12.見たことのない光景
「町の市場?」
首を傾げる私に、エルミラが笑って答える。
「はい! 国境の町ですから、異国のものもたくさんあるんですよ! 見たらきっと、驚きます」
王都にも市場はある。しかし、異国のものは見たことがない。きっと、灰色の王都と違い、この町のように色鮮やかなものに違いない。
「……わかった。行ってみます」
「今回も、顔を隠すのはナシですよ? 大丈夫です。私も、アウレリオ様も一緒ですから!」
エルミラが機嫌よく、歌いながら賑やかに私の身支度を整える。
こんな毎日にも少しずつ慣れてきた。顔を少しずつ上げられるようになってきた自分にも、少し驚いている。
今日の衣装は、少し動きやすさも取り入れられているようで、いつもより体が軽い。
これも異国から来た技術なのだろうか?
「アリーチェ、そろそろ行こうか」
部屋の外からアウレリオ様の声がする。軽やかに「はい!」と返事をしながら部屋の外に出る。
アウレリオ様が私をちらりと見る。――彼の顔がほんのりと赤く染まる。私は首を傾げ、彼の顔を見る。
「アウレリオ様? どうしたのですか? 顔が……赤いです」
彼は首を振り、少し俯く。
「……いや、今日のアリーチェは……いつもに増して……」
そう言って彼は、コホンと咳払いをする。
なんだか、可愛い……そう思ってしまい、思わず私はふっと微笑み、彼の手を取る。
「行きましょうか」
「……ああ」
後ろでエルミラがくすっと笑ったのは、たぶん気のせいだと思う。
市場の空気は、香りだけでも王都とは違うと感じた。
異国の香辛料、王都では見たことのない柄をした色鮮やかな布や衣装。初めて見る食べ物もある。
「すごい……」
思わず私は呟き、立ち尽くす。初めて見る空気に、飲み込まれそうになる。
時折聞こえる異国の言葉に、ここが国境の町であることを改めて感じた。
行き交う人々の瞳の色も違うが、それを隠すようなことは、誰もしていない。
この町では私の翡翠の瞳も、誰も気にしない。「忌むべき色」が「当たり前のもの」として存在している。
「領主様ー! 美しい色の布が届きましたよ!」
「見せてくれ――アリーチェも、見てごらん」
商店の店主が私を目を見て微笑む。
「奥方様に、よくお似合いの色だと思いますよ」
「――そうだな」
淡い紺色に金色と翡翠色の糸で刺繍が施された布を見て、思わず見とれてしまう。花のような……この柄は何だろう。
「アリーチェ、気に入ったのか?」
私の方を見てアウレリオ様が微笑んで、店主の男性に「これをもらおう」と告げる。私は静かに頷くことしかできなかった。
「――これで新しい衣装を仕立てよう」
彼の言葉に、私の胸がいっぱいになる。私は「ありがとうございます」と小さな声で返す。
それでいいと言うように、彼がまた微笑む。
新しい衣装というだけでも嬉しいのに、アウレリオ様が私を見て選んでくれた。それだけで胸があたたかさで溢れる。
鮮やかな色合いの食べ物や、立ち込める香りも全てが初めてのもので、思わず周囲を見渡す。
おそらく、私は興味津々な子供のように見えているのかもしれない。そう思うと少し恥ずかしいけれど、見たことのない光景が、私の目を離さない。
「アリーチェ様、これ美味しいんですよ。氷菓っていうんです。果物の味がしますよ!」
エルミラが果物の香りのする凍った菓子を差し出してきた。
口にすると雪が溶けていくように甘さが広がる。溶けた果汁が甘酸っぱい。
魚や肉も、見たことのない種類のものが並んでいる。
「港に行けば、まだ沢山の魚が見られる。今度、行こうか」
アウレリオ様の声に、静かに頷く。
市場のざわめきに、私の心も躍るようだ。
アウレリオ様とエルミラが横で揃ってくすっと微笑んでいる。
異国の言葉も、空気も全てが私を暖かく包み込む。
ざわざわと多くの人が行き交う市場の奥の方で誰かが歌っており、陽気でどこか美しい歌が響いてくる。
人混みにのまれそうな私を、アウレリオ様がさっと引き寄せる。
「私から離れるな、アリーチェ」
「はい……」
彼のその言葉に、私は守られているようで心がじんわりと暖かくなる。
そして、明るく陽気な市場の雰囲気が、私の心の奥をまたひとつ溶かしていく。
空が橙色を帯びる頃、私たちは屋敷に向かって馬車に揺られていた。
体の奥にあの陽気で美しい歌声とリズム、市場のざわめきが残っている。
「今日はとても楽しかった……です」
俯きながら小さな声で話す私に、アウレリオ様とエルミラは満足そうに微笑んでいた。
「エルミラ、帰ったら先ほどの布を仕立て屋に――」
アウレリオ様がエルミラにそっと話す。エルミラは強く頷き答える。
「もちろんです! 素敵な衣装を作っていただきましょう!」
彼がちらりと柔らかい目で私の方を見つめる。
「きっと、アリーチェに似合う」
私は、ただ、こくこくと頷いた。胸がいっぱいで言葉にならない。
アウレリオ様の手に、私の手を重ねる、それが精一杯の感謝の返事だった。
カタンカタンと魔獣の曳く馬車に揺られ、私は、目を閉じる。
そして、彼が優しく声を落とす。
「次は港に行こう。あそこは、この町で一番風が気持ちいい」




