第五二話 おイタはほどほどに
息を殺して……忍び足。心臓が痛いくらいに高鳴り、変な汗が出て来る。
「この先ですよ」
小声で話すのは、先を行くユニウスだ。暗闇の中、彼の後を俺は慎重に慎重を喫して、追っていく。
着いたのは泉のほとりにある岩場だ。ササッと、岩影に身を潜めたユニウスの隣へ。
「ここは泉の中で唯一岩場になっていて、遮蔽物が多いんですよ。ここなら視線も遮られて、沐浴も気軽にできるポイントです」
声を殺して説明するユニウスの顔は、まるで悪戯っ子のような顔をしていた。
「マルクに指示して、ここで沐浴をするように言い付けました。今頃、彼女たちは……」
ゴクリと喉が鳴る。この岩の先には、沐浴する美少女たちが……。
まだ見ぬ桃源郷に、心臓が張り裂けそうだ。ドクンドクンと早鐘の様になる心音が、外に漏れているのではないかと不安になる程に。
ユニウスに唆されて、付いてきたは良いものの、やはり罪悪感が。
「やっぱり、こんなことはよくな――」
「しっ! 静かにっ!」
やっぱり戻ろうと提案しようとした時、ユニウスが口許に人差し指を当てて、静かにするようにとジェスチャーをした。ハッとして即座に口をつむぐ俺。
すると、聞こえて来る楽しげな声が。
「うぅ~やっぱりヒナタさん、すっごく大きいです。羨ましい……」
「ん~大きくてもそんなにいい事ってないよっ。肩凝って仕方がないしさっ」
「持つ者の……余裕……」
「ちょっと、せっちゃん!? せっちゃんだって、良い物もってるじゃんかっ」
微かに聞こえて来る妖しげな会話。ふむ……陽、せつな、ソフィの順なのか……。
「マルクさんもナイスバディですし……わたしだけ……はぁ……」
「そうだよねっ。マルクさんって意外と着痩せするタイプみたいだし」
「……サラシで抑えつけてますので。戦闘には邪魔なだけです」
「これが勝者の……余裕……」
「もうっ! せっちゃんっ! キミも相当大きいんだから、そう僻まないのっ! そんなこと言ってばかりだと……こうしちゃうっ!」
「ひやぁっ!? ひ、陽さん、や、止めて下さいっ!」
「げへへ~、よいではないかぁ~」
おい、陽……完全にお前中年オヤジになってるぞ。というか……ちょっと羨ま――ごほん。
激しく沸き立つ水音。楽しげな美少女たちの会話。
この岩の向こう側で繰り広げられる艶やかな光景が、思わず脳裡に再現されてしまう。
と、トントンと俺の肩を叩くユニウス。顔を寄せ、耳打ちしてくる。
「では、リュウヤくん。先にどうぞ。あそこからなら、彼女たちに見つかる心配もないですよ」
悪魔の囁きだ。だけれど、当の本人はニッコリと微笑み、まるで博愛の男神のようであった。
「い、いいのか? ユニウス」
「ええ、お先にどうぞ」
緊張で声が震える俺に対し、ユニウスはなんとも堂々としていた。なんだか、男として負けた様な錯覚に、俺は意を決する。
ここまでお膳立てしてもらって、挑戦しないなんて選択肢はない。男なら夢を追って、挑戦するべきだ。
よく判らない言い訳をしながら、俺は慎重に岩を登っていく。
「どうやったら、わたしも皆さんの様に大きくなりますか?」
「ん~あたしは特に何かやった覚えはないんだけれど……確か、大きくする体操とか有った気が――」
「そ、それはどんな体操なんですか!? 教えてくださいっ!」
「ふぃ、フィーちゃん!? ちょっといくらなんでもがっつき過ぎだよっ!」
バチャバチャと激しい水音が聞こえて来る。ソフィが陽を追い掛けているのか……全裸で……。
想像が妄想を呼び、岩を登る手に力が入る。俺は……俺は……いくぞ! まだ見ぬ桃源郷にっ!
岩の天辺に手を掛けた。俺はゴクリと生唾を飲み込み、そして……グイッと身体を持ち上げた!
眼を見開き、しかと見詰める桃源――郷……? あれ? 何も見えない?
視界は真っ暗。そこに視える筈の美少女たちの艶姿は見えない。一体どういうことだ?
突然の事に動揺する俺。そして、気付いた。
「……モモか?」
俺の眼を塞ぐ柔らかな感触。事もあろう事か、なんとモモが触手を仮面の内側に滑り込ませ、俺の眼を塞いでいるではないか!
「モモ……離せよっ! 俺は……俺は……見たいんだっ! 男なら誰しも夢見る桃源郷を!」
切実にモモに訴えかけるが、モモはぷるぷると震え、必死に俺を悪の道に進まないよう留めている。
ここまで来たんだ。たとえユニウスに唆されてしまったとしても、成し遂げなければ男が廃るッ!
俺は何とかモモを引き剥がせないか、必死にもがき続ける。
「放せって、モモ! いい加減、怒るぞっ!」
「(プルプル)」
モモの妨害は凄まじい。それでも諦めきれない俺は、必死に抵抗を続け……そして、足を踏み外してしまう。
「やべっ!?」
暗闇の中、突如訪れる浮遊感に、決して出してはいけない大きな声が口が漏れ出す。そして、ドシンと地面に尻を強打する俺。
大きな落下音が響き、岩の向こう側から、激しく誰何する声が。
「だ、誰っ!? そこに誰かいるのっ!?」
その声は陽だ。鋭い声音と共に、徐々に近付いてくる水音。
未だ視界をモモに塞がれてしまっている俺は、逃げようにも逃げる事が出来ない!
万事休す。俺の異世界生活が終わってしまう……。絶望とまだ見ぬ制裁に恐れおののくことしか出来ない……。
アドルフ……今そっちに行くからな……。
諦観の境地に至った俺はアドルフの姿を思い出す。そのアドルフはニヤニヤとしながら、俺を手招いている……。
だが、俺はまだ天に見放されてはいなかったようだ。
「あ、驚かせてすみません。僕です、ユニウスですっ!」
ユニウス……?
「え!? ゆ、ユニウスさん!?」
「はいっ! 不謹慎だとは判っていたんですけれど、マルクに少し聞きたいことがあって」
咄嗟の言い訳をするユニウス。俺はただこの言い訳が通じる事だけを必死に願い続けた。
「ユニウスさ――ん、いかがなさいましたかっ?」
バシャッと弾ける水音。マルクが勢いよく立ち上がったのだろう。
「あ~と……」
お、おい!? ユニウス!? そこで口籠ってはいけない! な、何とか続けるんだっ!
「何か問題でも起こりましたか? すぐにそちらへ向かいます」
バシャバシャと水を掻き分ける音が近付いてくる。このままじゃ、マルクがこっちに来てしまう……。
「い、いや、慌てる必要はないよ、マルク。ただ……あ、そうそう。テントのペグが一つ付けられていなかったんだ。予備がどこにあるのかが、聞きたくて」
よし、いいぞ、ユニウス。その調子だ。
「ペグ……ですか? しかし、私が確認した際には、しっかりと留められていましたが……」
マルクの怪訝な声が聞こえる。どうやらこちらに来ることは止めたようだが……。
「い、いやさっき僕が確認した時には、一つ外れていたんだ。だから予備を探しているんだけれど」
「そうでしたか。申し訳ありません。直ぐにそちらへ――」
「いや、マルクもここの所頑張ってくれていたし、少しはゆっくりとしてほしい。それに他の皆さんと親交を深めることも大切だ」
おぉ~、咄嗟の言い訳にしては、よく口が回っているぞ、ユニウス。その調子だ。
「しかし……ユニウスさ――んのお手を煩わせる訳には……」
それでも渋るマルク。いいから、お前は黙ってユニウスに従ってくれよ、頼むから……。
「マルク、僕の言う事が訊けないのか?」
温厚なユニウスにしては鋭い声音だった。すると、マルクは……。
「申し訳ありません。予備のペグは、私の鞄の中にありますので」
「うん。ありがとう。kちらでやっておくから、マルクはゆっくりしなさい。他の皆さんもごゆっくりどうぞ。お騒がせしてすみませんでした」
ユニウスがそう言って締め括った。はぁ~……何とか皆にバレずに済んだ……まだ俺の異世界生活は終わらないみたい。アドルフ……済まんな。
「リュウヤくん、今の内に戻りましょう」
ユニウスがそう耳打ちしてきた。と、同時にモモの妨害も無くなり、視界が戻る。
俺たちは逃げる様にその場を後にした。
「ユニウス、助かったよ」
俺はユニウスに礼を告げる。本当にユニウスの機転のおかげで難を凌げた。マジ、感謝しかない。
「いえいえ、元はと言えば、僕が原因ですしね」
あははと苦笑するユニウスは、どこまでもイケメンだった。
焚火の番をしながら暫し待つ。すると、沐浴を終えた女性陣が戻って来た。
マルクが即座にユニウスの元に駆け寄ると、サッと綺麗な所作で頭を下げる。
「申し訳ありませんでした、ユニウスさーーん。私の確認不足により、お手を煩わせてしまい……」
「いや、気にしないでくれ。大したことじゃないし」
そういうユニウスはやっぱりイケメンだ。こんなイケメンが覗きをしようなんて言い出すなんて、誰も思わないだろう。ということはつまり、俺の罪も無いという訳だ。
ホッと胸を撫で下ろしていると、ちょんちょんと俺の肩を突く者が。
「せつな? どうした?」
振り返れば、濡れた髪が少し色っぽいせつなが。口許に手を当て、俺の耳に近付けると……。
「先輩……おイタはほどほどに……」
あはは……バレてらぁ……。
◇
翌日。俺たちは軽めの朝食を摂った後、もう一度リビアに向かう事に。
本日は満月。月に一度の迷宮が変遷を迎える日だ。この日はどの冒険者も迷宮に新たに入ることは禁じられている。これは冒険者組合の規定にもそう記載されており、完全封鎖される。
ただ、すでに迷宮内にいる場合もある。今の俺たちのように。そう言った場合は、必ず昼までに迷宮を脱出しなければならない規定となっている。
とは言っても、帰りは大体の冒険者がワープゲートを使用するので、地上に戻るのにそれ程時間は掛からない。俺たちがのんびりとリビア近郊で一泊したのもワープゲートの存在があるからだ。
しかし……。
「何だか騒がしいですね」
リビアに到着した俺たちが見たのは、慌てふためく冒険者たちの姿だった。
「何か……あったのかな……」
せつなが不安そうにキュッと杖を握り締める。
「間違いなく何か怒ったのでしょうね。とにかく情報を仕入れないと」
ユニウスも普段の柔和な表情は鳴りを潜め、険しい表情だ。近くを通った冒険者に直ぐに事情を聞き出している。
俺たちはユニウスが戻って来るのを暫く待つ。冒険者と話しているユニウスの表情が一層厳しいものとなった。
「あまりいい状況ではないようですね」
ソフィの獣耳がピクピクと動いている。多分、ユニウスの会話を聞いているのだろう。
ユニウスが戻って来ると、暗い表情で仕入れた情報を俺たちに共有してくれた。
「今、冒険者の方にお話を伺ったのですが……どうやらかなり大問題が発生しているようです」
「大問題?」
俺が訊き返すと、ユニウスはハァとため息を吐き出してから続ける。
「何でもワープゲートが何者かによって破壊されているようで……」
「え? じゃあ、ワープゲートで地上に戻ることが出来ないってことですか?」
陽が目を見開いき、驚きながら訊き返すと、ユニウスは神妙に頷いた。
「そのようですね……今魔術に長けている人たちが修復しているそうですが……夜までに間に合うかどうか、未知数といった感じらしいです」
「ワープゲートって直せるものなのか?」
「それはちょっと僕には判りません」
まぁそうだよな。ユニウスは未だカッパー冒険者だ。ルーキーもルーキー。ワープゲートが修復可能かなんて判る筈もない。
とにかく俺たちは、その何者かに破壊されたというワープゲートに向かった。
ワープゲート付近には、数多くの冒険者が押し寄せ、混沌としていた。
「おいおい、まじでワープゲートが壊れちまっているよ」
「一体誰がこんなことを……」
「つか、ヤバくねぇか? 今日の夜は満月だろ?」
「このままじゃ私たち……」
不安な声を上げる冒険者の数々。誰もがこの異常事態を想定していなかったようだ。
「野次馬が多くて、ここからじゃあ見えないな。陽、見えるか?」
多くの冒険者が押し寄せており、ここからではワープゲートが見えない。パーティーの中で一番背の高い陽が、覗き込もうと必死に爪先立ちになっているが……。
「ん~ダメ。人が多くて見えないよ」
一番背が高いと言っても、陽は女の子だ。屈強な者が多い冒険者の人垣の先までは見渡せないようだ。
「僕も流石に見えませんね」
陽よりも背の高いユニウスも見えないようで、首を振っている。
「あっ! いい事思い付いたっ!」
あっと声を上げる陽。すると、突然俺の脇に両手を差し込み、俺を持ち上げた。
「ひ、陽!?」
驚く俺を無視して、陽は俺を自分の肩の上に。所謂肩車だ。
「これなら見えるんじゃない? どう? りゅうちゃん」
下から陽が訊いてくる。まぁ確かに見えなくないことも無いけれど……何だか男として、少し癪だ……。
手を翳して見やると、遠くにワープゲートが確認できた。特徴的な四体の銅像は、見る影もなく粉々に破壊され、重要な術式は、地面ごと砕かれていた。
「酷いな……あれじゃあ修復なんて出来っこないだろ」
怒号を上げ、魔術師たちが必死に修復作業に勤しんでいるが……あと半日での修復は不可能に近い。
「リュウヤさんがそう言うのなら……無理そうですね」
ソフィが険しい表情で呟く。その呟きに、ユニウスが反応した。
「ん? リュウヤくんって魔術に長けているのかい?」
「あ……えっと……」
ソフィがしまったというような顔で、俺を見やる。
仕方がない、ユニウスには昨日助けられた借りがあるし、そこまで秘密にしないといけない事でもないしな。
俺は陽の上から降りながら、ユニウスに説明する。
「俺はアドルフに魔術を教えてもらって――」
「アドルフ? アドルフってまさかあの〝炎帝〟ですか!?」
眼を見開いて驚きを露にするユニウスに、俺はうんと頷き掛ける。
「まさかリュウヤくんが、あの〝炎帝〟に魔術を教示されていたとは……」
ユニウスの反応を見て、少し失敗したかなと思った。異世界人の俺としては、そこまでアドルフが有名だとは知らなかった。アドルフと関係があったことは、これからはあまり口にしない方がいいだろう。
「それでアドルフ様は今どこに?」
興奮を隠せないようで、ユニウスは俺に迫った。
「いや、それが俺には判らないんだ。いつの間にか居なくなってて……」
とにかく俺ははぐらかすことにした。ソフィにも目で合図しておく。ソフィはうんと小さく頷いた。
「そうですか……できれば、かの英雄のご尊顔を拝みたかったのですが……」
落胆するユニウス。どうやらかなりのアドルフファンらしい。済まない、ユニウス……もうその願いは一生叶うことは無いんだ……。
「まぁそれは仕方がない事ですし、諦めましょう。それで、そのアドルフ様から魔術を教示され、リュウヤくんは魔術に長けているのですね。そのリュウヤくんの見立てでは……」
「今日中の修復は無理だと思う。原型も判らない程に術式が破壊されているんだ。修復を待つより、今から直ぐに上層を目指して進んだ方がいい」
「そうですか……なら、善は急げですね。直ぐに上層に向けて出発しましょう」
「今から六人で進めば、夜までには辛うじて地上に帰還できるはず。まぁかなり急ぐことになるけれど」
今まではソフィたちに任せていたけれど、問題が問題だ。俺が戦線に加われば格段にスピードアップできるはずだ。
まだ脱出の手段が残されていると判り、皆ホッと安堵していた。
だが……悪い出来事は立て続けに起こるものだ。
「お前さんらの希望を砕くようで悪いんだが、そいつは出来ねぇぜ」
俺の前にいた冒険者が振り返ってそう言ってきた。
筋骨隆々な巨躯。古傷の数々に、漂う歴戦の猛者のオーラ。只者ではないと判る圧倒的な存在感に思わず身を反らしてしまう俺たち。
「あぁ、悪い。別に盗み聞きするつもりは無かったんだがよ」
その冒険者は苦笑を浮かべながらぼりぼりと頭を掻く。その胸元には輝くミスリルのプレートが揺れていた。
「俺はバルバトスってもんだ。よろしく頼むぜ、ルーキー」
ニカッと豪快な笑みを浮かべる冒険者――バルバトス。
「えっと……バルバトスさん、上層に向かうことが出来ないってどういうことですか?」
陽が恐る恐るバルバトスに訊く。
「あぁ、そいつはな……どうやら一〇階層に続く通路が、謎の崩落しててよぉ、通れないんだわ」
あっけからんと言い切ったバルバトス。まるで大した問題はないかのような口ぶりだ。
「謎って……」
思わず呟く俺。それにバルバトスは……。
「まぁ十中八九、このワープゲートを潰した奴の仕業だろうな」
ガハハと笑うバルバトス。いや、笑い事じゃないんだけれど……。
「じゃあ上層を攻略して地上に戻ることが出来ないってことですか!?」
ソフィが慌てて確認する様にバルバトスに訊き返すと、彼は事も無くうむと頷いた。
「そんなぁ……」
悲嘆に暮れるソフィ。せつなも陽も血の気が失ったかのように蒼褪めていた。
すると、慌てて駆け寄って来る冒険者が。バルバトスに駆け寄ると、サッと耳打ちする。
「なるほど……」
神妙に頷いたバルバトスは、何やらその冒険者に指示すると、俺たちに振り返った。
「もう一つ悪い知らせだ。どうやら上層に続く通路だけではなく、下層に続く通路もやられちまっているようだ」
上層の通路だけではなく、下層に続く通路までも? ということは……。
「まぁ俺たちはここに閉じ込まれちまったってことだな」
変遷を迎える満月の日。最も危険と称されるその日に、俺たちは一一階層に閉じ込められてしまったのだった。




