第150話 帝国への道
出発の朝、王都の北門には、見送りの人々が集まっていた。
「ニコラス、これを持っていきなさい」
シャルロットが差し出したのは、小さな刺繍入りの布袋だった。中には、乾かした薬草と、手書きの短い手紙が入っている。
「緊張した時に、嗅ぐといいわ。……それと、手紙は、帝国に着いてから読むこと」
「ありがとう。大切にするよ」
「あと、お辞儀の角度、忘れてないでしょうね」
「……三倍、深く、長く」
「よろしい」
満足げに頷くシャルロットの後ろで、フェリックスが、大きな木箱を荷馬車に積み込んでいた。
「帝国向けの手土産、一式だ! 王国特産の茶葉に、保冷魔道具の最新型、それから」
「フェリックス、荷物が多すぎないか? 使節団の馬車が、潰れるぞ」
「大丈夫、大丈夫! 商人の勘が、そう言ってる!」
「それは、根拠になってないぞ」
呆れ顔のレオンの傍らで、ソフィアが、ニコラスに小さな包みを手渡した。
「ニコラスさん、予備のランプです。今度は、もっと軽くしました」
「ありがとう、ソフィア。大事に使うよ」
見送りの声に手を振って、使節団の馬車列は、ゆっくりと、王都を後にした。
馬車の中は、重苦しい沈黙に包まれていた。向かいの席には、外務大臣エルンストが、腕を組んで、目を閉じている。隣のカイが、ひそひそ声で、ニコラスに囁いた。
「なあ、あの大臣、ずっとあの顔なのか?」
「たぶん、そうだと思います」
「怖えよ。俺、息するのも気を遣うんだけど」
「カイさん、その箒、車内に持ち込むのはやめましょう」
「だって、手放せないんだよ。二代目だぞ?」
エルンスト大臣の眉が、ぴくりと動いた。
「……君たちは、いつも、こうなのかね」
「あ、いえ、その、すみません!」
「謝る必要はない。ただ、緊張感に欠けるのではと思っただけだ」
冷ややかな声に、馬車の中が、再び静まり返った。ニコラスは、じっと窓の外を見つめ、小さくため息をついた。
三日目の夕方、一行は、街道沿いの宿場町に、到着した。その時、先頭の馬車が、突然、大きく傾いた。
「どうした!?」
「車軸が、折れかけています! このままでは、走行不能です!」
御者の悲鳴に、一同が馬車から降りる。大臣の乗る馬車の車軸が、ひび割れて、今にも砕けそうになっていた。
「予備の車軸は、あるか」
「荷の中に、ありますが、取り付けには、数時間かかります」
「それでは、明朝の出発に、間に合わんな」
エルンスト大臣が、苛立ちを隠さずに、呟く。ニコラスは、そっと、馬車の車軸に近づいた。『解析』を発動させて、ひびの走り方を読み取る。
「大臣、少し、よろしいでしょうか」
「何だね、小僧」
「この車軸、応急処置で、補強できるかもしれません。少しだけ、時間をいただけませんか」
「君に、何ができるというのだ」
「やってみないと、分かりません。ただ、失敗しても、予備の車軸の交換時間が、遅れるだけです」
大臣は、しばらく、じっとニコラスを見つめた。やがて、無言で、顎を動かした。許可の合図だった。
ニコラスは、車軸の割れ目に手を当て、『属性付与』で、金属を一時的に固定した。さらに、『解析』で、ひびの全体を読み取り、最も負荷のかかる箇所に、補強の術式を重ねる。
「……できました。これで、帝国まで、十分に、持つはずです」
「馬鹿な。こんな短時間で」
御者が、目を丸くして、車軸を叩いて確かめる。確かに、びくともしない。エルンスト大臣は、何も言わず、ただ、深く、息を吐いた。
その夜、宿の食堂で、大臣が、ニコラスの向かいの席に、静かに腰を下ろした。
「……先ほどは、失礼なことを言った」
「いえ、そんな」
「私が、君の同行に反対した理由を、話しておこう」
大臣は、手元の杯を、じっと見つめた。
「私には、息子がいた。君と同じくらいの年で、才能に溢れた若者だった。かつて、陛下の特使として、他国へ赴き……そのまま、戻らなかった」
ニコラスは、息を呑んだ。大臣の声は、淡々としていたが、その奥に、深い痛みが滲んでいた。
「政治の場は、若い才能を、容赦なく飲み込む。だからこそ、君のような少年を、そこへ連れて行くことに、私は、強く反対した。……もっとも、それは、私の私情に過ぎない」
「大臣……」
「君は、今日、自分にできることで、私たち全員を助けた。それは、認めざるを得ない」
エルンスト大臣は、ふっと、わずかに、口元を緩めた。
「君を、使節団の一員として、正式に認めよう。ニコラス君」
「……ありがとうございます」
その時、隣の席から、すすり泣く声が聞こえた。振り向くと、カイが、箒を抱えて、目を潤ませている。
「いい話じゃねえか……俺、こういうの、弱いんだよ……」
「カイ、うるさい」
「だって、レオン……」
「食事中は、静かにしろ」
エルンスト大臣が、ほんの少しだけ、肩を揺らして、笑った。
数日後、使節団の馬車列は、国境の関所に、辿り着いた。その向こうには、広大な帝国の大地が、広がっている。
関所の前で待っていたのは、帝国軍の兵士たちと、その先頭に立つ、見覚えのある年配の男だった。
「お待ちしておりました、エルデシア王国使節団の皆様」
「ハンス殿」
レオンが、驚きの声を上げる。ガルメア要塞で、停戦を申し入れた、あの副官だった。ハンスは、深々と頭を下げると、静かに、顔を上げた。
「私が、帝都までの案内役を、務めさせていただきます。……そして、一つ、先に、お伝えしなければならないことが」
ハンスの声が、一段と低くなった。
「帝都には、宰相ヴェルナー閣下が、おられます。皇帝猊下を操っている、と噂される人物です。……どうか、お気をつけください」
第151話へ続く




