第6話「エドワードの苛立ち」
一年目の春も終わりに近づき、学園には少しずつ日常のリズムが生まれ始めていた。
授業、寮生活、友人たちとの他愛のない会話。ニコラスにとって、それは前世では味わえなかった、穏やかで満たされた時間だった。もっとも、その平穏な日々の中で、ニコラスの存在は着実に学園内で異彩を放ち始めていた。
「聞いたか、また今日もローウェルが」
「A組のあいつ、なんか規格外らしいぞ」
廊下ですれ違う生徒たちの間で、そんな噂話が交わされることも珍しくなくなっていた。もっとも、当のニコラスは特に気にする様子もなく、いつも通り友人たちと過ごしていた。
「ねえ、聞いた? 今度、クラス対抗の模擬試合があるらしいわよ」
昼食の席で、シャルロットがそう切り出した。
「模擬試合?」
「ええ。A組とB組で、剣術と魔法、それぞれ代表者を出し合って競うそうよ。もちろん、私は選ばれないでしょうけれど」
シャルロットは扇を優雅に揺らしながら、どこか他人事のようにそう言った。
「A組の剣術代表、多分エドワードだよな」
ルーカスがパンを頬張りながら言う。B組の彼も、この話題には自然と加わってきていた。
「魔法は多分、シャルロットさんも候補に入ると思いますけど……」
ソフィアが控えめに口を挟むと、シャルロットは「まさか」と苦笑して首を振った。
「魔法の代表なら、間違いなくローウェルさんでしょう」
その言葉に、ニコラスは思わず目を丸くした。
「え、僕?」
「先日の火球の一件で、もう学年中の噂よ。それに剣術だって、あなた本当は相当なものなんじゃないの」
シャルロットの指摘に、フェリックスが小さく頷く。
「実際、レイラ先生も相当驚いてたしな。今更、隠しようがないんじゃないか」
その日の午後、掲示板に貼り出された正式な代表選出リストには、案の定、剣術部門にエドワード、魔法部門にニコラスの名前が記載されていた。
「マジか、ニコラス代表かよ」
掲示板の前で、ルーカスが目を輝かせながらニコラスの肩を叩いた。
「まあ、選ばれたなら仕方ないか」
ニコラス自身は、それほど気負っている様子もなく、淡々とそう受け止めていた。前世で言うところの、社内の抜擢人事に近いようなものだと、心のどこかで冷静に捉えている自分がいた。もっとも、周囲の生徒たちの反応は、それとはまるで違っていた。
「あのローウェルが、魔法部門の代表になったのか……」
「入学したての一年生が、いきなり代表なんて聞いたことない」
そんなざわめきが、廊下のあちこちから聞こえてくる。ニコラス自身に自覚はなくとも、彼の存在は、良くも悪くも学園内で確実に注目を集めつつあった。
「……ローウェル」
放課後、廊下でニコラスを呼び止めたのはエドワードだった。腕を組み、いつも通りの尊大な態度を崩さないまま、まっすぐにこちらを見据えている。
「何?」
「魔法部門の代表に選ばれたそうだな。光栄に思うといい。僕と同じ舞台に立てるのだから」
「別に、光栄とかは思ってないけど」
ニコラスが素直にそう答えると、エドワードの眉がぴくりと動いた。
「……お前は、自分の立場というものを分かっていないようだな」
「立場?」
「田舎の平民あがりが、伯爵家の嫡男であるこの僕と、同じ土俵で語られることの意味だ」
エドワードの声には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。それは単なる身分意識だけではない、もっと切実な何かのようにも聞こえた。
「僕の家がどれほどのものか、お前に分かるはずもない。父上は宮廷でも重んじられる立場にあり、僕もいずれはその跡を継ぐ。そのために、幼い頃から誰よりも厳しい鍛錬を積んできた」
エドワードは一気にそこまで言うと、少し言い過ぎたと気づいたのか、口を噤んだ。だが、抑えきれない何かが、その声にはまだ残っていた。
(この人、なんか変に必死だな……)
前世で三十年以上生きてきた記憶を持つニコラスには、エドワードのその態度が、ただの傲慢さだけから来るものではないことが、なんとなく感じ取れた。だが、それを言葉にするほど、まだ二人の間に信頼関係があるわけでもない。
「別に、勝ち負けにこだわってるわけじゃないよ。ただ、選ばれたから頑張るだけさ」
「……そうやって、余裕ぶった態度を取れるのも今のうちだ」
エドワードはそう吐き捨てると、踵を返してその場を去っていった。その後ろ姿を見送りながら、ニコラスは小さくため息をついた。
「なんか、絡まれたな」
「まあ、エドワードって元々ああいう性格だから」
いつの間にか近くで様子を見ていたルーカスが、肩をすくめながらそう言った。
「あいつの家、確か最近、貴族の中でも風向きが悪いって噂だぜ。だからこそ、あんな風に必死にプライド保とうとしてるんじゃないか」
「風向きが悪い?」
「詳しくは知らないけどさ。伯爵家の中でも、色々あるんだろ。うちの親父が言うには、最近王都で、貴族同士の派閥争いが結構激しいらしいぜ」
ルーカスは知ったような口調でそう言いながら、パンの最後の一切れを口に放り込んだ。
「派閥争い、か」
フェリックスが顎に手を当てて呟く。商家の息子として、こうした貴族社会の裏事情には多少なりとも耳が早いようだった。
「エドワード様の家って、確か伯爵家の中でも古株の方だったと思いますけど……最近、新興の貴族家が力をつけてきているとか、そういう話も聞いたことがあります」
ソフィアが控えめながらも、意外と的確な情報を口にする。男爵家の娘として、こうした話題には自然と敏感になるのかもしれない。
ルーカスの言葉に、ニコラスは小さく引っかかりを覚えた。エドワードの苛立ちの奥に潜む、何か別の事情。それが何なのか、この時のニコラスにはまだ知る由もなかった。
模擬試合まで、あと二週間。学園一年目の空気は、少しずつ、静かに熱を帯び始めていた。
その夜、寮の部屋で一人になったニコラスは、窓の外に広がる王都の夜景を眺めながら、今日のエドワードとのやり取りを思い返していた。
(貴族の派閥争い、か。前世で言うところの、社内政治みたいなものかな)
会社員時代、部署間の駆け引きや、出世を巡る様々な思惑を、遠目に眺めてきた記憶がある。だが、この世界では、それが単なる出世争い以上の、もっと大きな意味を持つのかもしれない――そんな予感が、ふと胸をよぎった。
エドワードのあの必死さは、単なる負けず嫌いから来るものではないのかもしれない。家の存続、あるいは何か、彼自身にも背負わされた重い事情があるのかもしれなかった。
「まあ、今考えても仕方ないか」
ニコラスは小さく呟くと、ベッドに横になった。二週間後に控えた模擬試合。それが、この学園生活における、一つの大きな転機になることを、この時のニコラスはまだ知らなかった。
(第7話へ続く)




