第146話 帰還の街道
夜明けの荒野で、レオンと帝国軍の副官は、花畑のただ中に腰を下ろして、話し合いを続けていた。
「私の名は、ハンスという。将軍ゼノンの副官を務めてきたが、今回の計画の全貌は、正直に言って、知らされていなかった」
年配の副官は、疲れた表情で、そう切り出した。
「国境付近に、軍を集めるよう命じられた。魔晶石の搬送を、秘密裏に進めるよう命じられた。我々は、ただ従っただけだ」
「……それで、満足していたのか」
「満足など、していなかった。だが、軍人にとって、上官の命令は、絶対だ」
ハンスは、苦々しく、笑った。
「しかし、あの光を見て、考えが変わった。我々が仕えていたのは、本当に、守るべきものだったのか、と」
荒野に咲き乱れる花々を見つめて、ハンスは、深い息を吐いた。
「エルデシア王国に、正式に、停戦を申し入れたい。我が軍の兵は、ゼノン将軍の命令なしには、動かない。このまま、撤退させよう」
「……ありがたい。だが、ゼノンの身柄は、我々が預からせてもらう」
「構わない。……いや、むしろ、頼みたい」
ハンスが、頭を下げた。その様子を、少し離れた場所で見ていたカイが、こそこそと、ニコラスに耳打ちした。
「なあ、ニコラス。レオンの奴、いつの間に、あんなに外交官みたいになったんだ」
「元から、そういう人だと思いますよ」
「いや、俺の知ってるレオンは、もっとこう、堅物でむっつりで、冗談の通じない奴だったぞ」
「聞こえているぞ、カイ」
背後から、冷ややかな声が飛んできて、カイは、ぴたりと固まった。
「あ、いや、これは、その、褒め言葉で」
「後で、じっくり聞かせてもらおう」
ミレーナが、口元を押さえて、肩を震わせている。ニコラスも、思わず、笑ってしまった。
こうして、国境での交渉は、拍子抜けするほど、あっさりと、まとまった。帝国軍は、ハンスの指揮の下、要塞跡から静かに撤退していく。ゼノンは、頑なに口を閉ざしたまま、騎士団の護送馬車に、乗せられた。
帰りの街道は、行きとは打って変わって、穏やかだった。国境の関所では、レオンが、事情を説明すると、守備兵たちは、驚きのあまり、しばらく声も出せなかった。
「まさか、本当に、あのガルメア要塞を……」
「いえ、我々だけの力ではありません。そちらの、小さな少年のおかげです」
レオンが、ニコラスを指差す。守備兵たちの視線が、一斉に、ニコラスに集まった。
「え、あ、いえ、俺は、ただ」
「ほう、この少年が?」
「……ずいぶん、若いな」
「あの、本当に、みんなで頑張っただけで」
慌てて両手を振るニコラスの背中を、カイが、ばしばしと叩いた。
「謙遜するな! 今回の主役は、間違いなく、お前だ!」
「カイさんの箒だって、大活躍でしたよ!」
「そうだろう、そうだろう!」
カイが、得意げに胸を張る。その手には、まだ、折れた箒の柄が、握られていた。
ハルベルクの街に戻ると、守備隊長が、驚愕と安堵の入り混じった表情で、一行を出迎えた。事の顛末を報告すると、守備隊長は、深々と、頭を下げた。
「皆さんのおかげで、街が、守られました。何と、感謝すればいいか……」
「感謝されるほどのことは、していません。ただ、これからが大変です。王都への報告と、帝国との外交交渉が、待っています」
レオンが、冷静に、告げる。ニコラスは、その傍らで、静かに、頷いた。
「ところで、その箒の柄ですが」
守備隊長が、ふと、カイの手元に視線を向けた。
「よろしければ、詰所に飾らせていただけませんか。『要塞の危機を救った、英雄の箒』として」
「え、いいのか!?」
カイの目が、ぱっと輝いた。
「ぜひ! 台座も、立派なものを用意しますので」
「やった! 聞いたか、レオン! 俺の箒が、英雄だぞ!」
「……好きにしろ」
レオンが、こめかみを押さえて、深いため息をつく。ミレーナとニコラスは、顔を見合わせて、こらえきれずに笑った。長い戦いの果てに訪れた、ささやかで、温かい時間だった。
その夜、ニコラスは、宿の一室で、一人、手紙を書いていた。
『シャルロットへ
約束通り、無事に、生きて帰ります。
詳しいことは、直接会って話します。けれど、一つだけ、先に伝えたいことがあります。ソフィアのランプが、たくさんの人を、救いました。
ソフィアに、そう伝えてください。ありがとう、と。
お土産は、ちょっと、変わったものになりそうです。
ニコラス』
ペンを置いて、窓の外を見上げる。ほとんど欠けのない月が、静かに、夜空に浮かんでいた。数日前までは、満月の夜が、世界の運命を決めるはずだった。けれど、今は、ただ、穏やかに、街を照らしている。
掌の中の小さな結晶が、ほんのりと、温かい。
「……おやすみ、守り手さん」
小さく呟いて、ニコラスは、静かに目を閉じた。
翌朝、宿の扉が、慌ただしく叩かれた。
「ニコラス殿! 王都からの、急使です!」
飛び込んできた兵士が、一通の、立派な封書を差し出す。封蝋には、エルデシア王国の、王家の紋章が、刻まれていた。
「国王陛下からの、直々の召喚状です。至急、王都へ、参上せよ、とのことです」
レオンとミレーナが、顔を見合わせた。ニコラスは、封書を握りしめたまま、小さく、息を呑んだ。
第147話へ続く




