第2話「始まりの記憶」
「六つ以上だ……いや、まだあるかもしれん……」
呆然とつぶやく父の姿を見て、ニコラスはようやく、自分の中にある違和感の正体に気づき始めていた。
――そういえば、自分は一体、いくつのスキルを持っているのだろう。
考えてみれば、これまで一度も数えたことがなかった。ただ、必要だと思った技術を、必要な時に使ってきただけ。それだけのことのはずだった。
記憶は、遠い前世の終わりから始まっている。
前世の自分は、どこにでもいる平凡な会社員だった。三十を過ぎても特別な出世をするでもなく、かといって落ちこぼれるでもなく、毎日同じような満員電車に揺られ、同じようなオフィスで働いていた。過労か、それとも別の何かか――最期の記憶は驚くほど曖昧で、気づけば温かな光に包まれていた。
そして次に自覚を持った時には、赤ん坊としてこの世界――エルミアという名の世界、その一角にあるエルデシア王国の、小さなミレット村に生まれ落ちていた。
「元有名冒険者の子」として。
物心がつく前のことは、正直あまり覚えていない。赤ん坊の体は思うように動かず、言葉も話せず、ただ両親に抱かれ、兄と姉に見守られながら日々を過ごしていた記憶がおぼろげに残っているだけだ。
はっきりと自我を持って世界を見渡せるようになったのは、五歳を迎えた頃だった。
「ニコラス、そろそろ剣を持ってみるか」
父ヴィルにそう声をかけられた朝のことを、ニコラスは今でもよく覚えている。木でできた、子供用の小さな剣。それを両手で受け取った瞬間、不思議な高揚感が胸の中に広がったのを感じた。
前世で剣など握ったこともない。それなのに、体はどこか、正しい構え方を知っているような気がした。
「筋がいいな」
父は目を細めてそう言った。それは社交辞令ではなく、本心からの言葉のように聞こえた。
同じ頃、母エレーナからは魔法の手ほどきを受け始めた。
「魔力を、こう、指先に集めるの。感じる?」
エレーナはそう言って、自分の指先に淡い光を灯してみせた。勝気な性格の母だが、教える時の口調は驚くほど丁寧で、根気強かった。
ニコラスは言われた通りに、体の奥にある何かを指先に集めるイメージをしてみた。すると――ふわり、と。誰に教わったわけでもないのに、指先に小さな光が灯った。
「あら、もう……?」
エレーナが目を丸くする。五歳の子供が、初日でこれほどあっさりと魔力を制御できることは、決して普通ではなかった。だが当のニコラス本人は、それがどれほど特別なことなのか、まるで理解していなかった。
「できた! お母さん見て!」
無邪気にはしゃぐ息子の姿に、エレーナはただ目を細め、「すごいわね」と頭を撫でるだけだった。この時はまだ、誰もそこに疑問を持つことはなかった。
訓練は、剣術と魔法だけではなかった。
「歴史の勉強も大事よ。この世界のことを、ちゃんと知っておかないと」
そう言って母が持ってきたのは、エルミアの成り立ちや、エルデシア王国の歴史が記された分厚い本だった。計算や読み書きは、前世の記憶のおかげでほとんど苦労することがなかったニコラスにとって、この世界特有の歴史こそが、真に新しく学ぶべきことだった。
小規模ながらも、豊かな自然に恵まれたエルデシア王国。だが、国境の外に目を向ければ、決して平和な情勢とは言えなかった。隣接するいくつかの大国では、領土や資源を巡る争いが絶えず、時折その火の粉がエルデシアの周辺にまで及ぶこともあるという。
「うちの国は小さいけど、その分、変に他国に目をつけられにくいの。だからこそ、平和が保たれている面もあるのよ」
エレーナはそう説明しながら、どこか複雑な表情を浮かべていた。冒険者として各地を渡り歩いてきた彼女だからこそ、その言葉には実感が込もっていた。
五歳のニコラスは、まだその重みを本当の意味で理解してはいなかった。ただ、この世界が決して穏やかなだけの場所ではないのだと、漠然と胸に刻んでいた。
「にいさま、ぼくにも剣、教えて!」
稽古の合間、庭の隅からそう声をかけてきたのは、十歳になったばかりの兄、ジークだった。もっとも、ジークの得意分野は剣術ではなく魔法だ。両親のどちらにも似ていない、穏やかで飄々とした性格の兄は、剣の稽古よりも書物を読んでいる方がよほど楽しそうにしていた。
代わりに、剣を持ってニコラスの相手をしてくれたのは、七歳の姉、マリーだった。
「まだまだね、ニコラス!」
勝気な口調は、母エレーナによく似ている。剣を交えるたび、マリーは容赦なく弟をあしらった。もっとも、その容赦のなさの中にも、しっかりと年の離れた弟を気遣う優しさが滲んでいるのを、ニコラスは感じ取っていた。
こうして、ミレット村での穏やかな日々は過ぎていった。
剣を振り、魔力を練り、歴史を学び、家族と笑い合う。特別なことなど何もない、ただの田舎の少年の毎日――のはずだった。
だが、ニコラスの中で、何かが少しずつ、静かに積み重なっていっていた。
それが後に、父を、そしてこの国全体を驚かせることになるとは、この時の誰も、当のニコラス自身でさえも、想像していなかった。
(第3話へ続く)




