第153話 茂みの中の斥候
「……そこにいるのは、誰ですか」
ニコラスが、静かに声をかけると、茂みの揺れが、ぴたりと止まった。皇帝レオポルトが、はっと息を呑む。
「ヴェルナーの、手の者か……」
「いえ、待ってください。気配が、二つあります」
『探知』が、茂みの奥に、二つの人影を、捉えていた。一つは、気配を消すことに長けた、鋭い気配。そして、もう一つは、なぜか、気配が、ものすごく大きくて、落ち着きがない。
「……この、無駄に賑やかな気配は」
ニコラスは、嫌な予感に、こめかみを押さえた。そして、茂みに向かって、静かに告げた。
「カイさん、出てきてください」
しばらくの沈黙のあと、がさがさ、と音を立てて、茂みから、一人の青年騎士が、這い出てきた。全身に、木の葉を貼りつけ、頭には、なぜか、花飾りまで載せている。
「……バレたか」
「バレないと思ったんですか」
「いや、完璧な擬態だと思ったんだが……」
「花飾りが、浮いてます」
「それは、さっき、そこの花壇から」
「やめてください、皇帝陛下の庭園です」
皇帝レオポルトが、目を丸くして、カイを見つめていた。やがて、小さく、肩を震わせ始める。
「……ふふ」
「へ、陛下?」
「ごめん。こんなに、堂々とした盗み聞きは、初めて見たから」
「いやあ、盗み聞きじゃなくて、護衛です、護衛! ニコラスが心配で、つい!」
「それを、盗み聞きと言うんです」
和やかな空気が流れたのも束の間、ニコラスの『探知』が、もう一つの気配の動きを、捉えた。茂みの奥の、鋭い気配が、音もなく、遠ざかっていく。
「カイさん、もう一人、いました!」
「何だって!?」
カイが、咄嗟に、茂みの奥へ飛び込んだ。だが、そこには、すでに、誰もいなかった。足元に、小さな黒い布切れが、落ちているだけだった。
「ちっ、逃げられたか。手練れだな」
「……宰相の、影だ」
レオポルトが、静かに、呟いた。
「ヴェルナーは、僕の周りに、常に、見張りを置いている。今の会話も、おそらく、筒抜けだ」
「そんな……」
「だが、構わない。僕は、もう、決めたんだ」
少年皇帝の目には、確かな覚悟の光が、宿っていた。ニコラスは、小さく息を吐いた。
「分かりました。ですが、一人では、決められません。使節団の皆さんにも、相談させてください」
その夜、宿舎の一室で、エルンスト大臣、レオン、ミレーナ、カイ、ニコラスの五人が、膝を突き合わせた。
「……つまり、皇帝陛下ご自身が、北の遺跡への同行を、望んでおられると」
エルンスト大臣が、ニコラスの報告を聞き終えて、腕を組んだ。
「はい。陛下は、宰相に操られている、という噂は、事実に近いようです」
「しかし、これは、危険な賭けだ。宰相ヴェルナーは、既に、我々の動きを警戒している」
レオンが、険しい顔で言う。ミレーナも、静かに頷いた。
「北方遺跡には、ガルメア要塞と同じ、古代の力が眠っている可能性が高い。もし、宰相が、それを、手中に収めようとしているなら」
「放っておけば、また、同じ悲劇が繰り返されます」
ニコラスの言葉に、一同が、深く頷いた。しばらくの沈黙のあと、エルンスト大臣が、ゆっくりと、口を開いた。
「ならば、正攻法で、攻めよう」
「正攻法、ですか?」
「停戦協定の条文に、『古代遺跡の、両国共同調査』を、盛り込むのだ。名目は、ガルメア要塞のような悲劇を、二度と繰り返さないため。宰相が、これを拒めば、何かを隠していると、自ら認めることになる」
その言葉に、ミレーナが、目を輝かせた。
「なるほど。公式な枠組みの中で、北方遺跡へ、堂々と、立ち入れるわけですね」
「その通りだ。ただし、ニコラス君。君の役割は、重い。守り手と対話できるのは、君だけだ」
「……分かっています」
「そして、皇帝陛下の同行を、実現させるには」
エルンスト大臣が、にやりと、笑った。
「陛下ご自身に、会議の場で、共同調査への賛成を、表明していただく。宰相も、皇帝の意見を、公の場で、無下にはできまい」
「大臣、さすがです」
「外交とは、そういうものだよ、ニコラス君」
エルンスト大臣の目に、老獪な光が、宿っていた。カイが、感心したように、口笛を吹く。
「かっこいいな、大臣。俺、今、少しだけ、尊敬した」
「少しだけ、とは何だ」
「あ、いや、かなり、です!」
翌朝、再開された会議で、エルンスト大臣は、共同調査の提案を、堂々と、口にした。ヴェルナーの笑みが、ほんのわずかに、強張る。
「古代遺跡の、共同調査、ですか。それは、また、大胆なご提案ですな」
「ガルメア要塞の悲劇を、二度と、繰り返さないために」
「しかし、遺跡の調査には、様々な機密事項が」
「僕は、賛成だ」
静かな声が、ヴェルナーの言葉を、遮った。皇帝レオポルトが、背筋を伸ばして、はっきりと、告げていた。
「古代の遺跡は、人類の遺産だ。一国が独占すべきではない。エルデシア王国との共同調査を、僕は、望む」
会議室が、静まり返った。ヴェルナーが、じっと、皇帝を見つめる。長い、長い沈黙のあと、宰相は、ふっと、微笑んだ。
「……皇帝猊下の、御意志とあらば」
意外なほど、あっさりとした承諾だった。ニコラスは、胸の奥の共鳴が、強く警鐘を鳴らすのを、感じていた。この男は、何かを、企んでいる。
「共同調査の出発は、二日後といたしましょう。護衛は、私どもで、手配いたします」
ヴェルナーの穏やかな笑みの奥に、底知れない影が、揺れていた。
第154話へ続く




