24.あの日の痕跡
あの襲撃から五年が経ち、平常を取り戻した屋敷の中にも、あの日の悲しみと傷跡はところどころに残っていた。
壁紙に残った僅かな血痕や、金属が擦れた痕。それらはうっすらと現在にも存在し、物語る。
アウレリオは、あの日のことを思い出しながら、ひとつひとつ、それらを見、屋敷を歩いていた。
彼の脳裏には、広間で息絶えていた家族の姿が浮かぶ。
そして、離れへの道で倒れていたビセンテ。
ビセンテを見つけた時、屋敷の裏から聞こえた金属音が耳をかすめた。
もう少し帰宅が早ければ家族を守れたのか、それとも家族もろとも殺されていたのか――。
次々と浮かぶ考えに、彼はわずかに苦笑した。
宰相が手を打つことを考えて、屋敷に届く手紙や贈り物はむやみに触れぬよう伝えた。
アリーチェを狙ってくる前に証拠を掴む。それが彼を動かしていた。
(屋敷の裏に、何か残ってはいないだろうか?)
あの日、屋敷の裏で退散する途中だったのか金属の音がしていた。
隅まで探せば……何かあるかもしれない。
彼の直感が、そう訴えていた。
屋敷の裏は、人影もなく昼間でも薄暗いままでしんとしていた。
ここだけ、五年前から時が止まったような錯覚さえ覚える、不気味な静けさに彼は少しだけ身震いする。
襲撃者の気配が今でもここに残っているような禍々しい空気が、そこには残っていた。
彼は、思わず腰の剣の柄に手をかけ、歩く。
それでも、それでも、しんとしたまま――風だけが吹き抜けていく。
隅の方を歩いている時、木陰に錆びた金属のようなものを見つけた。何かの紋様が彫られている。
(もしや――あの時、襲撃者が残していったものか?)
彼はそれを手に取り、静かに布に包んだ。
アリーチェはあれからずっと図書室で何かを手繰り寄せるように調べている。
彼は、思わず声をかけようとするが、躊躇う。
(今は、言わないでおこう――揃うまでは)
「ご主人様……?」
エルミラがこそっと声をかける。
彼女のまとめ上げられた黒髪と瞳が揺れている。
「どうした?」
「……アリーチェ様が最近、様子が変なのです。お食事もあまり摂られず――図書室にずっとおられるのです。あまり、お休みにもなられていないご様子で……」
アリーチェの顔色は、確かに優れない。目にはクマができている。
まるで――初めて会った日のような、やつれた表情を思い出す。
彼は、アリーチェの方へ静かに歩み寄り、声をかける。
「――アリーチェ、あまり根を詰めないほうがいい。……せめて、食べて、休んでくれ」
顔を上げた彼女の翡翠の瞳が揺れ、掠れた声をあげる。
「……大丈夫です。アウレリオ様こそ、顔色が悪いです……休んでください」
彼女の返答に、「思っていることは互いに同じか」とふっと笑う。
「とりあえず、食事にしよう。お互い」
「……はい!」
彼女の頬が安堵の色を含んだようにやわらぐ。
食堂の方へ向かうと、厨房の中からアルヴィンの声がする。
「ご主人様も、アリーチェ様もちゃんと食べてください。作りがいがないじゃないですか!」
いつもの調子だが、その声は真剣に心配している。そう伝えていた。
食堂で椅子に腰を下ろすと、侍女長のアマラが声をかける。
「エルミラから聞きました。おふたりとも根を詰めすぎです。――屋敷の者も頼ってください。そして、食事と睡眠なくては民は守れませんよ」
アマラの声に、かつてのクロエの声が重なる。そういえばクロエに年々似てきている、と思った。
彼はふっと何かがほどけたように笑みをこぼす。
――そうだ、アリーチェも、屋敷の者も、ここにいる。
久々に、あたたかい空気が屋敷に戻る。
そして、全てを明らかにし、守るのだと――改めて胸に誓う。
この屋敷も――ファルネーゼ領の民も、そして何よりアリーチェも。このあたたかさを守るのだと。
彼は胸元に入れた先ほどの布が入った場所に手を当てる。
(食事が終わったら、アリーチェを連れてビセンテの所に行こう。フリオとエルミラも集めて)
屋敷の裏で拾った紋様の入った錆びた装飾品。おそらく皆の情報を集めれば、繋がるだろう――全てが。
久々にまともに食事を摂るふたりを、アルヴィンがほっとしたように見つめる。
アマラとエルミラは肩をすくめ、困ったような笑みを浮かべていた。
アウレリオは、そんな周囲を見渡し、頷く。
食事の後、静けさが戻った食堂から図書室に行こうとするアリーチェを呼び止める。
「アリーチェ、ビセンテの所に行こう――エルミラ、フリオを呼んできてくれ」
「――承知しました! 呼んできますね!」
エルミラがパタパタと走り去る。
アリーチェが、彼の目を見つめ、首をかしげる。
「アウレリオ様……何か、わかったのですか?」
「ああ。おそらくだが――全員の情報を集めれば、すべてが繋がる」
ふたりの間に一瞬ピンとした空気が走る。
そして、深く頷き合う。
廊下の燭台が、ゆらりと揺れた。
彼らの決意を示すように。そして――全てを線でつなぐために。
窓からは、淡く白い光が差し込み始めた。
それは、廊下を静かに照らしていた。




