第137話 八つ目の鼓動
河原を取り囲む隣国軍の兵は、およそ三十人。対するこちらは、ニコラスを含めて四人だけだった。
「ははは、これは参ったな。数的不利にもほどがある」
そう言いながらも、カイの口元には、不敵な笑みが浮かんでいる。レオンが、ゆっくりと剣を抜いた。
「泣き言は後だ。ミレーナ、後方支援を頼む。カイは、俺と前衛に立て」
「了解です」
「へいへい。ま、こういう時こそ、斥候の真価が問われるってもんだ!」
「お前の真価は、さっき足を滑らせた時点で、疑わしかったが」
「それは言わないでくれ!」
軽口を交わしながらも、二人の動きは、無駄がなかった。敵兵が一斉に動き出した瞬間、レオンの剣が、先頭の兵の槍を弾き飛ばし、カイが、その隙間に滑り込むように踏み込んで、二人目の足を払う。
「ニコラス、積荷を頼む!」
「はい!」
ニコラスは、荷馬車へ向かって駆け出した。『加速』を発動させ、敵兵の間をすり抜けていく。背後では、ミレーナの放った魔法の光が、夜の河原を白く染め上げていた。
荷馬車に辿り着くと、護衛の男が、剣を振り上げて立ちはだかる。ニコラスは、身体強化で踏み込み、柄の部分で相手の手首を打ち据えた。男の剣が、石の上に落ちる音が響く。
「悪いけど、ちょっと通してもらいます」
荷台に飛び乗ると、積み上げられた木箱の中から、強烈な魔力の波動が、肌を刺すように伝わってきた。亀裂の入った三つの魔晶石が、不穏な光を明滅させている。
「まずい……もう、限界が近い」
その時、河原の奥から、低い声が響いた。
「そこまでだ、騎士団の犬ども」
軍装に身を包んだ、長身の男が、ゆっくりと歩み出てきた。肩に掛けた外套には、隣国の将校を示す紋章が、金糸で刺繍されている。
「その荷に、一歩でも近づけば、この場で全てを吹き飛ばす」
男が、懐から取り出した小さな魔道具を、高く掲げた。魔晶石に刻まれた術式と繋がる、起爆用の装置だ。
「馬鹿な、ここで暴走させれば、貴様らの兵も巻き込まれるぞ!」
レオンが叫ぶ。だが、男は、薄く笑うだけだった。
「我らは、すでに退避の準備を終えている。巻き込まれるのは、貴様らだけだ」
護衛の兵たちが、一斉に後退を始める。罠だったのは、待ち伏せだけではない。最初から、騎士団ごと、積荷を爆破させるつもりだったのだ。
「やられたな……!」
カイが、歯噛みする。ミレーナが、必死に解除の術式を編もうとしているが、間に合う気配はなかった。
荷台の上で、ニコラスは、目を閉じた。魔晶石の脈動が、自分の鼓動と、重なって聞こえる。
――止められる。
理由は分からなかった。けれど、確信があった。ずっと胸の奥で燻っていた違和感が、今、はっきりと形を成そうとしている。
「起爆」
男の声と同時に、魔道具が、赤く輝いた。
次の瞬間、全ての魔晶石から、まばゆい光が溢れ出した。河原が、昼間のように白く染まる。
だが、爆発は、起こらなかった。
「……何?」
男の驚愕の声が、静寂の中に響く。荷台の上で、ニコラスは、両手を広げて立っていた。その掌から、淡い光の糸が伸びて、暴走しかけた魔晶石の一つ一つに、繋がっている。
「大丈夫、落ち着いて。……君たちは、そんなことをするための石じゃない」
ニコラスの唇から、無意識に、言葉がこぼれた。光の糸が、静かに脈打つたび、魔晶石から溢れていた魔力が、穏やかな波となって、彼の体へと流れ込んでいく。
膨大な魔力が、体内を駆け巡る。普通なら、耐えられないほどの量のはずだった。けれど、不思議と、苦しさはない。まるで、ずっと昔から、この力の使い方を知っていたかのようだった。
やがて、魔晶石の光が、静かに消えていった。亀裂も、まるで時間が巻き戻るかのように、塞がっている。
河原に、深い静寂が訪れた。
「馬鹿な……起爆術式を、無効化しただと?」
将校の男が、呆然と呟く。その手の中で、魔道具が、煤けた音を立てて崩れ落ちた。
「これが……俺の、八つ目の力……?」
ニコラス自身も、掌を見つめて、呆然としていた。体の奥で、確かな鼓動が、静かに続いている。それは、七つのスキルとは、明らかに違う、もう一つの心臓のような感覚だった。
「……退くぞ」
将校の男が、低く告げた。悔しさを隠しきれない声だった。
「小僧、名前を聞いておこう」
「ニコラス・ローウェル、です」
「覚えておこう。……王都にも、我らの目は、すでに届いている。その力、決して、安全ではないぞ」
不穏な言葉を残して、男は、闇の中へと消えていった。残された兵たちも、一人、また一人と、撤退していく。
「……終わった、のか」
カイが、剣を下ろして、その場にへたり込んだ。レオンとミレーナが、荷台のニコラスを、驚愕の表情で見上げている。
「ニコラス、今のは、一体……」
レオンの問いに、ニコラスは、答えることができなかった。ただ、夜空を見上げて、静かに、息を吐く。
空には、満天の星が、何事もなかったかのように、瞬いていた。
第138話へ続く




