第156話 解き放たれた歌
ニコラスとレオポルトの掌が、同時に、巨大な水晶に触れた。
その瞬間、洞窟全体が、淡い光に、包まれた。二人の胸の奥の共鳴が、水晶の鼓動と、重なり合っていく。ニコラスの結晶と、レオポルトの血が、同じ旋律を、奏で始めた。
「……聞こえる」
レオポルトが、目を閉じたまま、呟いた。
「歌が、こんなに、はっきりと」
「俺もです。……これは、子守唄みたいだ」
水晶の内部から、澄んだ旋律が、静かに溢れ出していた。悲しくて、優しくて、どこまでも温かい。長い孤独の中で、守り手が、ずっと歌い続けてきた歌だった。
『ありがとう。二人とも。あとは、鎖を、解くだけ』
「どうすれば、いいですか」
『魔力の流れを、逆に、導いて。鎖が奪った力を、私に、返して』
ニコラスは、頷いた。『共鳴』の力を、水晶を縛る鎖へと、そっと向ける。黒い金属の鎖は、禍々しい魔力を帯びて、水晶から、力を吸い上げ続けていた。
「レオポルトさん、俺が、流れを読みます。あなたは、守り手さんの声に、耳を傾けてください」
「分かった」
二人の意識が、静かに、一つになっていく。鎖に繋がれた魔道具の一つ一つが、ニコラスの頭の中で、立体的な地図のように、浮かび上がった。
「ここ。この装置が、全ての吸い上げの、中枢です」
「僕が、そこへ、道を開く」
レオポルトが、水晶に、強く祈りを込めた。守り手の力が、彼の意志に応えて、鎖の中枢へと、流れ込む。黒い金属に、細かなひびが、走った。
その時、洞窟の入り口から、耳をつんざく轟音が、響いた。
「扉が、破られました!」
ハンスの叫びとともに、石の扉が、粉々に砕け散った。土煙の中から、ガルドを先頭に、兵士たちが、雪崩れ込んでくる。
「見つけたぞ! 皇帝を、殺せ!」
「させるか!」
カイが、二本の松明を振り回しながら、立ちはだかった。
「おいおい、松明で戦うのか?」
「他に、武器がないんだよ!」
「剣は、どうした」
「さっき、扉の破片で、柄が、折れた!」
ハンスが、呆れ顔で、叫んだ。
「カイ殿! 戦いに、集中を!」
「してる、してる!」
カイの松明が、突進してきた兵士の盾を、焦がした。兵士が、悲鳴を上げて、後ずさる。その隙に、ハンスが、鋭い剣捌きで、別の兵を、弾き飛ばした。
「ガルド隊長、これ以上は、無益です。陛下に、剣を向けるなど、帝国軍人として、恥を知りなさい!」
「黙れ、老いぼれ! 宰相閣下の命令は、絶対だ!」
ガルドが、大剣を振りかぶって、ハンスに襲いかかった。金属がぶつかり合う、甲高い音が、洞窟に響く。
「ぐっ!」
ハンスが、押し込まれる。その背後で、ニコラスは、鎖に意識を集中させ続けていた。
「あと、少し……!」
水晶の旋律が、一際、高くなった。鎖の中枢の装置が、軋むような音を立てて、砕け散る。黒い鎖は、一斉に、ばらばらと、崩れ落ちていった。
『……自由だ。私は、自由だ』
守り手の声が、涙で、震えていた。水晶が、眩い光を放つ。洞窟全体が、金色の輝きに、満たされた。
「うわっ、まぶしっ!」
カイが、目を覆う。ガルドの兵たちも、思わず、動きを止めた。光の中から、ゆっくりと、一つの人影が、形を成していく。
長い髪を持つ、半透明の、少女の姿。守り手の、本来の姿だった。
『私の名は、セレネ。長い間、忘れていた、私の名前』
「セレネ……」
レオポルトが、その名を、そっと呼んだ。守り手セレネは、微笑んで、二人の少年を見つめる。
『ありがとう、二人とも。……さあ、今度は、私が、あなたたちを、守る番』
セレネが、静かに、片手を掲げた。洞窟の天井から、無数の光の粒が、降り注ぐ。それは、兵士たちの剣を、盾を、そして、ガルドの大剣を、柔らかな光で包み込み、ふわりと、宙へ浮かせた。
「な、何だ、これは!?」
「武器が、勝手に!」
「手を、離せ!」
兵士たちが、慌てて武器を手放す。ガルドの大剣も、彼の手から、離れていった。無力化された兵士たちが、呆然と、立ち尽くす。
『命を奪う力は、使いません。ただ、争いの道具を、少しの間、預かるだけ』
セレネの優しい声が、洞窟に、響き渡った。ガルドが、歯を食いしばって、後ずさる。
「くそ……宰相閣下の、計画が……!」
「ガルド」
レオポルトが、一歩、前へ進み出た。
「僕は、全てを、知った。宰相が、僕を、どう扱ってきたかも。……それでも、僕は、君たちを、傷つけたくない。投降してくれ」
少年皇帝の声は、震えていたが、確かな威厳を、帯びていた。ガルドは、しばらく、黙っていた。やがて、がくりと、膝をついた。
「……降参、です」
兵士たちが、一斉に、武器を失ったまま、膝を折る。ハンスが、深く、息を吐いた。
「やれやれ。……肝を、冷やしましたぞ」
その時、洞窟の奥の、別の通路から、足音が、近づいてきた。
「ニコラス! 無事か!」
「レオンさん!?」
現れたのは、レオン、ミレーナ、そして、エルンスト大臣だった。岩壁の向こうから、別の通路を見つけて、駆けつけてきたのだ。
「全員、無事で、何よりだ。……しかし、これは」
レオンが、金色の光に包まれた洞窟を、呆然と見渡した。
だが、安堵の空気は、長くは、続かなかった。洞窟の外から、地響きのような、重い足音が、近づいてくる。
「……軍勢だ」
ミレーナが、青ざめた顔で、呟いた。入り口の向こうに、帝国軍の旗が、翻っているのが、見える。そして、その先頭に立つ、銀髪の男の姿が。
「宰相、ヴェルナー……」
ヴェルナーが、穏やかな、けれど、底冷えのする笑みを浮かべて、こちらを見つめていた。
第157話へ続く




