392話
「それで、何の用かな?」
ナルセーユは、ゆったりと椅子の背にもたれながらそう言った。
部屋の中央には、小ぶりな丸テーブル。
そこに、湯気の立つ茶器とカップが丁寧に並べられている。
そして――その横には、王都でも名の知れた菓子店の箱。
蓋が開けられており、中には見事な焼き菓子が整然と並んでいた。
砂糖の香りが、ほのかに部屋に広がっている。
(……どうして牢獄に、これがあるの)
リゼは心の中で呟いた。
ここは地下牢獄のはずだ……が、目の前の光景はどう見ても違う。
整えられた高級そうな机に、座り心地のよさそうな柔らかな椅子。
壁の本棚には、ぎっしりと並ぶ学術書。
そして、来客用のテーブルには、王都の高級菓子が置かれている。
牢獄という言葉から想像する環境とは、あまりにもかけ離れていた。
その違和感が、かえってリゼの体を強張らせる。
背筋が自然と固くなり、手の置き場にも困る。
そんな様子を見て、エミリネットがくすりと笑った。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ」
そう言いながら、エミリネットは自分のカップを手に取る。
香りを確かめるように軽く息をかけ、ひと口飲んだ。
温かな湯気が頬を撫でる。
その穏やかな仕草は、まるで知人宅を訪ねてきたかのような自然さだった。
リゼはますます戸惑う。
エミリネットはカップを置き、リゼへ視線を向ける。
「こちらは王都第一学習院で教鞭を執っていたナルセーユ先生よ」
紹介された老人は、軽く肩をすくめた。
「言葉の通り、昔の話だよ」
細い目を楽しそうに細める。
「今は、投獄の身だがね」
冗談のような口調だった。
それが、リゼには妙に引っかかった。
罪人が気軽に言うような言葉じゃないと感じたからだ。
少なくとも、リゼが知っている囚人とは雰囲気が違う。
ナルセーユの態度には、卑屈さも怯えもない。
むしろ、余裕さえ感じる。
ユーリが静かに話を続けた。
「こちらのリゼのスキルについて、いろいろとご教示いただければと思いまして」
その言葉に、ナルセーユの目がわずかに細くなる。
「スキルとは……たしかに、私の研究題材ですね」
ゆっくりと呟く。
そして、視線がリゼへと向けられる。
その目は鋭かった。
観察する目。
人を見るというより――対象を分析する研究者の目だった。
リゼはすぐに理解する。
(自分のスキルを説明しろ、ってこと)
小さく息を吸う。
「私のスキルは“クエスト”です」
その瞬間――
「……クエストだと」
ナルセーユの表情が、明らかに変わった。
椅子の軋む音と同時に、勢いよく立ち上がる。
「それは、それは」
言葉とは裏腹に、声には興奮が混じっている。
目が大きく見開かれ、リゼを捉えて離さない。
その視線を受けたリゼは、思わず背筋を伸ばした。
(研究材料として見られてる……)
人としてではなく、珍しい標本を見るような目だった。
エミリネットが口を挟む。
「先生なら、ご存じですよね?」
ナルセーユは、短く答える。
「知っているよ」
言い終わると同時に、彼は背を向けると、そのまま本棚へと向かう。
壁一面を埋める書棚には、古い革装丁の本がびっしりと並んでいる。
ナルセーユの指が、本の背をなぞる。
上下に動き、左右へと移る。
視線もそれに合わせて素早く動く。
やがて、ある一冊で動きが止まると、右手の人差し指で本を少し引き出す。
表紙を確認し、そのまましっかり掴む。
そして再び、テーブルへ戻ってきた。
本はかなり古く、革の表紙にはナルセーユの文字。
本自体は色褪せ、角は擦り切れている。
自然と、全員の視線がそこへ集まった。
ナルセーユは本を開かない。
ただ、静かにその上へ手を置く。
そして、リゼを見て静かに口を開く。
「スキルとは、なんだと思いますか?」
唐突な質問だった。
「スキルですか――」
リゼは言葉を探す。
部屋は静まり返る。
誰も口を挟まない。
エミリネットも、ユーリも、ナルセーユも。
ただ静かに、リゼの答えを待っている。
しばらく考えた末、リゼは口を開いた。
「神からの贈り物です……か」
一般的な答えだった。
教会でも、学校でも、誰もがそう教えられる。
だが――リゼには、それ以外の言葉が浮かばなかった。
ナルセーユは、ゆっくりと頷いた。
「なるほど」
だが、その表情はどこか拍子抜けしたものだった。
「では」
続けて質問する。
「人によって与えられるスキルが違うのは、どう思う?」
リゼは言葉に詰まる。
(考えたこと……ない)
そんなことを真剣に考えたことはなかった。
そもそも、聞かれたことすらない。
先ほどより長い沈黙が流れる。
やがてリゼは、慎重に答えた。
「顔や姿が違うのと……同じですか……ね」
ありきたりな答え。
ナルセーユは先ほどと同じく「なるほど」と言いながらも、明らかに不満そうな顔をしていた。
その空気を見て、ユーリが苦笑する。
「先生。意地悪はそれくらいにしてもらえませんかね」
エミリネットも肩をすくめる。
「今は、講義の場ではないですよ」
ナルセーユは、はっとしたように笑った。
「そうだったね」
白髪頭をぽりぽりと掻きながら、反省をしている仕草を見せる。
「久しぶりに人と話すもので、つい」
そして、リゼの方へ人差し指を向けた。
「質問を変えよう」
その指先が、わずかに揺れる。
「スキルが、神からの贈り物だとしたら――」
少し間を置く。
「はずれスキルと言われているものが贈り物なのは、どう考える?」
リゼは答えられなかった。
頭の中で言葉を探すが、何も浮かばない。
するとナルセーユが、静かに続ける。
「スキルとは、神からの贈り物ではなく」
指で本を軽く叩く。
「神からの試練だと考えたことはないかい?」
試練――。
その発想は、リゼにはなかった。
だが、他のスキルを試練と考えるには無理があると思えた。
「越えられない試練を神は与えない……ってことですか?」
ユーリが口を挟む。
ナルセーユは嬉しそうに頷いた。
「そうだよ」
そして二人を見て言う。
「私の授業を受けた君たちなら覚えているだろう。スキルには大きく分けて二つあることを」
ユーリが答える。
「覚えていますよ。進化と強化ですよね」
ナルセーユは満足そうに笑った。
「その通り」
エミリネットがリゼに向き直る。
「進化とは、スキル内容そのものが変わること」
「強化とは、スキル名は変わらずに性能や性質が変化することよ」
リゼは小さく頷く。
(私のスキルは……強化の方)
ナルセーユは語り始めた。
「例えば、“大食い”というスキルがあるとしよう」
食べる量が人より多い。
それだけのスキルだ。
「だが、その使い方で未来が変わる」
味を楽しみ、より美味しい料理を食べたいと研究する者なら――味覚に関する能力へ進化する可能性がある。
だが、ただ量を食べ続ける者なら――胃の拡張や消化能力が強化される。
「つまり」
ナルセーユは静かに言った。
「スキルの未来は、使い手の生き方で決まる」
そして最後に付け加えた。
「ただし――一生、変化しないスキルが多いのも事実だ」
指で本を軽く叩く。
「進化や強化が起きた者――それは、神の試練を越えた者だと、私は考えている」
その声は、どこか楽しげだった。
――――――――――――――――――――
■リゼの能力値
『体力:四十八』
『魔力:三十三』
『力:三十三』
『防御:二十一』
『魔法力:二十六』
『魔力耐性:十三』
『敏捷:百四十三』
『回避:五十六』
『魅力:四十八』
『運:六十一』
『万能能力値:零』
■メインクエスト
・ ――消息を絶った。
その一文は、あまりにも簡潔だった。
生きているのか、死んでいるのか……それすら、書かれていない。
ただ、その直後に続く一文の“推測だが――”という文字。
リゼは、無意識に息を呑んだ。
記述は淡々としているが、その奥には確かな“恐怖”が滲んでいた。
彼は、スキルを活かし商人として成功していた。
富も名声も手に入れた、いわば“成功者”。
それでも――最後に会った時、彼は怯えていた、とある。
文章は静かに続く。
冒険者への報酬としては破格の金額を提示していた。
だが、それ以上に価値のある“今回のクエスト”に対して、異様な執着を見せていた。
成功すれば、さらに大きな利益。
だが同時に――失敗した場合の“代償”についても、繰り返し口にしていた。
その様子は、成功を確信している者ではない。
むしろ――失敗を恐れている者のそれだった。
“おそらく、今回のクエストに失敗したのだろう”
その一文で、記録は終わっていた。
リゼの指が、わずかに止まる。
(スキルのおかげで……成功した人生……?)
視線が文字の上をなぞる。
成功と破滅。
その両方を、同時に引き寄せているような感覚。
ナルセーユの言葉が、頭の奥で反響する。
“神からの試練”……その意味を考えながら、リゼはゆっくりと次の頁へと視線を移した。
二人目の記録。
ナルセーユは「三十年ほど前」と言っていた。
頁の冒頭に記された言葉は“彼女は”から始まる。
(女の人……)
自分と同じだ、と思い、頁をめくる。
最初は似ているように感じた。
クエスト、達成、報酬。
だが、読み進めるうちに、自然と目で追う速さが増す。
“毎日発生するクエスト”、それに加えて――“不定期に現れるクエスト”
規則性がないし、予測もできない。
彼女は、そのすべてに対応しなければならなかった。
そう……それは昔の自分と同じだった。
文章の端々に、疲労が滲んでいる。
“疲れ切っていた”という一文が、やけに重く感じられた。
個人で完結するものもあれば、他人を巻き込むものや、協力が必要なもの。
種類も内容も、統一性がない。
そのせいで――学業に集中できない。
生活が、スキルに侵食されていく。
リゼは、ふと気づく。
(……これ、在学中の記録だ)
書かれている内容が、明らかに学生の生活だった。
(年齢……近いかも)
ほんの少しだけ、距離が縮まる。
知らない誰かではなく、“同じ立場の誰か”として感じられた。
頁をめくる。
最初は、やはり簡単なクエストだった。
だからこそ――彼女は選んだ。
『成功報酬が上がりますが、難易度を上げますか?』というスキルからの問いに対して、『はい』と。
そこから、すべてが変わった。
クエストの難易度が跳ね上がり、失敗が増える。
当然、罰則が積み重なる。
リゼの胸が、強く脈打った。
(分かるよ……)
あの選択肢が、目の前に出されたときの感覚。
(もっと、強くなれるかもしれない!)
そんな期待を持っていた時があった。
その裏にある、見えない代償があることを承知で承諾した。
心臓の鼓動が、内側から胸を叩く。
頁をめくる指先が震える。
記録には、学習院側の対応も書かれていた。
希少なスキルであるため、研究対象として保護されていた。
報酬も支払われていた。
だが――日を追うごとに、彼女は衰弱していく。
それを心配する著者の言葉が、ところどころに差し込まれている。
一人目の記録とは明らかに違う。
こちらは“観察記録”というより――“感情の記録”に近かった。
そして、その中の一文にリゼの目が止まる。
「この時間だけは、気が紛れるんです」
文字が、にじんで見えた気がした。
「自分のスキルを話すことで、少しだけ解放された気分になれますから」
それは、彼女の“声”だった。
記録ではなく、叫び。
本来、スキルは他言しない。
それが常識。
だが彼女は違った。
希少スキルを与えられた宿命と、学習院という環境に、報酬という理由が存在していた。
だが、それ以上に――「話さなければ耐えられなかった」。
リゼには、そう感じられた。
鼓動が、さらに強くなる。
胸の奥から、何かが押し上げてくる。
一年――二年――記録は続く。
そのなかに、”成功報酬で、罰則がなくなるクエストがでた”という文字に視線が止まる。
そして、そのクエストが成功した。
続けて、”久しぶりに彼女の明るい表情を見た”という一文。
(罰則がなくなるクエスト!)
暗闇に一筋の光が差し込んだ感覚だった。
自分にも同じようなクエストが出る可能性がある! ……であれば、と期待しながら、次の文章へと目を移す。
――三年。
彼女は学習院を卒業する。
国家機関へ就職した、とある。
(……ここで終わり?)
リゼは、頁をめくる。
だが、そこに書かれていたのは――予想とはまったく違う言葉だった。
――これで彼女は、自身のスキルから解放された。
指が止まる。
――もう、スキルのことで悩み苦しむことはないだろう。
呼吸が浅くなるのが自分でも分かる。
――私としては悲しい結末だが、彼女にとっては良かったに違いない。
理解してしまう自分がいることにリゼは気付いていた。
――ここに彼女への感謝を記す。
その意味を理解する。
(……亡くなった)
本の中の彼女は――死んだ。
事故か、事件か、それとも――。
それ以上は、考えられなかった。
思考が、そこで止まる……いいや、止めたのかもしれない。
リゼは、震える指で頁をめくる。
だが、その先は、すべて破られていた。
裂かれた痕は、無造作ではない。
意図的に消されたような跡。
残された裏表紙の裏に書かれていたのは、「王都第一学習院」という文字だけだった。
リゼは、その文字をじっと見つめる。
王都だからこそ、希少なスキルが集まると、思っていた。
だが、実際は違う。
学習院に入る際、自分のスキルを申告する。
そんな仕組みがあることを、リゼは知らなかった。
当然だ……学習院に通ったことがないのだから――。
この本を読んで分かったこと。
それは、自分のスキルが”厄介なスキル”だということだ。
リゼは本を閉じて、ナルセーユに返却した。
――――――――――――――――――――
■リゼの能力値
『体力:四十八』
『魔力:三十三』
『力:三十三』
『防御:二十一』
『魔法力:二十六』
『魔力耐性:十三』
『敏捷:百四十三』
『回避:五十六』
『魅力:四十八』
『運:六十一』
『万能能力値:零』
■メインクエスト
・ナルセーユに有益な情報を与える。期限:ナルセーユの牢獄に滞在している間。
・報酬:体力(三増加)、力(三増加)
■サブクエスト
■シークレットクエスト
■罰則
・闇属性魔法”ドレイン”の消去
・身体的成長速度停止。期限:一生涯
・恋愛感情の欠落。期限:一生涯
期限:ナルセーユの牢獄に滞在している間。
・報酬:体力(三増加)、力(三増加)
■サブクエスト
■シークレットクエスト
■罰則
・闇属性魔法”ドレイン”の消去
・身体的成長速度停止。期限:一生涯
・恋愛感情の欠落。期限:一生涯




