ? 俺は何をしたらいいです?」
自分の世界に飛び立ったシャロンを現実へと引き戻す。ハッとしたシャロンは、少し気まずそうに言った。
「え、ええ。そうだったわね。リュウヤ……様? でいいのかしら」
「いや、止めて下さい。普通でお願いします」
うん。勘違いしているだけなんだ、シャロン……。
「そ、そう? なら、いつも通りに。じゃあ、リュウヤは火魔法を全体に放ってくれないかしら。私が風魔法で威力を増強させるわ」
ふむ、なるほど。確かに火魔法と風魔法は相性が良い。俺も火魔法を強化させようと、風魔法を組み込んだこともあるしな。
「皆! 少し下がってくれ! 魔法をぶっ放すから!」
前線で戦うソフィたちに叫びかける。ソフィたちはお互いに視線を交差させると、即座に後退してきた。その様子を見て、ユニウスとマルクも下がって来る。
後退するソフィたちを逃がすまいと大量の魔物が追い掛ける。
俺はバンッと地面に両手を叩きつけると、魔法を発動させた。
「〈火焔〉ッ!」
一条の炎が大地を疾走していく。後退するソフィたちの間を通り抜け、迫り来る大量の魔物の元へ。
激突する直前で、迸る炎は左右に別れ――。
――ゴォウッ! と燃え上がった。広範囲に燃え上がる炎は、魔物たちの行く手を阻む。
突如として出現した炎の障害に、先頭を行く魔物は忽ち慌てふためき、留まろうとするが……。
「GYAaaaa~ッ!」
後背の魔物に押され、燃え滾る炎の中へ。悲痛なる絶叫と共に、肉が焼ける嫌なにおいが辺りに立ち込めていく。
「ほほぉ~、中々やるわね。私も負けてられないわね」
シャロンが感心したかのように言うと、いつの間にか取り出した短杖を振るう。
「〈ウィンドベルト〉ッ!」
高らかに奏でるは、広域風魔法。振るわれた短杖から突風が巻き起こった。
瞬間、激しさを増す〈火焔〉。轟々と燃え滾り、その威力も規模も増大させ、周囲の魔物たちを飲み込んでいく。
魔物たちの悲鳴が聞こえて来る。灼熱の炎に焼かれ、その身体を燃やし尽くしていく。
「すごい……」
そう呟いたのはせつなだ。烈火の如く燃え滾る炎の壁に目を瞠っている。
確かにすごい……。俺の〈火焔〉を打ち消すことなく、絶妙なコントロールで威力を倍加させてしまった。繊細な魔法技術に、類稀なるセンス。これがゴールドクラス……。
横目でシャロンを見れば、せつなの呟きが聞こえていたのか、無い胸を張り、とても得意げな表情を浮かべていた。
「ふふ~ん。いい感じね。この調子なら暫くは炎に阻まれて、後陣の魔物たちもこっちには来られないでしょうね」
今や炎の壁は、高さ四メートル、横幅に至っては三〇メートル以上だ。周囲の温度は急激に上がり、近付くだけでその熱にやられてしまうだろう。
「やっぱりすごいですね。流石ゴールドクラスの冒険者だ」
俺は膝に付いた土埃を払いながら立ち上がる。
「なぁ~に? おだてても、お金しかないわよ、私」
いや……そんなことばっかしているから、婚期を逃しているんじゃ……。男運壊滅だろうしな……。
「とにかく、貴方たちは少し休みなさい。持続型の魔法を放ったから、しばらくは大丈夫よ。貴方たちはずっと戦ってばかりいたしね」
そうだ。魔物が出現してから、ソフィたちは前線で激しい戦闘をずっと行っていた。二時間くらいかな? ここいらで少しは休養を取った方がいい。まだまだ夜は長いし。
「でも、いいんですか? シャロンさん。あの炎の壁を迂回して、他の方たちの方へ、魔物が流れてしまっていますけど」
ソフィが申し訳なさそうに訊いてきた。見れば、確かに迂回して魔物たちが攻め始めている。
「あぁ、それは大丈夫よ。貴方たち以外は、全員ゴールドクラス以上で固めたしね。あいつらなら一日中戦い続けても問題はないわ」
「でも……」
それでも他人に負担を押し付けてしまっているのが、ソフィにとって心苦しいものなのだろう。
そんなソフィにシャロンは優しく声を掛ける。
「そんな顔しない。貴方たちはよくやってくれているわ。ルーキーなのに、こんな大規模戦闘に巻き込まれちゃって……それでも必死に戦っていたのは、私がちゃんと見ていた。ううん、私以外にもちゃんと見てくれているわ」
シャロンはすっと横を向き、遠くを見た。その視線の先には、後方で指揮を執るバルバトスの姿が。
「おい、てめぇら! ルーキーが魅せたんだ! おめぇらも、気合入れて掛かりやがれ!」
「「「オオォォォ!」」」
檄を飛ばすバルバトス。それに呼応する様に声を張り上げる冒険者たち。皆、ルーキーなんぞに負けて堪るかと戦意を滾らせている。
「ほらね? だからソフィがそんなに心配する必要は無いわ。というより、貴方たちが活躍し過ぎちゃうと、あいつらの立つ瀬がないしね」
苦笑しながら言うシャロンに、ソフィは「判りました」と素直に頷いた。
「うん、聞き分けが良い子は、私好きよ。それじゃあ、貴方たちは体力回復に専念しなさい。あ、そうそう。本部に食事が用意されているから、少し食べて来なさい」
「いやいや、シャロンさんっ。今ご飯なんて食べちゃうと、あたしたち、満腹になって動けなくなっちゃうよっ」
こんな非常事態の中でも陽は相変わらず明るい。それが皆にいい影響を与えているのは確かだ。
「ふふ。なら、早く行って、少しでも早く消化しなさい」
「はぁ~い。わっかりましたぁ~!」
おどけて敬礼する陽。
「そんじゃあ、お言葉に甘えて、あたしたちは少し休憩させて頂きますねっ。皆、行こっか」
陽が先導して皆を連れて行く。と、二、三歩、歩いた所で陽が振り返った。
「あれ? りゅうちゃんは行かないの?」
「あぁ、俺はあれを見とかなくちゃいけないしな。それに俺はそんなに働いて無いしね。皆が休んでいる時くらい、頑張らさせてもらうよ」
にこやかにそう答えると、陽は探る様な視線を俺に向けた。が、直ぐに元のにこやかな表情に戻る。
「うん、判ったっ。なら、りゅうちゃん、任せたよっ」
俺に元気よくそう言って陽は、シャロンに頭を下げてから、リビアに向かった。他の皆も同じように、挨拶をしてから陽に付いていく。
陽たちがある程度離れた所で、シャロンが唐突に口を開いた。
「優しいのね、貴方って」
「ハハ、そこお言葉、そっくりそのままお返ししますよ」
シャロン亜h少し驚いた表情を見せた後、眦を下げた。
「ホント、貴方って面白い子だわ」
そう一言言った後、シャロンの表情が引き締まる。そして、真剣な眼差しを天井のクリスタルに向けた。
先程までは、クリスタルから次々と魔物が生れ落ちていたが、今やそれは止まり、クリスタルの輝きが強くなっている。その輝きは不吉な程青白く、否応にも無く不安にさせるものだった。
「……来るわね」
シャロンが呟いた。その瞬間――。
――バリンッ! と響く破砕音。それは天井のクリスタルから。
不気味な青白い光を放っていたクリスタルが、突如として砕け散り、まるで雪の様に降り注いでいく。その光景はとても幻想的だった。
だけれど、そんな風に思えたのはごくごく一瞬だけ。
砕け散ったクリスタルの奥から生えて来る巨大な何か……。
「あれは……腕?」
黒く不気味なその巨大な何かは腕の様に俺には見えた。
「そんな!? こんな事って!?」
シャロンが悲鳴じみた驚嘆を零す。いつも冷静でかつ余裕を持った振る舞いをしていたシャロンが、信じられないとばかりに目を瞠っていた。
「シャロンさんは、アレに心当たりが?」
「え、ええ。私の見立てが正しければアレは――」
天井を突き破るかのように蠢く巨大な隻腕。天井を破壊しながら、徐々にその姿を現していく。
「――ヘカトン……迷宮の番人にして、最奥に棲まうと言われている伝説級の化け物よ」
そう説明するシャロンの声は震えていた。いや、その震えは声だけじゃなく、その華奢な身体さえも。
黒い肌に、黒い髪。ぐらりと、力なく項垂れるかのように巨大な頭部が現れ――。
「GUWWWwAAaaaa!」
大地を、空間を、全てを圧倒する大叫声。
……ヤバイ……これは……マジでヤバい……。
身体の芯から這い上がる凄まじい恐怖。手足が震え、竦み上がる。
――満月の夜。迷宮が変遷を迎える日。閉じ込められた俺たちの前に立ちはだかるは、迷宮の番人――ヘカトン。
尋常ならざる存在感。圧倒的な恐怖。
俺たちは、本当の意味での満月の夜の恐ろしさを知る事になる……。