第140話 商人一行、国境を越える
「いいか、各自、自分の役割を頭に叩き込め。この通行許可証は、捕らえた頭目が持っていたものだ。これを使って、商人の一団に成り済まし、国境を越える」
地図を広げたレオンが、真剣な顔で一同を見回した。守備隊長の協力で、取り上げた商人たちの荷馬車と許可証を借り受けることができたのだ。
「俺は、護衛頭だ。ミレーナは、帳簿係。ニコラスは、荷運びの見習い」
「了解です」
「ちょっと待ってくれ。俺の役割は?」
手を挙げたカイに、レオンが、一瞬だけ視線を向けて、すぐに逸らした。
「……お前は、何も喋らない、荷運びだ」
「はあ!? なんでだよ!」
「前回の変装で、自分が何をやらかしたか、思い出してみろ」
「あれは、状況が特殊だったんだ!」
「『通りすがりの、ただの、善良な商人』と自己紹介する奴に、言葉を任せられるか」
「うぐっ」
ミレーナが、肩を震わせて笑いを堪えている。ニコラスも、顔を背けて、必死に口元を押さえた。
「いいか、カイ。国境の関所では、一言も喋るな。聞かれても、首を縦か横に振るだけだ。分かったな」
「……分かったよ。でも、口を縛られると、息が詰まるんだよなあ」
「その調子で、息も詰めておけ」
そんな和やかな、そして不安もたっぷり詰まった作戦会議を終え、一行は、荷馬車を連ねて、国境へ向かって出発した。
荷馬車の中身は、普通の鉱石に入れ替えてある。万が一、検査をされても、怪しまれることはないはずだ。ニコラスは、荷台の端に腰掛けながら、周囲の気配に、意識を向けていた。
国境の関所は、石造りの門と、数人の兵士で守られていた。レオンが、堂々とした足取りで、門番に近づいていく。
「ハルベルクより参った、鉱石商人の一行だ。通行許可証を、確認してくれ」
「……ああ、ご苦労。最近、この関所を、よく通る連中だな」
門番は、許可証に目を通すと、荷馬車の方へ視線を向けた。ニコラスは、胸の鼓動が早くなるのを感じながら、『共鳴』の力を、微かに働かせた。
門番の心の動きまでは分からない。けれど、周囲を満たす魔力の流れから、緊張や警戒の色が、なんとなく伝わってくる。この門番は、さほど疑っていない。そう直感した。
「荷を、見せてもらおうか」
「どうぞ。ただの鉱石ですがね」
兵士の一人が、荷台に上がり、木箱の蓋を開ける。ニコラスは、息を殺して、その様子を見守った。
そこへ、不意に、隣のカイが、ごくりと唾を飲み込んだ。
「……おい、そこの荷運び。何か、言いたいことでもあるのか」
門番の鋭い視線が、カイに向けられる。カイは、首を、ぶんぶんと横に振った。
「顔色が悪いぞ。具合でも悪いのか」
首を、ぶんぶんと縦に振る。
「おい、どっちだ」
首が、縦と横を、交互に振られ始めた。ニコラスは、頭を抱えたい衝動を、必死に堪えた。
「あー、失礼。こいつは、少し、頭が足りない奴でして」
レオンが、すかさず助け舟を出した。
「長旅で疲れているところに、緊張が重なると、こうなるんです。気にしないでやってください」
「……そうか。まあ、大変だな」
門番が、どこか同情するような目を、カイに向ける。カイは、ぐぬぬと、唇を噛み締めていた。
「通っていいぞ。気をつけてな」
「ありがとうございます」
荷馬車が、ゆっくりと関所を抜けていく。門が見えなくなったところで、レオンが、大きくため息をついた。
「……カイ」
「違う、今のは、不可抗力だ!」
「頭が足りない奴、という設定は、なかなか効果的だったな」
「ひどい!」
ニコラスとミレーナが、とうとう、堪えきれずに吹き出した。さっきまでの緊張が、嘘のように解けていく。
「ところで、カイさん。もう、喋っても大丈夫ですよ」
「やっと解禁か! 長かった、本当に長かったぞ!」
「国境を越えたばかりなのに、そんな大声を出さないでください」
「あ、すまん。……で、さっきの俺の演技、どうだった? 迫真だっただろ?」
「迫真というか、本当に具合が悪そうでした」
「それは褒め言葉だよな?」
誰も答えなかった。
国境を越えて二日。街道を進むうちに、景色は少しずつ、見慣れないものへと変わっていった。乾いた大地に、背の低い灌木が点在し、遠くには、険しい岩山が連なっている。
やがて、荷馬車の列は、丘の上に差し掛かった。その向こうに広がる光景に、全員が、息を呑んだ。
荒野の中央に、巨大な石造りの要塞が、そびえ立っていた。ガルメア要塞。何重もの城壁と、天を突く見張り塔が、夕日に赤く染まっている。
「あれが……」
ミレーナの声が、掠れた。
その瞬間、ニコラスの体の奥で、これまでにない激しい共鳴が、起こった。要塞の中から、膨大な魔力の波が、津波のように押し寄せてくる。魔晶石の脈動が、無数に重なり合って、一つの巨大な心臓のように、鼓動していた。
「……っ、すごい数だ。何千……いや、それ以上」
「ニコラス、大丈夫か」
「大丈夫、です。でも、それよりも」
ニコラスは、要塞の最奥を、じっと見つめた。魔晶石の鼓動の、さらに奥。そこに、何か、巨大で、冷たい意志のようなものが、静かに息づいている。
「あの中に、魔晶石とは別の、何かが、いる」
その言葉に、一行の間に、重い沈黙が落ちた。夕日が、要塞の影を、長く、長く、荒野に伸ばしていく。
次の満月まで、あと一日。
第141話へ続く




