15.学舎で育つ芽と、彼の影
風に乗ってカラン、コロンと鐘の音が聞こえる。
「――これは、どこの鐘の音でしょうか?」
朝食の席で、ふと気になって尋ねると、アウレリオ様が懐かしそうに目を細めて話しだす。
「レイヴンコート・アカデミーの鐘だ。懐かしいな」
「レイヴンコート・アカデミー……?」
首を傾げる私に、エルミラが耳のそばでこそっと話す。
「ファルネーゼ領の子供が通う学校です。領地内だけでなく、他の地方からの生徒も受け入れているところですよ」
アウレリオ様が優しい声で口を開く。
「アリーチェ、視察を兼ねて行ってみるか? ――私や、エルミラの母校に」
「はい……!」
たどり着いたそこは、王都で私が通っていたベスティア・アカデミーと全く違う『学校』があった。
鮮やかな青い屋根に、淡い空色のレンガでできた校舎。活発な子どもたちの声が聞こえてくる。
「ようこそ、久しぶりね。アウレリオ――いえ、今は領主様でしたね」
微笑みながら年配の女性教師が私たちを迎え入れる。
「こちらは校長のベルタ・ゼレンカ先生だ。先生、ご無沙汰しております」
アウレリオ様とエルミラが一礼し、私の方を向く。
「先生、こちらが私の妻――アリーチェです」
「は……初めまして」
校長先生は私の方を向き、目を細める。私はぎこちなく一礼する。
「――奥方様がいらっしゃって、亡き先代ご夫妻もお喜びでしょう。この学園は、領地の子が等しく学んでいます。領主の子も、平民の子もここでは平等。これは創設された当時の領主様がお決めになられた方針です」
それを聞いて、私はあたりを見渡す。ちょうど休み時間に入ったのか、生徒たちのざわめきが少しずつ大きくなる。
「――次は、訓練場にご案内しますね。ちょうど剣術の授業が行われますので」
校長先生の案内に従い、校庭の角にある訓練場へ向かう。
廊廊下では、パンを齧りながら走る子が校長先生を見て気まずそうな顔をしていた。
教室からは、お喋りに花を咲かせる女子生徒たちの声も聞こえ、賑やかだ。
訓練場に近づくにつれ、風で砂埃が柱のように舞っているのが見える。
砂埃の向こうに見覚えのある栗色の髪をした少年の影がちらりと見え、私は目を見開く。
(――ファビオ? ……いや、あの子は王都にいるはず)
その時、近くにいた少年から声をかけられる。ファビオと同じくらいだろうか。
「お姉さん、綺麗な瞳ですね」
私はいきなりの言葉に跳ね上がり、言葉が出ない。砂埃の向こうから人影が近づいて来て、口を開く。
「――姉様に気安く話しかけるなよ」
「ファビオ!? なぜ、ここにいるの?」
ファビオがにっと笑ってこちらを見る。横にいる少年が口をとがらせて口を挟む。
「――領主様の奥方様って、ファビオのお姉さんなのか? いいなぁ」
「だろ? 自慢の姉様だ」
ふふんと得意そうにファビオが笑う。私は少し悪戯っぽくけれど、どこかくすぐったい気持ちで答える。
「ファビオ。王都にいる時はそんな顔、見たことなかったよ」
ファビオもファルネーゼ領に来ていたとは知らなかった。私は、アウレリオ様を見上げ、尋ねる。
「アウレリオ様。ファビオが……なぜここにいるのですか?」
「――婚姻の条件だ。ファビオの教育も、ファルネーゼ家が行うと。彼は今、アカデミーの寮で生活している」
なぜ私たち姉弟をここに呼んだのかは、まだわからない。けれどファビオの見たことのない明るい顔に、これが正しかったのだと思えた。
砂埃の向こうから、筋肉質で鋭い目をした男性教師がやってくる――武術教官だろうか?
男性教師は、こちらに向かって一礼し、声を上げた。
「――本日の授業は、領主様と奥方様が視察においでだ。いつもより、集中するように!」
アウレリオ様がこそっと耳打ちする。
「武術教官のアイラン・ミラジェス先生だ。――私も学生の頃は絞られたものだ」
彼の困ったような微笑みに、ふっと昔の彼の姿が見えるようで、私もあたたかくなる。
「――踏み込みが甘い!」
時々、ミラジェス先生の激が飛ぶ。生徒たちが剣を振るうたびに砂埃が高く、柱のように舞い上がる。
訓練用の剣を構えた生徒たちが、射抜くような真剣な瞳で剣を交えるたびに鋭い金属音がする。
私の通った学舎とは校風が全く違う。迫力のある動き。全員が剣を取れるように武術の授業も実践的なものだ。
「――領主様、いい機会なので生徒と手合わせ、願えますか?」
ミラジェス先生が、アウレリオ様の方を見て声を上げる。
アウレリオ様は「……良いだろう」と頷き、生徒をぐるりと見回す。
「――それでは、ファビオ・オルドラン。前へ」
ミラジェス先生の声にファビオがすっと立ち進み出る。
「……領主様、いえ、義兄上。お願いします」
ファビオが貫くような視線でアウレリオ様を見上げると、彼はファビオの目を見て、目を細める。
剣を掲げ一礼し――ファビオがサッと斬りかかるも、アウレリオ様はひらりとそれを躱し、剣を突きつける。
「まだ荒削りだ。まっすぐ向かってくるようでは、敵の思う壺だぞ! ……だが、構えは悪くない」
「僕だって……姉様を守りたいのは、同じです。だから――見ていてください」
息を切らしながらファビオが声を落とすと、アウレリオ様は「期待している」と満足そうに微笑んだ。
「領主様」
ミラジェス先生がアウレリオ様に声をかける。
「ここではアウレリオと呼んでください、先生。守るには心身ともに強く、優しくあれ――あの日、先生の教えが身にしみてわかったのです」
「あの日のことを、やはり気にしておられるのですね――」
あの日とは、何だろう? 私の頭に疑問符が浮かぶ。そして、彼とミラジェス先生が少し、遠く見えた。
アウレリオ様の瞳が少し揺れていることが、私は妙に気になる。
アカデミー視察の帰り道、ずっと彼は遠くを見て、口を開かない。
過去に何かを忘れてきた、そのような眼差しで、私たちの間には、言葉のない静けさだけが残っていた。




