第42話 商品化の代償
「――というわけで、契約書にサインをいただければ、正式にギルドとして『保冷魔道具』の量産化に着手させていただきます」
バルトロさんは分厚い書類の束をテーブルにドサリと置いた。羊皮紙特有のインクの匂いが鼻をつく。
「ちょ、ちょっと待ってください。これ、何枚あるんですか……」
「たったの三十二枚ですよ、ニコラス様。若いのに気弱ですなあ」
たったの、じゃない。前世で契約書を舐めて痛い目を見た社会人の勘が、今こそ疼く。
「フェリックス、ちょっとこれ見てくれ」
魔道具学の授業で隣の席になったフェリックスを捕まえ、書類を押し付けた。商家の息子である彼なら、この手の話に強いはずだ。
「へえ……ふむふむ……あ、ニコラス、これ第十七条、露骨に君に不利だよ。利益配分がギルド八:君二になってる」
「げっ」
「普通は発明者側がもっと取るもんなんだけどな。バルトロさん、これ足元見てません?」
バルトロさんの顔が一瞬固まり、それから豪快に笑い出した。
「いやはや、さすが商家のご子息。よくお気づきになった。では四:六でどうでしょう」
「六:四の逆でしょ、それ。八:二から一気に四:六まで下げてくるとか、最初の数字がそもそも交渉用の釣り餌だったってことじゃないですか」
フェリックスの目が商人のそれになっていた。普段のおちゃらけた雰囲気はどこへやら、値切り交渉の顔である。
「ぐぬぬ……では六:四で手を打ちましょう。これ以上は本部が黙っておりません」
「よし、それでいい」
ニコラスが頷くと、フェリックスがこっそり耳打ちしてきた。
「ニコラス、お前将来ぜったい商売下手だから、こういうのは俺に任せとけよ」
「ありがたい……マジで助かる……」
前世で経理をかじった程度の知識では、プロの駆け引きにはとても太刀打ちできなかった。餅は餅屋、契約書は商家の息子に任せるに限る。
契約が無事にまとまり、書類にサインを終えた頃には、窓の外はすっかり夕暮れだった。
「それにしても」とバルトロさんが立ち上がりながら言う。「この保冷の魔道具、王都の高級レストランからもう問い合わせが来ておりましてな。氷を使わず食材を長持ちさせるというのは、料理人たちにとって夢のような話らしい」
「そんなに反響が……」
「ええ。それと――」バルトロさんが声を潜めた。「レイモンド家からも、非公式に興味を示す使いが来ておりましてな」
その名前に、ニコラスとフェリックスの表情が同時に強張った。
レイモンド家といえば、ガレスの実家だ。武芸大会で和解したとはいえ、家同士の因縁がそう簡単に解消されるとは思えない。
「……何が目的でしょうか」
「さあ。ただの商売っ気かもしれませんし、他の意図があるやもしれません。念のため、お耳に入れておきたく」
バルトロさんが帰った後、フェリックスが真面目な顔で言った。
「レイモンド家、まだ何か企んでるかもな。油断すんなよ、ニコラス」
窓の外では夕日が校舎を赤く染めていた。商品化という一つの区切りを迎えたばかりだというのに、新しい影が忍び寄っている気配がする。
三年目の学園生活は、まだ始まったばかりだった。
(第42話へ続く)




