第112話 模擬戦、そして
朝靄がまだ残る鍛錬場に、ニコラスと父ヴィルは向かい合って立っていた。
「準備はいいか、ニコラス」
「いつでもいいよ、父さん」
母エレーナとジーク、マリーは、鍛錬場の端に設けられた見物席で、興味深げにこちらを見守っている。
「怪我しないようにね、二人とも!」
母の声に、ニコラスは軽く手を振って応えた。
「しかし、ニコラスも見物してる前で負けるわけにはいかないな」
ヴィルが、剣を抜きながら、少しだけ茶目っ気のある笑みを見せる。
「父さん、それ本気で言ってる? 俺、結構自信あるんだけど」
「ほう、言うようになったな。学園で随分と鍛えられたらしい」
軽い言葉のやり取りの奥に、互いの真剣さが滲んでいた。六年ぶりの親子の対峙は、単なる余興ではなく、ニコラスにとっても、自分の成長を確かめる大切な機会だった。
「じゃあ、始めるぞ」
父の合図と同時に、ヴィルが地を蹴った。かつて名を馳せた冒険者としての踏み込みは、六年前よりもさらに鋭さを増しているように感じられる。
「速い……!」
とはいえ、学園での六年間、ニコラスもただ過ごしてきたわけではない。剣術の型を受け止めつつ、同時に魔力を足元に流し、瞬時に跳躍して距離を取る。
「ほう、その動き……剣術だけじゃなく、身体強化の魔法を組み合わせているのか」
ヴィルが感心したように目を細める。しかし、ニコラスはそこで止まらなかった。
「まだまだ、これだけじゃないよ」
剣を構えたまま、ニコラスは片手で小さな魔法陣を描く。保冷魔道具や小型ランプの開発で培った魔力制御の精密さが、ここでも生きていた。氷の刃が、剣の軌道に沿って纏わりつく。
「属性付与まで……しかも、精密な制御だ」
ヴィルの声に、わずかな緊張が混じり始める。息子の成長を喜ぶ気持ちと同時に、何かを測るような、真剣な眼差しに変わっていった。
「そろそろ、本気を出すよ、父さん」
ニコラスが踏み込むと同時に、複数の動きが同時に発生した。剣術による斬撃、属性付与による追撃、さらに足元には加速の魔法。そして、斬撃の間隙を縫うように、小さな探知の魔法が周囲に展開される。
「待て……ニコラス、それは」
ヴィルの表情が、明らかに変わった。剣を受けきるのに意識を割かれながらも、頭の中では、目の前で起きている現象を分析しているのが見て取れる。
「剣術、身体強化、属性付与、加速、探知――それだけで、五つだぞ」
脳裏に、ヴィル自身のことが思い浮かんだ。有名冒険者として名を馳せた自分自身のスキル数は五つ。妻のエレーナも同じく五つ。そして、二人が若い頃に師事した大先輩の冒険者だけが、例外的に六つのスキルを持っていると言われていた。それほどまでに、スキルを複数習得するということは、この世界において規格外の才能を意味していたのだ。
「え?」
ニコラスが思わず動きを止める。ヴィルも剣を下ろし、額に浮かんだ汗を拭いながら、信じられないという表情でニコラスを見つめていた。
「待ってくれ……今の連携、よく考えてみろ。剣術、身体強化、属性付与、加速、探知。これだけで、俺やお前の母さんが持っているスキル数と同じだ。なのに、お前はまだ、他にも――保冷の魔道具を発明した時に使った『解析』や『創造』に近い力も、使っていたはずだろう」
父の言葉に、ニコラスは呆然とした。改めて指を折って数えてみると、確かに、剣術、身体強化、属性付与、加速、探知に加えて、発明の際に使う解析系のスキルまで入れれば、六つを超えている。
「そんな、まさか……」
「ニコラス、お前、スキルをいくつ持っているんだ」
ヴィルの声は、わずかに震えていた。これまで誰も、自分がスキルを規格外に持っているなどと、考えたこともなかった。学園でも、ただ「多才な生徒」として評価されていただけで、誰もその数を正確に数えようとはしなかったのだ。
「ちょっと待って、父さん。俺、ちゃんと確認したことなかった……」
鍛錬場に、重い沈黙が落ちた。見物席のエレーナも、ジークも、マリーも、異様な空気を察してか、声を発することができない。
「お父さん、そんなに深刻な顔して……一体、何が起きてるの?」
マリーが、恐る恐る見物席から声をかける。
「マリー、落ち着いて聞いてくれ。ニコラスのスキルの数が、どうやら、俺たちの知る限界を超えているかもしれない」
「え……それって、どういうこと?」
ジークも、困惑した様子で立ち上がった。家族全員の視線が、ニコラスへと集中する。普段なら気恥ずかしさを感じる場面だが、今は、それ以上の緊張感が、鍛錬場全体を包み込んでいた。
「……今すぐ、全部のスキルを、ここで出してみてくれ」
父の真剣な声に、ニコラスは静かに頷いた。胸の奥で、小さな戸惑いと、それでいてどこか納得するような感覚が同時に広がっていく。前世の記憶を持ちながら、この世界の「普通」を基準にして生きてきたつもりだった。だが、今になって、自分がその基準の外側にいたのだと、ようやく実感し始めていた。
朝靄の晴れ始めた鍛錬場に、静かな緊張が満ちていく。十六年間、無自覚のまま培ってきた力の正体が、今、明らかになろうとしていた。
第113話へ続く




