第71話 夕暮れの浜辺で
夕方近くになると、海岸には橙色の光が差し込み始めていた。はしゃぎ疲れた一同は、それぞれ思い思いに砂浜で休憩を取っていた。
「はー、疲れたけど、楽しかったな」
フェリックスが大の字になって寝転がる。
「フェリックス様、砂だらけになりますよ」
「気にすんな気にすんな。今日くらい、羽目外したっていいだろ」
ガレスも近くの岩に腰掛け、遠くの水平線を眺めていた。
「こういう時間、悪くないな」
「珍しいな、お前がそんなこと言うの」
「別に、いつも気を張ってるわけじゃない。俺だって、たまにはこういう息抜きも必要だ」
そう言って、ガレスは小さく笑った。武芸大会の頃には想像もつかなかった、穏やかな表情だった。
一方、少し離れた場所では、シャルロットが一人、波打ち際に立って水平線を眺めていた。
「シャルロット?」
ニコラスが声をかけると、彼女は少し驚いたように振り返った。
「あ、ニコラス。何してるの、こんなところで」
「いや、シャルロットこそ。皆と離れて、大丈夫か?」
「別に、ちょっと一人になりたかっただけよ」
そう言いながらも、シャルロットの表情はどこか穏やかだった。
「今日は、本当に楽しかったわね」
「ああ、俺もだ」
しばらく、二人は並んで波の音に耳を傾けていた。夕日が水平線に沈んでいく様子は、息を呑むほど美しかった。
「なあ、シャルロット」
「なに?」
「昔から、ずっと聞きたかったんだけど……。シャルロットって、どうして俺に、あんなに絡んでくるんだ?」
不意の質問に、シャルロットの頬がみるみる赤くなった。
「な、なんでいきなりそんなこと聞くのよ!」
「いや、その、フェリックスとかガレスに、色々言われて……気になって」
「あいつら、余計なこと言ったのね……!」
シャルロットは顔を真っ赤にしたまま、しばらく黙り込んでいた。
「……別に、深い意味なんてないわよ」
「そうか」
「ただ……」
「ただ?」
「あなたと話してると、なんだか落ち着くのよ。素の自分でいられるっていうか……。社交界だと、常に取り繕ってないといけないから」
意外な言葉に、ニコラスは思わず息を呑んだ。
「そうだったのか」
「変なこと言ったかしら」
「いや、そんなことない。俺も、シャルロットと一緒にいると、楽しいと思ってる」
「……そう」
夕日に照らされたシャルロットの横顔が、いつもよりずっと柔らかく見えた。
「あ、あの! でも、これは別に、特別な意味じゃないんだからね! ただの友達として、って意味だから!」
慌てたように付け加えるシャルロットに、ニコラスは思わず笑ってしまった。
「なによ、笑うことないでしょ!」
「いや、ごめん。シャルロットらしいなと思って」
「もう! バカにしてるでしょ!」
そんな二人のやり取りを、少し離れた場所からフェリックスとガレスが、生温かい目で見守っていた。
「なあ、あれ、絶対いい感じの空気だよな」
「間違いないな」
「まあ、あの鈍感なニコラスが、どこまで気づいてるかは怪しいところだけどな」
そんな軽口を叩き合いながら、二人は夕日に染まる砂浜を眺め続けた。
やがて、皆で帰り支度を始める頃には、空はすっかり茜色に染まっていた。
「今日は、本当に楽しい一日だったな」
「はい、また皆で来たいですね」
「そうだな。次は、いつになるかわからないけど」
帰りの馬車の中、皆はすっかり疲れた様子で、それぞれ思い思いに過ごしていた。フェリックスは早々に舟を漕ぎ始め、ガレスも目を閉じて休んでいる。
「ソフィア、今日は楽しめたか?」
ニコラスが尋ねると、ソフィアは嬉しそうに頷いた。
「はい、とても。海を見るのも、皆で一緒に遊ぶのも、初めての経験でした」
「また今度、機会があったら来よう」
「はい、楽しみにしています」
窓の外を流れる夕暮れの景色を眺めながら、エミリーがぽつりと呟いた。
「わたし、皆さんと出会えて、本当に良かったです。最初は、迷惑をかけてばかりで……」
「もう、その話はいいんだよ。今のエミリーは、俺たちの大切な仲間なんだから」
「はい……ありがとうございます」
エミリーの目に、うっすらと涙が浮かんでいた。それを見て、シャルロットが優しく肩を叩く。
「泣くようなことじゃないでしょ。今日は楽しい日だったんだから、笑顔でいなさいよ」
「そう、ですね」
小さく微笑むエミリーを見て、車内には温かな空気が満ちていた。
馬車の揺れに身を任せながら、ニコラスは今日一日の出来事を、静かに胸の中で反芻していた。シャルロットとの会話、皆で作った砂の城、賑やかな笑い声――どれもが、かけがえのない思い出として、心に刻まれていた。
「異世界に来て、本当に良かった」
小さく呟いたその言葉は、車輪の音にかき消され、誰の耳にも届かなかった。だが、その想いだけは、確かにニコラスの中に残り続けていた。
夏の一日は、こうして静かに幕を閉じた。だが、この夏休みは、まだ始まったばかりだった。六人を乗せた馬車は、夕暮れの道を王都へと戻っていった。
第72話へ続く




