第132話 旅立ちの支度
出発までの十日間は、ニコラスの予想を遥かに超える慌ただしさで過ぎていった。
「まず必要なのは、携行食と水筒、それから防寒具ね。国境付近は、夜になるとかなり冷え込むらしいわ」
宿の一室に広げられた地図を前に、シャルロットが、てきぱきと指示を飛ばしている。ニコラスは、メモを取りながら、素直に頷くだけだった。
「ありがとう、助かるよ。正直、何を準備すればいいのか、さっぱりで」
「でしょうね。あなた、前に遺跡へ行った時も、ほとんど手ぶらだったって聞いたわよ」
「あれは、日帰りの予定だったから……」
「言い訳は、禁止」
ぴしゃりと言われて、ニコラスは小さくなった。その時、扉が勢いよく開いて、大きな荷物を抱えたフェリックスが飛び込んできた。
「お待たせー! 商人フェリックス、特急配達だぞー!」
「フェリックス? どうしてここに」
「シャルロットから聞いたんだよ。ニコラスが危険な旅に出るって。だから、うちの商会から、選りすぐりの品を持ってきたんだ!」
フェリックスが、ばさりと布を広げると、保存食、薬草、携帯用の調理器具などが、ずらりと並んだ。どれも品質は申し分ないが、値札がやけに目に入る。
「これ、全部でいくらになるの?」
「友人価格で、このくらい」
提示された金額に、ニコラスは目を丸くした。
「友人価格でも高いんだけど!?」
「何を言ってるんだ。これでも、仕入れ値ギリギリなんだぞ。ほら、命を守る道具に、ケチるべきじゃないだろ?」
「うっ……それは、確かに」
「それに、今回は特別に、『無事に帰ってきたら、商会の宣伝に協力する』って約束してくれれば、半額にしてやる!」
「結局、宣伝に使われるの!?」
「当たり前だろ。『国王陛下お墨付きの冒険者が愛用する保存食』なんて、最高の売り文句じゃないか」
シャルロットが、呆れた顔で額を押さえた。
「フェリックス、あなた、本当に商人根性が染みついてるわね……」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
結局、ニコラスは、宣伝協力の約束と引き換えに、半額で品物を手に入れた。我ながら、うまく丸め込まれた気もするが、実際、品質は確かなものだった。
出発の三日前には、ソフィアが、研究室から駆けつけてきた。
「ニコラスさん、これ、使ってください」
差し出されたのは、手のひらに収まるほどの、小さなランプだった。
「これって、小型ランプの試作品?」
「はい。魔力蓄積の効率を上げた、最新型です。夜営の時に、きっと役に立つと思って」
ソフィアが、少し照れくさそうに微笑む。
「しかも、持続時間は、従来の三倍以上あります。ローランドさんと一緒に、徹夜で調整したんです」
「徹夜って、体は大丈夫なの?」
「大丈夫です。むしろ、完成した時は、嬉しくて眠れなかったくらいで」
ソフィアの目の下には、うっすらと隈が浮かんでいた。ニコラスは、小さなランプを両手で受け取り、胸に熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「ありがとう、ソフィア。大切に使うよ」
「ちゃんと、帰ってきてくださいね。壊れたら、直しますから」
「壊す前提なんだ」
「ニコラスさんなら、あり得ますから」
穏やかな口調で痛いところを突かれて、ニコラスは苦笑するしかなかった。
さらに、ミレット村の実家からも、手紙と荷物が届いた。母エレーナの手紙は、短く、力強かった。
『無茶をするなとは言わないわ。ただし、無茶をするなら、必ず生きて帰ってきなさい。あなたは私たちの自慢の息子なんだから』
父ヴィルの手紙は、もう少し穏やかだった。
『お前の力は、たくさんの人を守れる。だが、一番守るべきなのは、お前自身だ。それを忘れるな』
兄のジークと姉のマリーからは、それぞれ、お守りが同封されていた。ジークのお守りには魔除けの術式が、マリーのお守りには、「迷ったら突っ込め」と、物騒な一言が添えられている。
「姉さん、これ、アドバイスとしては最悪だよ……」
思わず笑いが漏れたが、同時に、家族の温かさが、じんわりと胸に染み込んでいく。エミリーとガレス、ルーカスからも、励ましの手紙が届いた。仲間たちの想いが、ニコラスの荷物を、少しずつ重く、そして温かくしていった。
そして、出発の日の朝。
王都の北門の前には、すでに調査隊の面々が集まっていた。レオンが、片手を挙げて、ニコラスを迎える。
「来たな、ニコラス。紹介しよう。今回の調査隊の仲間だ」
「斥候担当のカイだ! よろしくな、噂の勲章持ち!」
陽気に笑う青年騎士が、ニコラスの肩をばしばしと叩いた。
「魔術師のミレーナです。解析魔術の専門家として、同行させていただきます」
落ち着いた物腰の女性魔術師が、丁寧に頭を下げる。
「ニコラス・ローウェルです。皆さん、どうぞよろしくお願いします」
「おお、礼儀正しいな! 噂では、遺跡のゴーレムと握手したって聞いたぞ?」
「握手はしてません! 触れただけです!」
「同じようなもんだろ!」
カイの軽口に、周囲から笑いが起こる。調査隊の雰囲気は、思っていたよりも和やかだった。
見送りに来たシャルロットが、ニコラスの前に立つ。
「いってらっしゃい。約束、忘れないでよ」
「うん。手紙を書く、無茶はしない、帰ったら一番に報告する。お土産も、ちゃんと探すよ」
「……よろしい」
シャルロットが、ほんの少しだけ、目元を緩めた。
北門が、ゆっくりと開いていく。朝の光が差し込む街道の先には、まだ見ぬ国境地帯が、静かに待ち構えていた。ニコラスは、仲間たちから託された想いを胸に、一歩を踏み出した。
第133話へ続く




