44.続いていく時間
空気は日を追うごとに次第に冷たさを増してくる。
王都より北にあるファルネーゼ領は、北部のエノテラ街道周辺では雪が積もることもある。
(――王都とはまた違う冷え方ね)
目が覚めるとぶるっと一瞬身体が震える。
王都の気候とまた違った寒さが身体を冷たさが肌を撫で、空も少し薄暗い。
「この季節の空気って、なんだか刺すように冷えるんです。そろそろ暖炉の薪を用意しないと」
私の身支度をしながら、エルミラが呟く。
「ファルネーゼ領は寒暖差が激しいんですよ。でも、私は冬が一番好きです」
「薪の用意……私も手伝ってもいい?」
エルミラが目を丸くする。
「――アリーチェ様らしいというか、なんというか……」
私はくすくすと笑いながら答える。
「自分がこんなに誰かの役に立てるのが、嬉しくて!」
「それなら、今日は動きやすい衣装にしましょう!」
エルミラとこうやって笑いながら朝の支度をするのも、私の日常になっていた。
自分が、かつて実家の屋敷で生き延びるため身につけた技術が、誰かの役に立てる。
これは私にとって何より心が躍ることだった。
廊下をエルミラとふたりで歩いていると、ビセンテさんが通りかかる。
そしてふっと呟く。
「アリーチェ様もすっかり明るくなられて。――エルミラ、しっかりお守りしなさい」
「おじいちゃんこそ、無理しないでよね! ……おじいちゃんが元気になって嬉しいのは私たちも一緒だよ」
「そうですよ。ビセンテさん。最近お元気そうで嬉しいです」
私たちの言葉に、ビセンテさんが微笑む。
そうやって言葉を交わせること。いつもの屋敷の空気がとてもあたたかい。
ビセンテさんの体調が回復するにつれ、フリオさんも安堵のやわらかい表情を浮かべている。
あの日から、ふっと解けた空気に包まれた屋敷は、何かに守られているように穏やかな時を刻む。
「アリーチェ、またどこかへ出かけるのか?」
ふとアウレリオ様が私に声をかける。
「エルミラと薪の準備のお手伝いをしに行ってきます!」
彼は少し頭を抱え、声を落とす。しかし、口元は少し緩んでいる。
「――エルミラ、アリーチェを少しは止めてくれ……楽しそうな顔を見られて、俺は嬉しいが……」
「アリーチェ様を止めるのは無理だと思います。なんだかとても楽しそうですから!」
裏庭に行くと、薪が山のように集められている。
「お、奥方様……こちらを、どうされるのですか?」
薪を運んできた男性がおそるおそる私に尋ねる。
「これを、区域ごとに仕分けて運びます。……私も手伝います」
男性は目を丸くし、私を見つめる。
「あ……ありがとう……ございます……!」
ずしりと重い薪の束を、少しずつ運ぶ。これも、実家の屋敷で慣れている。
どこから置いて振り分けていけば効率がいいか、経験と勘で皮肉なことに動けるのだ。
本来は領主夫人の仕事ではないのだろう……しかし、動いていなければ気がすまない。
(あの家での生活が、役に立つなんて思ってもなかったけれど)
この屋敷に、この町に少しでも私は恩を返していきたい。
そのためにできることは――なんでもやりたい。
その心が私をこれからも突き動かしていくのだろう。
昼食の時間、食堂に入るとぽつりとアウレリオ様が声を落とす。
「――アリーチェ、たまにはふたりでお茶でも飲まないか?」
ちょっと拗ねたような表情の彼に、私の頬がゆるむ。
「では、午後はふたりで過ごしましょう――あなたの部屋で」
「ああ。そうしよう」
パチパチと暖炉の中で薪が燃え、ほわっとした暖かさの彼の部屋。
ふと窓の外を見ると、少し雪がちらちらと降りはじめていた。
「雪……ですね」
「屋敷のあたりで雪が降るのは……久しぶりだ」
淹れられたお茶を片手に、ふたりで言葉を交わす。
しんとした空気にふたつの目線が交わり――ふっと溶けあっていく。
私にとって、やっぱりこの人の隣が帰る場所なのだ、と改めて感じる。
「あの日からずいぶん、長い時間が経ったような――そんな気がします」
「俺たちが出会った日から、まだ1年も経っていないのにな」
「それでも、あなたの隣が……私の帰る場所です」
「そうだな。俺の帰る場所も――アリーチェの隣だ」
互いに微笑み合い、左手の甲を胸に掲げる。
翡翠と琥珀、それぞれがあしらわれた揃いの指輪が、そこには変わらずあった。
私を、突然強く抱き寄せる彼は、少し瞳が揺れている。
「今日だけは、アリーチェをひとり占めさせてくれ」
私は静かに頷く。
「アリーチェが心の底から笑ってくれるようになって俺は嬉しい。でも――」
暖炉の火が音を立てて揺らめきながら、私たちを暖かく照らす。
ゆっくり彼が近づき、唇が重なる。
何度も確かめ合うように。だんだんそれは深くなっていき、私の身体から力がふっと抜ける。
私も彼の頬や背に触れるように、手を回す。
彼の琥珀色の瞳の奥が、絡め取られるような、情念の色に染まる。
「今日は、私にもアウレリオ様をひとり占めさせてください」
頬を緩め、私は彼の視線に応える。
外の雪は次第に強く降り始め、うっすらとつもり始めた。
暖炉の揺れるこの部屋は、彼に包まれてあたたかい。
冬が過ぎれば、春が来る。
新しい何かが、芽吹く音とともに。




