第60話 王都商業祭、前夜
商業祭までいよいよ一週間を切った。連日の作業も終盤に差し掛かり、実習室にはピリピリとした緊張感が漂っていた。
「よし、保冷魔道具の量産型、これで最終調整完了だ」
ニコラスが魔法陣の最後の一筆を描き終え、額の汗を拭った。
「新作のティーポットも、香り保持機能、完璧に動いてます」
ソフィアが試作品の蓋を開け、湯気とともに立ち上る茶葉の香りを確かめながら微笑んだ。
「デザインも仕上がったわよ! 見て、この曲線美!」
シャルロットが誇らしげに掲げたのは、優雅な意匠を施した外装だった。銀細工の縁取りが、魔法陣の輝きと調和して美しく映える。
「すごいな、これ。本当に商品として売れそうだ」
「当然でしょ! 私のセンスを舐めないで」
フェリックスは資料を片手に、忙しなく出展ブースの配置図を確認していた。
「あとは、当日の説明資料と、実演の練習だな。バルトロさんから、ブースの場所も教えてもらった。かなりいい位置らしいぞ」
「本当に? どのあたり?」
「メイン会場の入り口すぐ近くだってさ。有力な商会が集まる一等地らしい」
「そんな場所、いいのかしら。私たち、まだ学生なのに」
「バルトロさんが色々と口利きしてくれたんだと思う。ここまで来たら、期待に応えるしかないな」
そんな話をしていると、実習室の扉が控えめにノックされた。
「失礼します」
顔を出したのは、エミリーだった。
「エミリー、どうしたんだ?」
「あの、少しでも力になれればと思って。もし人手が足りなければ、当日、お手伝いさせていただけないでしょうか」
「本当か? それは助かるけど、無理はしなくていいんだぞ」
「いえ、私も、今回のことで色々考えさせられて……。自分にできることで、恩返しがしたいんです」
真剣な表情で言うエミリーに、ニコラスたちは顔を見合わせて微笑んだ。
「じゃあ、当日はよろしく頼む。案内係とか、色々やってもらうことになると思うけど」
「はい、頑張ります!」
新たな仲間が加わり、準備はさらに活気づいていった。
実演の練習も、繰り返し行われた。フェリックスが客役になり、ニコラスとソフィアが交互に商品説明をする。
「えー、こちらの保冷魔道具は、氷を使わずに食材を長期間新鮮に保つことができまして……」
「うーん、ニコラス、ちょっと説明が硬いな。もっと気さくな感じでいこうぜ」
「気さくって言われても……」
「ほら、こんな感じ。『やあ、旦那! これ見てくれよ、こいつがあれば、氷代なんて一切かからねえんだ!』とかさ」
「それはさすがに商人っぽすぎないか……?」
「細かいこと気にすんなって! お客さんの心を掴んだもん勝ちだぞ」
賑やかなやり取りに、ソフィアがくすくすと笑いながら口を挟んだ。
「フェリックス様の説明、面白いですけど、ニコラス君らしい丁寧な説明も、きっと信頼感があっていいと思います」
「だよな、ソフィアもそう思うよな!」
「はい。無理に商人っぽくしなくても、自然体で大丈夫だと思います」
「ソフィアの言う通りだ。俺は俺のやり方でいくよ」
「ちぇ、つまんないの」
そんな軽口を叩き合いながらも、練習は着実に成果を上げていった。シャルロットも、デザインの美しさをどう伝えるか、身振り手振りを交えて熱心に練習を重ねている。
「ここの曲線、光の角度によって輝きが変わるように設計してあるの。ほら、こうやって見せると――」
「おお、本当だ、綺麗だな」
「でしょう!? このくらいの説明、当然できて当たり前よ」
夕方近くまで練習を続け、全員がすっかり本番さながらの手応えを感じ始めていた。
「明日から本番前の追い込みだな。皆、体調管理、しっかりしてくれよ」
フェリックスの言葉に、全員が頷く。
「グラント商会のこと、まだ気になるけど……」
シャルロットがぽつりと呟いた。
「ハインツって男、まだ何か仕掛けてくるかもしれないわね」
「かもな。でも、俺たちにできることは、目の前の準備を全力でやることだけだ」
ニコラスの言葉に、ソフィアが静かに頷いた。
「そうですね。今できる最善を尽くして、あとは当日を迎えるだけです」
「私も、負けないから。商業祭で、絶対に成功させてみせるわ」
「わたしも、微力ながらお力になります」
エミリーの言葉に、皆が温かい笑みを浮かべた。
食事を終え、それぞれの部屋へと戻る道すがら、ニコラスはふと夜空を見上げた。満天の星が、静かに瞬いている。
「明日からいよいよ本番か……」
胸の中に、期待と緊張が入り混じった不思議な感覚が広がっていた。あの騒動を乗り越え、こうして仲間たちと一つの目標に向かって進んでいる今この瞬間を、ニコラスは心から大切に思った。
グラント商会の影が、まだどこかで蠢いているであろうことも忘れてはいない。だが今は、目の前の準備に全力を注ぐことこそが、最善の道だった。
「よし、明日も頑張ろう」
静かな決意を胸に、ニコラスは寮の自室へと戻っていった。王都商業祭という大舞台まで、あと数日。運命の扉が、少しずつ開かれようとしていた。
第61話へ続く




