第109話 卒業式
迎えた卒業式の朝は、澄み渡る青空だった。
「うわ、めちゃくちゃ緊張する……」
控室の鏡の前で、ニコラスは何度も制服の襟を直していた。普段はあまり気にしない身だしなみも、今日だけは妙に気になってしまう。
「大丈夫よ、落ち着いて。原稿、ちゃんと頭に入ってるでしょ」
シャルロットが、鏡越しにニコラスの肩をぽんと叩く。昨夜一緒に仕上げた原稿は、今、ニコラスの胸の内側にしっかりと刻み込まれていた。
「ありがとう、シャルロット。おかげで、なんとかなりそうだ」
「当然よ。私がついてるんだから」
そこへ、ルーカスが控室に顔を出した。
「ニコラス、フェリックス、準備できたか?」
「ルーカス、お前も卒業式、無事に迎えられたんだな」
「おかげさまでな。実技試験、あの勉強会がなかったら絶対落ちてた。本当にありがとな、シャルロット様」
「当然のことをしたまでよ。あなたが頑張ったからこその結果だわ」
シャルロットがそう言うと、ルーカスは少し照れたように頭をかいた。グラント商会編の頃には想像もできなかった光景に、ニコラスは静かな感慨を覚える。
「それにしても、ニコラスが総代とはな。昔は人前に出るの、苦手そうだったのに」
「今でも苦手だよ。でも、やらなきゃいけないことは、やるって決めたから」
「お前、たまにそういう、やけに大人びたこと言うよな」
ルーカスが苦笑しながら言う。前世の記憶がそうさせているとは、さすがに誰にも言えないが、ニコラスは曖昧に笑って誤魔化した。
控室の外では、すでに保護者席に座った家族たちの姿も見える。ニコラスの父ヴィルと母エレーナも、遠路はるばる駆けつけてくれていた。
「ニコラス、頑張るのよ! 絶対に見てるから!」
母のエレーナが、窓の外から大きく手を振っている。その隣で、父ヴィルは静かに、だが確かな笑みを浮かべて頷いていた。
「相変わらず、お母さん元気だな……」
苦笑しつつも、ニコラスの胸には、じんわりと温かいものが広がっていた。
式典が始まると、講堂は厳かな空気に包まれた。壇上に立つ学園長の挨拶、各クラスの代表による答辞、そしていよいよ、総代としてのニコラスの出番が訪れる。
「卒業生代表、ニコラス・ローウェル」
名前を呼ばれ、ニコラスは静かに壇上へと歩き出した。何百人もの視線が自分に集まるのを感じながら、ニコラスは一度、深く息を吸った。
「……この六年間、俺にとって、本当にかけがえのない時間でした」
原稿を見ずに、ニコラスは自分の言葉で語り始めた。入学したばかりの頃の不安、保冷魔道具を作ったときの興奮、設計図流出事件で仲間と支え合った日々、商会との対決を乗り越えた経験。そのすべてが、今の自分を形作っていることを、ニコラスは一つ一つ丁寧に紡いでいった。
「一人では、きっと何も成し遂げられませんでした。でも、仲間がいたから、何度でも立ち上がれました。この学園で得た、挑戦する勇気と、仲間を信じる心を、これからの人生でも大切にしていきたいと思います」
講堂を見渡すと、フェリックスが照れくさそうに笑い、シャルロットが目に涙を浮かべ、ソフィアが優しく微笑み、エミリーが小さく拳を握っていた。少し離れた保護者席では、ガレスも静かに頷いている。
「ご卒業、おめでとうございます」
そう締めくくると、講堂中から、温かい拍手が沸き起こった。壇上を下りるニコラスの足元は、少しふらついていたが、確かな誇らしさで満たされていた。
式典が終わり、校庭に出た卒業生たちは、思い思いに写真を撮ったり、別れを惜しんだりしていた。
「ニコラス、挨拶、めちゃくちゃ良かったぞ!」
フェリックスが、いつも以上に明るい声で駆け寄ってくる。
「ありがとう、フェリックス。緊張しすぎて、何喋ったかよく覚えてないけど」
「いやいや、ちゃんと伝わってたって。な、シャルロット」
「そうね……ちょっと、泣いちゃったじゃない。馬鹿」
目元を拭いながら、シャルロットが拗ねたように言う。その様子に、ニコラスは思わず笑ってしまった。
「ニコラス君、お疲れ様でした。素敵な挨拶でした」
ソフィアが、そっと声をかけてくる。
「ソフィアの助言のおかげだよ。等身大の気持ちを書けって言ってくれたから、あんな挨拶ができた」
「そんな、私はほんの少し、お手伝いしただけです」
謙遜するソフィアの隣で、エミリーも静かに微笑んでいた。
「エミリーも、お疲れ様。設計図流出事件からここまで、本当に色々あったよな」
「はい……あの時は、まさか自分がこんな場所に立てるなんて、思ってもいませんでした。皆さんに、感謝しかありません」
エミリーの言葉に、ニコラスは静かに頷いた。あの事件がなければ、今のこの仲間の輪も、生まれていなかったかもしれない。巡り合わせの不思議さを、改めて噛み締める。
「みんな、本当にありがとう。この六年間、楽しかった」
「まだ終わりじゃないだろ。これからも、ずっと一緒だ」
フェリックスの言葉に、ソフィアもエミリーも、大きく頷いた。校庭に降り注ぐ陽射しの中、五人は、学園生活最後の時間を、心に深く刻み込んでいった。
第110話へ続く




