11.屋敷の人々
「アリーチェ、今日は屋敷を案内する」
「まずは屋敷の中で『人に慣れる練習』ですよ」
アウレリオ様とエルミラが、朝食の席で口々に話しだす。
「アリーチェは、瞳を隠さずにいる練習が必要だ」
彼はどこまでも真剣な目で言う。横でエルミラも頷いている。
長年瞳を隠すために俯いて歩いてきたため、人の視線にも、好意にもまだ慣れない。
「わかりました……ありがとう……ございます……」
視線をつい落としてしまう私に、アウレリオ様のふっと笑う声がする。
「アリーチェ、少し……顔を上げて」
「はい……」
(やっぱりまだ慣れない)
私は心の中でそう思いつつも、王都を出るまで感じたことのない空気が、好きになっていた。
「では、案内する。エルミラ、アリーチェについてやってくれ」
「もちろんです!」
まずは一番近くの厨房から。
金色の髪をした褐色の肌の筋肉質な男性が、奥から出てくる。
「あ、ご主人様! そちらが奥方様ですね! 俺は料理長のアルヴィン・ベイレフェルトです。――美しい瞳の方ですね」
一瞬、アウレリオ様の目がアルヴィンを貫くように鋭くなる。
「アルヴィン……? 私の妻だぞ?」
「わかってますって! 冗談ですよ!」
ひらひらと手を振りながら、アルヴィンが笑う。
「――こんな軽いやつだが、アルヴィンの料理の腕は右に出るものがいないだろう」
アウレリオ様が苦笑いを浮かべつつも、柔らかい口調で話す。
数日食べたからわかる。本当に素材の味も生きているように感じられる味なのだ。
奥で他の料理人が数人、微笑みながら軽く一礼する。
途中でフリオさんも合流し、四人で屋敷を見て回ることになった。
図書室は、古くからの書物が綺麗に保管されており、窓からはうっすらと光が差し込み、きらきらと空気の中が輝いて見える。
廊下も、部屋も躍るような気持ちで見渡しながら進む。オルドラン家とは調度品の格式も、まるで違う。
「図書室も、自由に使うといい――どの部屋も」
私の方をちらりとみて、アウレリオ様が微笑む。
その言葉に、胸の奥の張りつめていたものがふっと緩む。
廊下の奥から黒い髪をひとまとめにした年配の女性が姿勢よくしずしずと歩いてきて、私の前で立ち止まる。
「アリーチェ様。ご挨拶が遅れました。わたくし、ファルネーゼ家の侍女長をしておりますアマラ・シフエンテスと申します――そちらのエルミラの母ですわ」
確かに髪の色がエルミラに似ている。
エルミラが少し恥ずかしそうに笑って首を傾げる。
「エルミラ、奥方様――アリーチェ様によくお仕えしてね」
アマラさんがエルミラによく似た笑顔を見せる。
「うちは、祖父母の代からファルネーゼ家にお仕えしていて――祖父はこの家の家令をしていますが……」
エルミラの顔が一瞬曇る。
アウレリオ様が、続けるように話し始める。
「五年前から、病で、屋敷の離れで療養していて……この家のことはフリオと、アマラが今は取り仕切っている」
少し、アウレリオ様の顔に影がさす。
「離れに……行こうか」
「そうですね、行きましょう……」
彼の声に、あの明るいエルミラも、少し俯いて答える。その声は、少し震えていた。
(何か、あったのかな?)
渡り廊下に花の香りとともに風が吹く。
私たちは、中庭の奥、屋敷の離れに向かい静かに歩く。
アウレリオ様が、離れの部屋の扉の前に立ち、軽く扉を叩き、声をかける。
「ビセンテ? 私です。アウレリオです――いらっしゃいますか?」
扉を開けると、ベッドに横たわる老齢の男性がいた。凛とした佇まいだが、顔は青白く、やつれている。
私の方を見てビセンテと呼ばれたその男性は目を見開く。
「エウフェミア……様か? 翡翠の瞳――オルドラン伯爵家の……」
アウレリオ様が静かに首を振り、答える。私は思わずさっと俯く。
彼は、ビセンテさんに向かって、話を続ける。
「エウフェミア様ではございません。彼女はアリーチェ。私の妻です」
「左様でしたか……アリーチェ様、申し訳ございませぬ。私はファルネーゼ侯爵家の家令、ビセンテ・シフエンテスと申します」
ビセンテさんは時折苦しそうに細い声で話を続ける。
「このような姿で申し訳ございません。若様も――ようやく奥方様をお迎えになられたのですね、あの日から……若様も立派になられた……」
そう言ってビセンテさんは遠くを見るように微笑む。私は、絞り出すように答える。
「エウフェミア・オルドランは私の祖母です。八年前に――亡くなりました」
「そうでしたか……あなたは、エウフェミア様によく似ておいでだ。強く、優しい女伯爵でいらした。これもなにかの縁でしょう。――ファルネーゼ家と、オルドラン家の」
(縁――オルドラン家と、ファルネーゼ家に、かつて何かあったの?)
そして、五年前という話題にアウレリオ様とエルミラが曇った表情をした理由。
何か引っかかるものがあったが、私は聞かないことにした。
ビセンテさんの部屋を後にし、渡り廊下に戻る。
アウレリオ様が、少し哀しそうに微笑む。
「アリーチェ、すまない。――少し風に当たろうか」
そう言って、中庭のベンチを指さした。
エルミラとフリオさんがお互い頷きあい、「私たちはこれで……」と囁き、立ち去る。
アウレリオ様の横に腰を下ろすと、彼の肩が少し震えているのがわかった。
私は何も言わず、そっと彼に寄り添う。
中庭の風が、静かに吹き抜けていった。




