76.陛下との婚約発表直前
ルチアは侍女になされるがまま、入浴して身体を洗ってもらい、たっぷりと身体中ローションを塗られ、髪を結い、白に近い淡いブルーに銀の刺繍が施されたドレスを纏った。
「このドレスは先代の王妃様がご婚約式にお召しになったものだそうです。聖女様にもとてもお似合いです」
確かに身長は同じぐらいなのだろう、ピッタリだ。だが胸の辺りが少々空いている。
「少し詰め物をしますね」
侍女はそう言って胸にコットンを詰め込んだ。
ルチアは鏡を見てこれが自分なのかと驚いた。
《ルチア、素敵だね。ちゃんと貴族令嬢にみえるよ》
ルチアはリベルに向かって微笑んだ。
「ではしばらくお待ち下さい」
そう言って王宮の侍女たちは部屋を出た。
《どのタイミングで力を使うの?》
「そうね、陛下が閉幕宣言したすぐあとあたりかしら。わたしを婚約者だと発表するまでに消すわ。消してからわたしが陛下の隣に立っているのはおかしいものね」
《僕といると聖女だってバレるかも》
「そうね、リベルのことも記憶から消さないとね」
《フィデスもいるんだよね。記憶消えちゃうんじゃない?》
「聖女がわたしだという記憶だけ消すつもりだから、公爵様はそれまでの経緯でわたしが聖女だと思い出すんじゃないかしら」
《そっか、ルチアの行動を消すわけじゃないからね。みんな聖女が誰かわからなくなるだけで、直接ルチアの力を見ているフィデスにはわかるってことか》
ルチアは微笑みながら頷いた。
迎えが来てルチアは大聖堂に向かった。
ありがたいことにフォルティスとは別々の馬車だった。
ルチアは大聖堂に着くと着替えるつもりでいた。
記憶を消した後に前王妃のドレスを着ていたら大問題だ。
大聖堂に着くと控室に案内された。
控室で司教が今日の閉幕式の段取りを教えてくれた。
ルチアは聖堂の入り口で控えていて、フォルティスが開幕宣言をした後に入り口が開いたら身廊をゆっくり歩いて祭壇前にいるフォルティスのところへ行って並び、婚約宣言をするらしい。
しばらくして控室にフォルティスがやって来た。
「ルチア、今日は一段と綺麗だよ。僕との婚約をよく決意してくれたね。ありがとう」
フォルティスはルチアの手を取って甲に口付けた。
「ルチアが成人するまでは婚姻はできないから、それまでにわたしはルチアの心をフィデスから奪って見せるよ。覚悟しておいてくれ」
フォルティスは真剣な眼差しでルチアを見つめて言った。
ルチアは戸惑い見せながら視線を逸らした。
フォルティスは少し寂しそうな顔をした。
「ふふ、今はまだしょうがないと思ってるよ。じゃあ聖堂で待っている」
フォルティスはそう言って控室を出た。
ルチアはフーと大きくため息をついた。
「リベル、着替えるわよ」
《今着替えて大丈夫なの?入り口で待ってるとき何か言われない?》
「大丈夫。わたしが最後の最後に登場でしょう。案内人に聞かれたらドレスが汚れたから着替えたって言うつもり」
ルチアはドレスを脱ごうとしたが、一人では難しかった。
「どうしよう、脱げないわ」
そこに誰かがドアをノックした。
ルチアは慌てて椅子に座り返事をした。
「どうぞ」
ドアが開くとフィデスが心配そうな顔をして入って来た。
「公爵様!」
「ルチア、大丈夫か?上手くいきそうか?わたしは何もできなくてすまない」
フィデスは入り口の近くに立ったまま言った。
「公爵様、ちょうど良かったです。ドレスを着替えようと思ったのですが、一人では脱げなくて」
ルチアは椅子から立ち上がり、フィデスの近くに行った。
「ドレスがどうかしたのか?」
「皆さんの記憶を消したとき、わたしが前王妃様のドレスを着ていたらまずいなと思いまして」
「ああ、それで着替えておくのか」
フィデスはルチアの後ろに立ちドレスのボタンを外した。
「前にもこんなことがあったな」
「そうですね。貴族が着るドレスは一人で脱ぎ着できないので困ります」
「普段着を来て聖堂に行くのか?」
「いえ、公爵様に戴いたドレスを着ようと……あ…」
そうだ、フィデスにもらったドレスも一人では脱ぎ着できなかった。
「どうする?」
フィデスはニヤリとして涼しい顔で言った。
「……すみません、お手伝いお願いします…」
ルチアは恥ずかしそうに俯いたまま言った。
「お安いご用だ」
「このドレス脱いで次のドレスを着る間、後を向いて目を閉じていてもらえますか?」
「下着は着ているのだろう?なら目を閉じなくても問題ない」
ルチアはフィデスの言葉に顔を真っ赤にした。
《フィデス、何度言ったら理解するの?ルチアはそういうことに慣れていないって》
「冗談だよ」
フィデスはリベルに向かって苦笑いし、後を向いて目を閉じた。
ルチアは急いで来ているドレスを脱ぎ、フィデスにもらったドレスを着た。
「公爵様、もう大丈夫です。背中のボタンお願いします」
フィデスは振り返り、黙ってドレスのボタンをかけ始めた。
「そういえば、聞いたか?ルチアの家族を誘拐した首謀者のこと」
フィデスがボタンをかけながら言った。
「いえ、なにも…」
「タラン国を手引きしたのはあのとき小屋に来た政務官だったらしい。金目的だ。失敗したので自分の首が危ういと思って、別の国に聖女を引き渡して代わりに匿ってもらうつもりだったと政務官が白状したそうだ」
そんな理由で家族を危険な目に遭わせたのか。
わたしが聖女でなければこんな事件も起こらなかったとルチアはあらためてみんなの記憶を消す決意を新たにした。
一番上の最後のボタンをかけるとき、フィデスはルチアの背中にそっと口付けをした。
ルチアは驚いたが、フィデスの温かい唇が心地よく感じて、これから自分がする行動に後押しをしてもらえた気がした。
「今日は何も言わないんだね」
フィデスは最後のボタンをかけながら言った。
ルチアは最後のボタンかけられると振り返ってフィデスを見た。
「公爵様。みんなの記憶が消えたら、公爵領に連れて行ってくださいね」
「もちろんだ。公爵領で婚約式を盛大にしよう」
ルチアは微笑んだ。
ただの平民に戻るルチアが公爵家の嫁になれるわけがないとわかっているが、たとえ結婚できなくてもフィデスのそばでのんびりと暮らせればそれでいいと思った。
「では聖堂で見守っている」
フィデスはルチアの額に口付けをして控室を出て行った。




