31.瞳はもう隠さない
次の日の朝、私はアウレリオ様の腕の中で、彼の温もりを感じていた。
そして、彼の髪にそっと触れる。
(あなたに出会えたから、ここまで来られた。あの日、あなたが私を見つけ出してくれたから――)
もし、あの日――彼がいなければ、私の世界は灰色のままだった。
そして――あの人たちの策の中で蝕まれていただろう。
私は温もりと現在の幸せで胸が一杯になっていた。
突然、私の背に回された手が動き、私を抱きしめる。
「お……起きてたんですか?」
「あまりに――アリーチェが幸せそうだから、寝たフリをしていた」
ふっと彼が私を見て微笑む。
「……幸せだから、いいんですよ。これからも――」
「アリーチェがどこでも前を向いて歩けるように、俺自身の過去のために、そして――歪んだものを照らすため、俺は王城へ行き、終わらせる」
「……ええ」
準備が整ったと連絡があったのは、それから少しあとだった。
おそらく、全てが明るみに出れば宰相はよくて幽閉、最悪、極刑もありうる。もちろん、あの人も。
考えがよぎっても――私の身は、震えずに静かだった。
母がどうなってもいいと思う私は、冷たい娘だと――ふとよぎる。それでも、首を振る。
「……不安か?」
彼が、ふと私に呟く。
「……不安が消えたわけじゃありません。でも――私は、もう大丈夫です。あなたと、この場所にいられるのなら」
彼の目をまっすぐに見据え、答える。
馬車に乗る彼とフリオさんの背を、静かに見送る。
胸が軋み、ちくっとした痛みが走り、私は胸の前で手を握った。
「――アリーチェ、行ってくる。信じて、待っていてくれ」
「ええ。アウレリオ様……お気をつけて」
カタカタと走り出す馬車が見えなくなるまで私はずっと見つめていた。
屋敷に戻り、広間でふぅ、と息をつく。
そして、私は、前を真っ直ぐ見る。――もう、瞳は隠さない。
「――エルミラ、この屋敷もアウレリオ様不在の間に何があるかわかりません。守りを……固めましょう」
彼がいない間、私は留守を守るものとしてやるべきことがある。
控えていたエルミラが、深く頷く。
「宰相が何か仕組んでいるかもしれません。外のものは――できるだけ入れないように、皆に伝えます!」
「お願い。私はビセンテさんと話してきます」
屋敷の中の空気が張り詰める。しんとした静けさの中、燭台の灯りだけが廊下を照らす。
私は、ビセンテさんのもとへ歩みを進める。しかしその足取りは、いつもより重い。
離れに向かう廊下は、見張りが増えている。おそらく、アウレリオ様かビセンテさんの指示だろう。
「――アリーチェ様、屋敷の周辺で不審な気配がいたします。離れまでお供します」
見張りのひとりが声を潜めて告げた。私は頷く。
渡り廊下と、そこから見える中庭もいつものあたたかさはなく、さらに空気が重さを増している。
ビセンテさんの部屋に入ると、彼はぽつりと重い声を落とす。
「……あの日の空気と同じです。おそらく、宰相側が感づき動き始めたのでしょう」
重い足取りで、彼はゆっくりと窓辺に行き、中庭を見つめる。
時々痛むのか顔を歪めるが、その視線は鋭い。
「宰相がこちらへ攻め込むのが先か、ご主人様が全てを明らかにし、終わらせるのが先か――時間がありません」
護衛の見張りの方を向き、指示を出す。
「正面だけでなく、全ての入口を厳重に! 不審な動きが見られたら、すぐ報告をあげるように!」
護衛は「承知いたしました!」と深く一礼し、部屋の外に出る。
そして、ビセンテさんは私の方を改めて見る。
「アリーチェ様、すべてが終わるまで離れにも来てはなりません。私はこんな身体ですが、家令として、命を賭して――ここを守ります」
私は首を振る。
「ビセンテさんも――離れではなく、屋敷にお越しください。誰かひとりに任せるなんて――できません」
私は続ける。
「誰かが犠牲になる――それが、私は嫌なんです。新しいお部屋を用意します。ビセンテさんのお力は、まだこの屋敷に必要なんです! たとえ何があっても、私が守ります」
「ですが――あの日の傷がもとで、私の身体は思うように動きません。また、目の前で主を喪うことが……怖いのです」
ビセンテさんの視線が、沈む。
「あの日、主も、妻も守れず喪った――家令としての私は終わった……そう思いました」
静かに続けるビセンテさんの内心を思うと、締め付けられそうになった。私が言葉を続けられずにいると、エルミラの声がした。
「……おじいちゃん、皆まだ、おじいちゃんの力が必要なんだよ。フリオさんも……おじいちゃんのようにはなれないって、ボヤいてる。まだ、家令ビセンテ・シフエンテスは引退できないんじゃない?」
ビセンテさんが、力なく笑う。
「――アリーチェ様が来られてから、この屋敷も変わりました。私の知識がまだお役に立てるなんて、思いませんでした」
「では、来てくれますね? 屋敷に」
彼の目の奥に、光が灯る。
「できることは致しましょう。フリオも不在の今、家令として」
エルミラに支えられながら、ビセンテさんは屋敷に向かう。
屋敷に入ったところで、アマラさんが目を丸くしている。
「――お父さん、身体はどうしたのですか!?」
「屋敷がまた狙われるかもしれない時に、どうこう言っている場合では……ない。クロエを喪った時のようには、したくはないのだ」
皆で頷きあう。
私も、瞳を隠さず――前を見た。
「アウレリオ様が戻るまで――皆で守りましょう。この屋敷を」
お読みいただきありがとうございます。
これで第五章終了です。
次回、第六章突入。
王城に到着したアウレリオは全てを明らかにして決着をつけ、断罪する――!
下の☆評価などお寄せいただけると、執筆の励みになります!




