第139話 遠い声
「今すぐ、王都へ戻らせてください」
書状を読み終えたニコラスは、気づけば、そう口にしていた。レオンが、静かに首を振る。
「落ち着け。気持ちは分かるが、ここから王都まで、早馬でも三日はかかる。お前が戻った頃には、全てが片付いているか、手遅れになっているかのどちらかだ」
「でも、ソフィアが、シャルロットが……!」
「だからこそ、冷静になれ」
レオンの低い声が、ニコラスの焦りを、静かに押さえ込んだ。
「ハルベルクの守備隊には、王都と繋がる遠距離通信用の魔道具がある。まずは、そちらで安否を確かめよう」
案内された詰所の奥の部屋には、古めかしい水晶板が据えられていた。ミレーナが、慣れた手つきで魔力を流し込むと、板の表面が、淡い光を帯びて揺らぎ始める。
『……こちら、王都騎士団本部。調査隊ですか?』
「レオンだ。ニコラスを連れている。魔道具研究院の件、詳細を知りたい」
少しの間があって、水晶板の向こうから、聞き慣れた声が飛び込んできた。
『ニコラス!? 本当にニコラスなの!?』
「シャルロット!?」
思わず、水晶板に身を乗り出してしまう。向こう側から、慌ただしい物音と、どたどたという足音が響いた。
『ちょっと、ソフィア、どいて! 私が先に話すんだから!』
『わ、私も、ニコラスさんと話したいです!』
『落ち着きなさい、二人とも。通信の時間は限られているんですから』
聞き覚えのある、クラリスの声まで混じっている。水晶板の向こうが、騒がしい賑やかさに包まれていく。
「……みんな、無事なんだね」
『当たり前でしょう! 私たちが、そう簡単にやられると思ってるの?』
シャルロットの声は、いつもの強気を保っていたが、よく聞くと、わずかに震えていた。
『侵入があったのは、研究院の資料室よ。負傷したのは、夜勤の若い研究員さん。幸い、命に別状はなかったわ』
「ソフィアは?」
『私は、無事です。その時間は、もう寮に戻っていましたから』
ソフィアの声は、落ち着いていたが、どこか沈んでいた。
『ただ……持ち去られたのが、私とローランドさんが進めていた、魔力蓄積効率の研究資料だったんです』
その言葉に、ミレーナが、息を呑んだ。
「魔力蓄積の研究、ですか」
「それって、魔晶石の……」
「ええ。魔晶石に、より多くの魔力を、安定して溜め込む技術に、直結する研究です」
ミレーナの顔が、険しくなる。ニコラスの頭の中で、全ての点が、一本の線に繋がった。隣国は、魔晶石を大量に集めるだけではなく、その性能を高める技術まで、手に入れようとしているのだ。
『あなたたちが、国境で何を見つけたのかは、まだ聞いていないけれど』
シャルロットが、声を落として続ける。
『ひとつだけ、言っておくわ。戻ってこようなんて、考えないでね』
「えっ」
『あなたのことだから、すぐに飛んで帰ってこようとするでしょう。でも、ここは、クラリスさんたちと騎士団が、きちんと守っているの。あなたが戻っても、できることは、ほとんどないわ』
「でも」
『あなたには、あなたにしかできない仕事があるんでしょう。だったら、それを、最後までやり遂げなさい』
シャルロットの言葉は、厳しかったが、その奥にある信頼が、はっきりと伝わってきた。
「……分かった。ありがとう、シャルロット」
『当たり前よ。……それと』
「それと?」
『無事に帰ってきたら、お土産と一緒に、ちゃんと、報告してもらうからね』
「うん。約束する」
通信が切れると、部屋に静寂が戻った。ニコラスは、水晶板の前で、しばらく動かなかった。
扉の陰から、カイが、そっと顔を覗かせた。
「……いやあ、聞くつもりは、なかったんだけどな。いい声だったぜ、あのお嬢さん」
「カイさん、いつからそこに」
「最初から。いや、安否確認の邪魔をしちゃ悪いと思って、息を潜めてた」
「息を潜めるのだけは、得意なんだな、お前は」
レオンの皮肉に、カイが、へへっと笑う。いつもなら言い返すところだが、今日ばかりは、ニコラスも、小さく笑い返すことができた。張り詰めていた心が、少しだけ、ほぐれていく。
「いい仲間だな」
レオンが、ぽつりと呟いた。
「はい。……自慢の、仲間です」
「なら、期待に応えなければならんな。ミレーナ、昨夜、河原に取り残されて捕らえた商人の頭目は、どうなっている」
「尋問を始めています。ただ、口を割る気配は、まだありません」
「……俺が、少し、話をしてみましょうか」
ニコラスが名乗り出ると、レオンが、驚いたように目を向けた。
「どういうことだ」
「魔晶石に触れて、気づいたことがあるんです。あの石は、運ばれてきた経路の記憶を、微かに残していて……」
『共鳴』の力で、昨夜の魔晶石に触れた時、いくつかの風景が、脳裏に流れ込んできたのだ。険しい山並み、石造りの巨大な砦、そして、夜空に浮かぶ満月。
ニコラスが、見えた光景を語り終えると、ミレーナの目が、鋭く輝いた。
「それは、おそらく、国境の向こうにある、ガルメア要塞です。隣国の軍の、重要拠点の一つのはず」
「満月の夜、というのが気になるな。次の満月まで、あと三日だ」
レオンが、地図の上に、指を滑らせた。
「その夜に、何かが起きる。……我々は、先回りしなければならない」
窓の外では、朝日が、国境の山々を、赤く染め始めていた。ニコラスは、手の中の小さなランプを握りしめ、静かに、覚悟を固めた。
第140話へ続く




