14.大地と草の風に吹かれて
「アリーチェ、今日は農園の方を案内する――大地の風が吹いて、いいところだ」
朝食の席でアウレリオ様がふっと微笑む。
農場どころか、石畳しか見たことがないのだ。『大地の風』って、どのようなものだろう?
エルミラがコホンと咳払いをし、話し始める。
「ファルネーゼ領には主にふたつの大きな農園があります。ビジャール農園とベドゥルナ農園。今日はベドゥルナの方に行きましょう!」
「……そうだな。ちょうど調査に行こうと思っていたところだ」
エルミラは私に向き直り、太陽のようにキラキラと笑う。
「ベドゥルナ農園は小麦や果物を作っているかなり広いところです。小高い丘の上にあって、空気もおいしいんですよ!」
ベドゥルナ農園――王都でも名の知れた農園だ。
けれど、私はそこへ行ったことがない。
――ベドゥルナに着いた時、さぁっと草の爽やかな香りが吹き抜けた。土はやわらかく、ザクッザクッと一歩ずつ進むと、地に足をつけている、ここに立っているという感覚がした。
(素足で歩いてみたいって言ったら……さすがに怒られるかな?)
その時、農場から男性がアウレリオ様に向かって声がかかる。
「領主様! 見てくださいよー! 今年は気候も良くて、ほら!」
「今年も凄いな。収穫祭が盛り上がりそうだ」
男性の声にアウレリオ様は麦を触って微笑み、談笑している姿も、またひとつの太陽のようだった。
『領主』としてというよりも、民に近い屈託のない顔を見せる彼に、胸が高鳴る。
土の香りもただよってきて、私はつい、土に触れる。ぐにっと握ってみると、形がついて、それに夢中になる。
「……土も、初めてか?」
くくっと笑いながらアウレリオ様が戻ってくる。
「す……すみません! つい、夢中になってしまって……」
私の顔がかあっと熱を持つ。彼はさらに微笑み、私をちらりと見て「ほら」と農園の向こうの方を指差す。
衛兵が守る先に、街道が続いており、あのあたりから国境なのだろうと察しがつく。
「あれは、エノテラ街道。その先が――陸の国境、『エノテラの門』がある」
私がこくこくと頷いていると、彼はさらに話を続ける。
「広い海や大地――これらを君に、見せたかった。地に足をつけた時、『生きてるんだ』って実感するだろう?」
確かに、土の上を一歩ずつ歩く感覚は、『私はここにいる』と感じた。自分をとどめてくれた。
王都では感じたことのない感覚だった。ここに立っている――そう思えた。
土のついた靴、頬を撫でる風、そして、海とはまた違う太陽の光が、大地を照らす。
私は、彼の方を向く。
「土って……こんな匂いなんですね。草の香りも、暖かくて。本当に『生きている』という感じが……します」
私が遠くを見渡して、感慨にふけっていると、後ろから声がした。
「奥方様」
農場のエプロンに身を包んだ女性が声をかける。
「この農園で取れた野菜で作ったパイですよ。領主様も、どうぞ召し上がってくださいな!」
「いただこう。アリーチェ。ここの野菜のパイは美味しいぞ」
私はこくりと頷き、案内された椅子に腰を下ろす。
アウレリオ様、エルミラ、皆が笑っている。それだけで心があたたかくなる。
パイは口にするとサクッとして、チーズと野菜がとても香ばしい。
そして、焼きたては、とてもあたたかいのだ。
「おいしい……」
「アリーチェ様は何でも美味しそうに食べてくださいますので、見ていて嬉しくなっちゃいます」
隣でエルミラが呟く。その目は少し潤んでいる。
「……? エルミラ、どうしたの?」
私はあたふたしてエルミラに声をかける、私、なにかしてしまったのだろうかなどそんな考えが頭をよぎる。
彼女は静かに首を振り、目を潤ませながら微笑む。
「五年前に亡くなった祖母と、皆を思い出し……なんでもないですよ! このパイ、美味しいですよね」
いつもの太陽のようにキラキラした笑顔に戻る。しかし、どこか寂しそうな目をしている。
太陽のようなエルミラだが、どこか寂しそうな目をしているのが気になる。アウレリオ様も同じ――たまに、どこか遠くを見ている。
農場からは、虫の声も風に乗ってかすかに聞こえてくる。
その音は、初めてなのにどこか懐かしい響きで耳を通っていく。
「アリーチェ、そろそろ帰ろうか。虫の声が聞こえる時間だ」
アウレリオ様のその声に私ははっとする。麦畑がいつの間にか橙色の光で染められている。
「……もう夕方なんですね。ここでは、時間を忘れてしまいました」
「私もつい時間を忘れてしまった。夕刻まで」
帰りの馬車の中で彼をみると、橙色の光に照らされ、いつもより物憂げに見えた。
たまに見せる、寂しく、遠い目をした彼の手に、そっと触れると頭の上からぽつりと声がした。
「私のそばに来てくれてありがとう――アリーチェ」
「いいえ。これからも……私はおります」
時折寂しい目をする彼を支えたい。何があったのかは、まだわからない。でも――。
彼がそんな表情をする時間が少しでも少なくなれば、と。今はそれだけ思った。




