第9話「初めての実戦」
学園一年目も後半に差し掛かった頃、A組には特別な授業が組まれた。
「今日は、初級冒険者の護衛のもと、学園近郊の森で薬草採取の実習を行う」
グレイソン先生がそう告げると、教室にわずかな緊張が走った。座学や演習場での実技とは違い、初めて学園の外に出て行う授業だった。
「魔物と遭遇する可能性もゼロではない。だが、これは冒険者としての基礎を学ぶ、大切な機会でもある」
そう付け加えられた言葉に、生徒たちの表情はますます引き締まった。
森に到着すると、生徒たちは数人ずつのグループに分けられた。ニコラスは、フェリックス、シャルロット、ソフィアと同じ班になった。
「森の中って、なんだか独特の匂いがするわね」
シャルロットが物珍しそうに周囲を見回す。普段は貴族の令嬢らしく整った場所で過ごすことの多い彼女にとって、こうした自然の中での活動は新鮮なものらしかった。
「足元、気をつけてくださいね。木の根が結構出てますから」
ソフィアが控えめながらも的確に注意を促す。彼女の家は男爵家とはいえ、比較的自然に近い土地にあるとのことで、この手のことには意外と慣れているようだった。
「薬草はこの辺りに多いはずだよ。特徴は葉の裏側が銀色に光ること」
護衛についた若い冒険者が、そう説明しながら一同を先導していく。生徒たちは言われた通りに、地面近くに生える草を一つ一つ確認しながら採取を進めていった。
「あ、あった!」
ソフィアが小さく声を上げ、指定された薬草を見つけ出す。
「ソフィアは詳しいのね、こういうの」
「小さい頃、よく祖母に採取を手伝わされたので……祖母が、薬師をしていたんです」
「へえ、それは頼もしいな」
フェリックスも感心したように頷く。ソフィアが自分のことを語る場面は珍しく、班の空気は自然と和やかなものになっていった。
そんな和やかなやり取りが続く中、突然、茂みの奥から低い唸り声が響いた。
「――伏せろ!」
護衛の冒険者が鋭く叫ぶと同時に、茂みを割って一匹の魔物が飛び出してきた。犬のような姿をした、赤黒い毛並みの獣――ホーンウルフと呼ばれる、この辺りでは比較的よく見られる魔物だった。とはいえ、実物を目の当たりにするのは、生徒たちにとって初めてのことだった。
「きゃっ……!」
シャルロットが小さな悲鳴を上げ、後ずさる。護衛の冒険者は素早く剣を構えたが、ホーンウルフの狙いは、逃げ遅れたソフィアの方へと向かっていた。
「ソフィア!」
ニコラスは考えるよりも先に体を動かしていた。足元に強化魔法を纏わせ、瞬時にソフィアと魔物の間に割り込む。振り下ろされた前脚を、腰に差していた実習用の短剣で受け止め、そのまま押し返した。
「な――」
護衛の冒険者が、驚きの声を漏らす。実習用の短剣は本来、魔物を相手にするには心もとない代物のはずだった。だが、ニコラスが咄嗟に足に纏わせた強化魔法が、その一撃を十分に受け止めるだけの力を与えていた。
「大丈夫、ソフィア?」
「あ、う、うん……ありがとう、ニコラス君」
ソフィアが震える声でそう答える。ニコラスはホーンウルフと向き合ったまま、冷静に相手の動きを観察していた。
(前脚の動き、あとは噛みつきのタイミングか)
戦闘慣れしているわけではないはずなのに、体は驚くほど落ち着いていた。前世の記憶にある「危機的状況での冷静さ」と、この体に染み付いた鍛錬の成果が、自然と噛み合っているような感覚だった。
「みんな下がって! ここは僕が――」
護衛の冒険者がそう叫びながら加勢に入ろうとした瞬間、ニコラスは既に次の一手を打っていた。小さな光の魔法で獣の視界を眩ませ、隙を作った直後、風の刃を纏わせた蹴りで側面を打ち抜く。
「ギャンッ!」
短い悲鳴とともに、ホーンウルフは弾き飛ばされ、そのまま茂みの奥へと逃げ込んでいった。
「た、助かった……のか?」
護衛の冒険者は、呆然とした様子でニコラスを見つめていた。実習用の短剣一本と、初歩的な魔法だけで、一人前の冒険者でも油断すれば怪我を負いかねない魔物を、あっさりと撃退してしまったのだから。
「みんな、怪我はない?」
ニコラスが振り返ると、フェリックスとシャルロットが、揃って言葉を失ったような顔でこちらを見ていた。
「怪我って……お前、今の見て、そっちの心配してるのか」
フェリックスが呆れたように呟く。
「だって、皆が無事なのが一番でしょ」
ニコラスが素直にそう答えると、シャルロットは小さく息を吐いてから、力の抜けた様子で笑った。
「本当に、規格外というのは、あなたのことを言うのでしょうね」
護衛の冒険者からの報告を受け、実習はそこで一旦中断となった。だが、この日の出来事は、また一つ、ニコラスの評判を大きく押し上げることになった。
寮に戻る道すがら、ソフィアがそっとニコラスの隣に並んだ。
「今日は、本当にありがとう。助けてくれて」
「気にしないで。とっさに体が動いただけだから」
「それでも、嬉しかったよ」
ソフィアはそう言って、小さく微笑んだ。その表情には、いつもの控えめさとは少し違う、素直な感謝の色が浮かんでいた。
学園一年目、まだ多くのことを知らないニコラスだったが、こうした一つ一つの出来事を通じて、少しずつ、自分の力の意味を実感し始めていた。
その夜、寮の食堂では、実習での出来事が瞬く間に噂となって広がっていた。
「聞いたか、A組の実習の話。ホーンウルフを実習用の短剣一本で追い払ったって」
「それ、また例のローウェルの話だろ」
「規格外にも程があるだろ、いくらなんでも……」
そんな声があちこちから聞こえてくる中、当のニコラスは、いつも通り友人たちと夕食を囲んでいた。
「今日ばかりは、俺も肝が冷えたよ」
ルーカスが真剣な表情でそう言った。B組の彼は実習には同行していなかったが、既に噂は耳に入っているようだった。
「ソフィアが無事で、本当に良かった」
「うん……ニコラス君が咄嗟に動いてくれなかったら、どうなってたか」
ソフィアが小さく震えながら、そう呟く。シャルロットがその肩にそっと手を添えた。
「これからは、もっと注意して行動しないとね。あなただけに頼るわけにはいかないもの」
シャルロットの言葉に、ニコラスは苦笑しながら頷いた。
「僕だって、いつも都合よく間に合えるとは限らないしね」
そう言いつつも、心のどこかでは、これから先も、こうして誰かを守れる場面があるのなら、自分のこの力を使う意味があるのかもしれない――そんな思いが、静かに芽生え始めていた。
(第10話へ続く)




