393話
ナルセーユの講義は、その後もしばらく続いた。
質問に回答、そこから派生する問い、そして回答。
一問一答のようでいて、決して単純ではない。
答えた言葉の裏を探り、意味を広げ、また問い返す。
まるで思考の迷宮へ誘うようなやり取りだったが、学習院に通っていれば、毎日同じような講義が続いていたのかもしれないと、リゼは自然と背筋を伸ばしていた。
(クエスト)
ナルセーユの話を聞くうちに、その言葉の重みが少しずつ理解できてくる。
ただ与えられた任務ではなく、スキルの核心に関わるもの。
自分の人生そのものを左右する可能性のある存在。
だからこそ、リゼは言葉を慎重に選ぶ。
不用意な答えを返さないよう、気を遣っていた。
やがて、ユーリが苦笑しながら口を挟む。
「先生、そろそろ……」
ナルセーユは、はっと我に返った。
「おっと、すまない」
白髪頭を掻く。
「久しぶりに、面白い題材に出会ったので、つい熱が入ってしまってね」
そう言いながら、テーブルの上に置かれている本へ手を伸ばす。
「さっきも話しましたが」
本の表紙の上に、人差し指を軽く置く。
「スキルを“神の試練”とする前提で話を進めましょう」
視線がリゼへ向く。
「この本は、あなたと同じスキルを持っていた人物の記録をまとめたものです」
部屋の空気が、わずかに張り詰めた。
「もちろん」
ナルセーユは肩をすくめる。
「体験談の多くは、別資料からの引用です。それが真実か、虚言か。完全に証明されたものではありません」
そう言ってから、ゆっくりと続けた。
「ですが、研究者として長年観察してきた経験から言えば――」
勿体ぶるようにゆっくりと話す。
言葉の途中、指で表紙を軽く叩く。
「かなり真実に近い内容だと、私は考えています」
ナルセーユは本を持ち上げる。
古い革表紙が、きしむような音を立てた。
そして、ゆっくりと開く。
頁をめくる音が、静かな部屋に響く。
ナルセーユの手が止まる。
「罰則は知っていますか?」
「はい」
リゼは即答する。
表情には出さないが、罰則のことまで知っていることに驚く。
「継続的な罰則ですか?」
「はい、そうです。その期間は様々ですが……」
答えるたびに、ナルセーユの顔がほころぶ。
まるで、実験結果が予想通りだった時の研究者のような表情。
(やっぱり……完全に研究対象だ)
リゼは確信する。
「今、あなたが受けている罰則を教えてもらうことは可能ですか?」
「はい、大丈夫です」
リゼは迷わず堂々とした声で答えた。
ナルセーユは満足そうに頷く。
「……なるほど」
何度も小さく頷く。
その目は本ではなく、どこか遠くを見ていた。
頭の中で情報を整理し、自分なりの考えを組み立てているのだろう。
やがて、ぽつりと呟いた。
「越えられない試練を神は与えない……か」
誰に向けた言葉でもない。
自分自身への確認のような声だった。
「その罰則にも意味があるのでしょう」
ナルセーユは顔を上げる。
「私なりの解釈を話してもいいですか?」
「はい。お願いします」
「分かりました」
ナルセーユは、どこか楽しそうだった。
まるで難解な問題を解く瞬間のように、生き生きとしている。
「まずは――恋愛感情の欠落」
そう言って、リゼを見る。
「見た感じ、あなたは冒険者のようですが、クランに所属していますか?」
「はい。銀翼というクランに所属しています」
「銀翼ですか……それはそれは、優秀な冒険者なのですね」
値踏みするかのように、リゼの姿をもう一度隅々まで観察する。
「クランでは、メンバー同士の恋愛を禁止することが多いと聞きます」
「あなたのクランはどうですか?」
「私のクランも、メンバー同士の恋愛は禁止です」
「クラン内に気になる人は?」
「いません」
即答。
「なるほど……」
ナルセーユは頷く。
だが、その表情は考え込んでいるようには見えない。
むしろ、すでに答えを持っている顔だった。
「クラン内恋愛は、問題になりやすい。感情のもつれ、判断の鈍り、仲間関係の崩壊。それを避けるための罰則……そう考えることもできます」
リゼは首を振った。
「それは、ないと思います」
きっぱりと断言する。
ナルセーユの目が細くなった。
「それは本当に君の本心なのかい?」
そして静かに続ける。
「スキルの……罰則の影響だと考えたことはないですか?」
その言葉は、静かだったが、深く刺さる。
リゼの胸が、わずかに揺れた。
恋をしたことはない。
生まれてから、一度も……だからこそ、迷わず否定した。
だけど、「もしも……」その考えが浮かんだ瞬間、頭に浮かんだのはアリスだった。
クウガへの想いを隠しながら、仲間としてそばにいた。
その時間は、決して不幸ではなかったはずだ。
だが――今のアリスは違う。
冒険者とは違う場所で、別の幸せを手に入れている。
(もし……この罰則がなかったら)
旅の途中で出会った誰かと、仲間の誰かと、恋に落ちていた可能性は――否定できない。
リゼは、何も言えなかった。
ナルセーユは、その沈黙を気にも留めず話を進める。
「次は身体的成長速度の停止。これは分かりやすい」
頭から足元へと視線を上下させる。
「つまり、君は小さいままだ」
リゼは、気にしていたことを言われて良い気分ではなかったが、怒るほどのことでもない。
ナルセーユは、気にせず真面目な顔で続けた。
「小さいことの利点は?」
その瞬間、リゼの頭に浮かんだのは”敏捷性”。
自分の戦い方を思い浮かべる。
回避と踏み込み、隙を突く攻撃。
もし体が大きくなっていたら――同じ動きができただろうか。
自分の武器は、この体だからこそ成立しているのではないか。
ナルセーユは静かに言う。
「罰則とは言うが、それが必ずしも“損している”とは限らない」
リゼの思考は続いていた。
もし、体が成長していたら、別の戦い方を考えていただろう。
それは、自分の長所を活かしたものだっただろうか。
答えは出ない……すべては想像上でのこと。
リゼの思考が深く沈む。
その間にも、ナルセーユは次へ進む。
「最後は――」
頁を指で叩く。
「闇属性魔法“ドレイン”の消去」
思考が追い付かないリゼの視線が揺れる。
ナルセーユは静かに続けた。
「魔力が切れても、ドレインがある。そう思って、無謀な戦いをしていませんでしたか?」
リゼは、すぐに「ありません」と言えなかった。
戦いの最中、頭の片隅に、その考えはあった。
最悪、ドレインがあるから……という安心感。
実際に使った回数は、数えるほどしかない。
だが――魔力切れを恐れず戦えたのは、その存在があったからだ。
それを無謀と言うのか、戦術と言うのか。
空気を断ち切るように、ナルセーユが言った。
「理由などは、所詮後付けにすぎません」
リゼはもちろんだが、一緒に話を聞いていたエミリネットとユーリも一斉に顔を上げる。
ナルセーユは平然としていた。
「罰則とは」
指で本を叩く。
「クエストを失敗した結果ではない」
静かな声で言う。
「どうして“その罰則”になったのか? それを考える必要がある」
リゼの胸がざわつく。
ナルセーユは言葉を続けた。
「つまり――自分のスキルと、真摯に向き合うということです」
聞いたことのある言葉だ。
冒険者になりたての時、クウガから同じ言葉を言われた。
その言葉は、重かった……忘れていた。
いつからだろう――と考えること自体が、無意味。
初心を忘れて怠慢になっていなかったか? と、自分を責める。
同時にナルセーユの言葉が胸に突き刺さる。
(すべてに理由がある)
ただ与えられたものでなく、自分の一部。
それだけのことだったが、今――胸の奥で、ひとつの考えが生まれる。
理由でなく、すべてに意味がある……と。
――――――――――――――――――――
■リゼの能力値
『体力:四十八』
『魔力:三十三』
『力:三十三』
『防御:二十一』
『魔法力:二十六』
『魔力耐性:十三』
『敏捷:百四十三』
『回避:五十六』
『魅力:四十八』
『運:六十一』
『万能能力値:零』
■メインクエスト
・ ――消息を絶った。
その一文は、あまりにも簡潔だった。
生きているのか、死んでいるのか……それすら、書かれていない。
ただ、その直後に続く一文の“推測だが――”という文字。
リゼは、無意識に息を呑んだ。
記述は淡々としているが、その奥には確かな“恐怖”が滲んでいた。
彼は、スキルを活かし商人として成功していた。
富も名声も手に入れた、いわば“成功者”。
それでも――最後に会った時、彼は怯えていた、とある。
文章は静かに続く。
冒険者への報酬としては破格の金額を提示していた。
だが、それ以上に価値のある“今回のクエスト”に対して、異様な執着を見せていた。
成功すれば、さらに大きな利益。
だが同時に――失敗した場合の“代償”についても、繰り返し口にしていた。
その様子は、成功を確信している者ではない。
むしろ――失敗を恐れている者のそれだった。
“おそらく、今回のクエストに失敗したのだろう”
その一文で、記録は終わっていた。
リゼの指が、わずかに止まる。
(スキルのおかげで……成功した人生……?)
視線が文字の上をなぞる。
成功と破滅。
その両方を、同時に引き寄せているような感覚。
ナルセーユの言葉が、頭の奥で反響する。
“神からの試練”……その意味を考えながら、リゼはゆっくりと次の頁へと視線を移した。
二人目の記録。
ナルセーユは「三十年ほど前」と言っていた。
頁の冒頭に記された言葉は“彼女は”から始まる。
(女の人……)
自分と同じだ、と思い、頁をめくる。
最初は似ているように感じた。
クエスト、達成、報酬。
だが、読み進めるうちに、自然と目で追う速さが増す。
“毎日発生するクエスト”、それに加えて――“不定期に現れるクエスト”
規則性がないし、予測もできない。
彼女は、そのすべてに対応しなければならなかった。
そう……それは昔の自分と同じだった。
文章の端々に、疲労が滲んでいる。
“疲れ切っていた”という一文が、やけに重く感じられた。
個人で完結するものもあれば、他人を巻き込むものや、協力が必要なもの。
種類も内容も、統一性がない。
そのせいで――学業に集中できない。
生活が、スキルに侵食されていく。
リゼは、ふと気づく。
(……これ、在学中の記録だ)
書かれている内容が、明らかに学生の生活だった。
(年齢……近いかも)
ほんの少しだけ、距離が縮まる。
知らない誰かではなく、“同じ立場の誰か”として感じられた。
頁をめくる。
最初は、やはり簡単なクエストだった。
だからこそ――彼女は選んだ。
『成功報酬が上がりますが、難易度を上げますか?』というスキルからの問いに対して、『はい』と。
そこから、すべてが変わった。
クエストの難易度が跳ね上がり、失敗が増える。
当然、罰則が積み重なる。
リゼの胸が、強く脈打った。
(分かるよ……)
あの選択肢が、目の前に出されたときの感覚。
(もっと、強くなれるかもしれない!)
そんな期待を持っていた時があった。
その裏にある、見えない代償があることを承知で承諾した。
心臓の鼓動が、内側から胸を叩く。
頁をめくる指先が震える。
記録には、学習院側の対応も書かれていた。
希少なスキルであるため、研究対象として保護されていた。
報酬も支払われていた。
だが――日を追うごとに、彼女は衰弱していく。
それを心配する著者の言葉が、ところどころに差し込まれている。
一人目の記録とは明らかに違う。
こちらは“観察記録”というより――“感情の記録”に近かった。
そして、その中の一文にリゼの目が止まる。
「この時間だけは、気が紛れるんです」
文字が、にじんで見えた気がした。
「自分のスキルを話すことで、少しだけ解放された気分になれますから」
それは、彼女の“声”だった。
記録ではなく、叫び。
本来、スキルは他言しない。
それが常識。
だが彼女は違った。
希少スキルを与えられた宿命と、学習院という環境に、報酬という理由が存在していた。
だが、それ以上に――「話さなければ耐えられなかった」。
リゼには、そう感じられた。
鼓動が、さらに強くなる。
胸の奥から、何かが押し上げてくる。
一年――二年――記録は続く。
そのなかに、”成功報酬で、罰則がなくなるクエストがでた”という文字に視線が止まる。
そして、そのクエストが成功した。
続けて、”久しぶりに彼女の明るい表情を見た”という一文。
(罰則がなくなるクエスト!)
暗闇に一筋の光が差し込んだ感覚だった。
自分にも同じようなクエストが出る可能性がある! ……であれば、と期待しながら、次の文章へと目を移す。
――三年。
彼女は学習院を卒業する。
国家機関へ就職した、とある。
(……ここで終わり?)
リゼは、頁をめくる。
だが、そこに書かれていたのは――予想とはまったく違う言葉だった。
――これで彼女は、自身のスキルから解放された。
指が止まる。
――もう、スキルのことで悩み苦しむことはないだろう。
呼吸が浅くなるのが自分でも分かる。
――私としては悲しい結末だが、彼女にとっては良かったに違いない。
理解してしまう自分がいることにリゼは気付いていた。
――ここに彼女への感謝を記す。
その意味を理解する。
(……亡くなった)
本の中の彼女は――死んだ。
事故か、事件か、それとも――。
それ以上は、考えられなかった。
思考が、そこで止まる……いいや、止めたのかもしれない。
リゼは、震える指で頁をめくる。
だが、その先は、すべて破られていた。
裂かれた痕は、無造作ではない。
意図的に消されたような跡。
残された裏表紙の裏に書かれていたのは、「王都第一学習院」という文字だけだった。
リゼは、その文字をじっと見つめる。
王都だからこそ、希少なスキルが集まると、思っていた。
だが、実際は違う。
学習院に入る際、自分のスキルを申告する。
そんな仕組みがあることを、リゼは知らなかった。
当然だ……学習院に通ったことがないのだから――。
この本を読んで分かったこと。
それは、自分のスキルが”厄介なスキル”だということだ。
リゼは本を閉じて、ナルセーユに返却した。
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■リゼの能力値
『体力:四十八』
『魔力:三十三』
『力:三十三』
『防御:二十一』
『魔法力:二十六』
『魔力耐性:十三』
『敏捷:百四十三』
『回避:五十六』
『魅力:四十八』
『運:六十一』
『万能能力値:零』
■メインクエスト
・ナルセーユに有益な情報を与える。期限:ナルセーユの牢獄に滞在している間。
・報酬:体力(三増加)、力(三増加)
■サブクエスト
■シークレットクエスト
■罰則
・闇属性魔法”ドレイン”の消去
・身体的成長速度停止。期限:一生涯
・恋愛感情の欠落。期限:一生涯
期限:ナルセーユの牢獄に滞在している間。
・報酬:体力(三増加)、力(三増加)
■サブクエスト
■シークレットクエスト
■罰則
・闇属性魔法”ドレイン”の消去
・身体的成長速度停止。期限:一生涯
・恋愛感情の欠落。期限:一生涯




