第10話「エドワードの提案」
実習での一件から数日後、ニコラスは思わぬ相手から声をかけられた。
「ローウェル、少し話がある」
放課後の廊下、そう声をかけてきたのはエドワードだった。いつもの尊大な態度は変わらないが、その表情には、これまでとは少し違う何かが滲んでいるようにも見えた。
「珍しいね、君からわざわざ話しかけてくるなんて」
ニコラスが軽い調子でそう返すと、エドワードは僅かに眉を寄せた。
「からかっているのか」
「別に。ただ、いつもは目も合わせないから」
「……ふん。まあいい」
エドワードは短く息を吐くと、周囲に人がいないことを確認するように視線を巡らせた。
「実は、来月から始まる合同演習のことで話がある」
「合同演習?」
「ああ。近隣の貴族子弟が通う、別の学園との交流演習だ。毎年恒例の行事で、模擬戦だけでなく、共同での討伐実習も行われる」
エドワードの説明によれば、その演習では、各学園から選抜された生徒が数名ずつの混成チームを組んで、指定された任務をこなすのだという。
「それで、僕に何の用?」
「今年の混成チームの編成で、僕とお前が同じ班になる可能性が高い、という話が出ている」
「へえ」
「他人事のような顔をするな。お前は分かっていないようだが、これは僕にとって重要な機会なんだ」
エドワードの声には、これまでの苛立ちとは違う、切実な響きがあった。
「重要な機会?」
「……僕の家のことは、噂で聞いているだろう」
エドワードはそう前置きすると、少し躊躇うような間を置いてから続けた。
「うちの家は、最近、宮廷内での立場が芳しくない。新興の貴族家が力をつけてきていてな。特に、最近爵位を得たばかりのレイモンド家が、目に見えて発言力を強めている」
「レイモンド家?」
「聞いたことがなくて当然だ。つい数年前まで、しがない商家に過ぎなかった家だからな。だが、その息子が優秀でな。あらゆる場面で成果を上げ、着実に父親の家格を押し上げている」
エドワードの声には、隠しきれない苛立ちと同時に、微かな焦りが滲んでいた。
「今年の合同演習で結果を出せなければ、父上の立場も、ますます苦しくなる。宮廷内での発言力は、そのまま家の存続にも関わってくる問題だ」
その言葉に、ニコラスは以前ルーカスから聞いた「派閥争い」の噂を思い出した。エドワードのこれまでの苛立ちが、単なる子供じみたプライドだけではなかったことを、改めて実感する。
「だから、僕と協力しろってこと?」
「……そうだ。お前の実力は、この際、認めてやる。だが、それはあくまで結果を出すための手段としてだ。勘違いするな」
素直に「協力してほしい」とは言えないエドワードの物言いに、ニコラスは思わず小さく笑ってしまった。
「何がおかしい」
「いや、別に。分かったよ、協力する」
「……本当に、それでいいのか。僕は、これまでお前に散々失礼な態度を取ってきたはずだが」
エドワードが意外そうな顔でそう尋ねる。
「そういうのは、正直あんまり気にしてないから。それに、困ってるなら助けたいって思うのは、当たり前のことだし」
ニコラスの言葉に、エドワードは一瞬、言葉を失ったような表情を浮かべた。伯爵家の嫡男として、常に競争と駆け引きの中で生きてきた彼にとって、見返りを求めない「協力する」という言葉は、あまり馴染みのないものだったのかもしれない。
「……変わった奴だな、お前は」
「よく言われるよ」
前世で三十年以上、様々な人間関係の中で揉まれてきたニコラスにとって、目の前の相手が抱える切実な事情に寄り添うことは、それほど難しいことではなかった。むしろ、こうして本音を見せてくれたエドワードに対して、少しだけ親近感すら覚えていた。
「まあ、せいぜい足を引っ張るなよ」
そう言い残して、エドワードは踵を返し、足早にその場を去っていった。だが、その背中からは、先ほどまでの張り詰めた空気が、わずかに和らいでいるように見えた。
その日の夕食の席で、ニコラスは友人たちにエドワードとのやり取りを話した。
「マジかよ、あのエドワードが協力を求めてきたのか」
ルーカスが驚いたように目を丸くする。
「意外ね。てっきり、最後まで意地を張り続けるタイプかと思っていたけれど」
シャルロットも興味深そうに顎に手を当てた。
「まあ、彼にも彼なりの事情があるってことだよ」
ニコラスがそう答えると、フェリックスが少し考え込むような表情を浮かべた。
「派閥争い、か……。貴族の世界も、大変なんだな」
その呟きには、自身の家業の悩みを抱えるフェリックスならではの、共感めいた響きがあった。
「ニコラス君は、優しいね」
ソフィアがぽつりとそう呟く。
「優しいっていうか、単に困ってる人を放っておけないだけだよ」
「それを優しいって言うんだと思うけど」
シャルロットがくすりと笑いながらそう付け加えると、食卓には温かな笑い声が広がった。
合同演習まで、あと一か月。ニコラスにとって、それはエドワードとの、そしてこの世界の貴族社会の複雑さとの、新たな向き合い方を学ぶ機会になりそうだった。
その夜、寮の自室に戻ったニコラスは、ベッドに横になりながら、今日のエドワードとのやり取りを反芻していた。
(伯爵家の跡取りにも、跡取りなりの苦労があるんだな)
前世で言えば、老舗企業の跡取り息子が、新興ベンチャーの台頭に焦りを覚えているような状況に近いのかもしれない。身分や立場は違えど、人が抱える悩みの構造そのものは、世界が変わってもそう大きく変わらないのだと、ニコラスは改めて実感していた。
(まあ、僕にできることがあるなら、協力するだけだ)
そう結論づけると、ニコラスは静かに目を閉じた。一か月後に控えた合同演習――それが、この学園生活における、また一つの大きな転機になることを、この時のニコラスはまだ、はっきりとは予感していなかった。
(第11話へ続く)




