394話
リゼは、しばらく何も言えず黙ったままだった。
視線は床の一点に落ちたまま、動かない。
肩がわずかに強張り、呼吸が浅くなる。
その様子を見て、エミリネットとユーリは顔を見合わせた。
(やっぱり、先生の言葉が強すぎたかしら……)
(昔と変わらず、少し配慮が足りないようね……)
二人はそう思った。
だが――それは、半分だけ正しかった。
リゼが沈んでいる理由は、ナルセーユの言葉に打ちのめされたからではない。
(……なんで、忘れていたんだ!)
胸の奥に浮かんでいたのは、別の感情だった。
怒り……それは他人ではなく、自分自身に。
思い出したのは、クウガの言葉。
まだ何も知らなかった頃。
スキルの意味も、向き合い方も分からなかった自分に、クウガは教えてくれた。
ただ、当たり前のことのように「自分のスキルと向き合う」。
あの時は、分かったつもりでいた。
だが今――悔しかった。
ナルセーユの言葉を聞くまで、今の今まで思い出しもしなかった自分が許せなかった。
次の瞬間、パンッ――‼ と乾いた音が、部屋中に響いた。
リゼの手が、自分の頬を強く叩いた音だった。
その衝撃音は石壁に反響し、廊下の奥へと広がっていく。
エミリネットが目を見開く。
「リゼ⁉」
ユーリも一歩踏み出しかける。
だが、リゼはゆっくりと顔を上げた。
その表情は――先ほどまでとは、まるで違っていた。
迷いが消えている。
ただ、静かな決意だけがあった。
ナルセーユに向かい、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
その声には、はっきりとした意志が宿っていた。
ナルセーユは、その変化に気づくと、わずかに目を細めた。
かつて教壇に立っていた頃、理解できずにいた生徒が、ある瞬間を境に“自分で考え始めた”ときの表情……懐かしさが、胸の奥をかすめる。
ナルセーユは静かに頷き、話を続けた。
「ここまで聞いたうえで、質問をします。はずれスキルとは、何だと思いますか?」
「言葉のままだと思います」
リゼは迷うことなく、即答した。
だが、その答えの裏には、これまでの積み重ねがあった。
『成人の儀』。
あの日、司祭からスキル名を告げられた瞬間、自分に投げつけられた父親の言葉。
「くそっ、はずれスキルか!」
その吐き捨てられた一言。
疑問を持つこともなく、リゼは受け入れた。
自分のスキルは、”はずれ”なのだと。
ナルセーユはゆっくりと頷く。
「はずれスキルとは、大きく二つに分かれます」
講義の声に戻る。
「一つは“知名度が低いもの”、もう一つは“実用性が低いもの”」
指を二本立てて、リゼに見せる。
「先ほど例に出した“大食い”は、後者ですね」
リゼは頷く。
確かに、戦闘や冒険には直結しない。
「一方で――」
ナルセーユの視線が鋭くなる。
「君の“クエスト”は前者。知名度が低い。つまり――」
一瞬、間を置くと口角を上げる。
「希少なスキルだ」
少し興奮しているのか、はっきりとした言葉は力強く感じた。
「レアスキルや、ユニークスキルは知名度が高く、実用性も証明されている。だが、それは人が勝手に決めた基準に過ぎない。それ以外にも、同等やそれ以上のスキルが存在しているということです」
ナルセーユは本の頁を繰る。
「この本には、クエストのスキルを持っていた人物が二人記されています」
指で行をなぞる。
「一人は三十年ほど前、もう一人は……時代が記されていないから、それ以前になるでしょう。曖昧な記録だが、それでも価値はあると思っています」
そして、本を閉じかけながら言う。
「世間は、進化や強化には無関心です。というより――他言しない」
その言葉に、リゼの中で疑問が浮かぶ。
なぜ、そんな重要な情報が広まらないのか。
ナルセーユは、それを見抜いたように口を開いた。
「昔は違った」
少し遠くを見る。
「アルカントラ法国以外にも、スキルの研究を行う国や機関は存在していた」
本の表紙を軽く叩く。
「この本も、その時代の産物です」
一拍置き、興奮していた呼吸を整えると、一気に吐き出すように続きを話す。
「だが今は違う! スキルは“神の贈り物”。それを研究することは、神への冒涜とされた」
ナルセーユは自嘲気味に笑った。
「その結果が、これだ」
自分のいる場所――牢を軽く示すように床を指差す。
「私のような人間は、犯罪者扱いされる……いいや、犯罪者か」
だが、その顔に悲壮感はない。
むしろ、どこか楽しんでいるようですらあった。
「さて、本題に戻りましょう。このスキルは――」
リゼを見る。
「使い方次第で、自分を殺すスキルに変わる可能性があります」
重い言葉だったが、リゼは驚かなかった。
クエストを失敗し続ければ、罰則が積み重なる。
それは、いずれ致命的なものになる。
理解はできる。
だが――次の言葉は、その理解を覆した。
「ただし……」
ナルセーユの目が細くなる。
「君の場合は“自分に課されるクエスト”だが、この本に記された人物は違う」
リゼの呼吸が止まる。
「クエストを“与える側”に変化したそうだ」
「……え?」
思わず声が漏れる。
クエストを、与える?
それはつまり――。
「発注者になる、ということだ」
リゼが頭に浮かべた言葉を、ナルセーユが口にした。
今までのリゼは、クエストを受ける側だった。
だが、それが逆転する。
「この記録によれば」
頁を指で叩く。
「何度もクエストに失敗した結果、スキルが“受注”から“発注”へと変化……いいや、この場合は進化といったほうが、辻褄が合うかもしれない」
リゼの中で、何かが音を立てて崩れる。
「本を読ませていただくことは出来ますか?」
気づけば、そう口にしていた。
ナルセーユはあっさり頷く。
まるでリゼに自分から「読みたい」と言わせるために導いたようにも思える。
「えぇ、どうぞ」
開いたままの本を差し出すと、リゼはそれを受け取る。
古い紙の感触と、わずかに埃の匂い。
視線を落とし、読み始める。
そこに書かれていたのは、一人の人間の記録だった。
“クエスト”というスキルと向き合い続けた者の――。
最初は簡単な内容。
雑用のようなものだが、徐々に難易度が上がっていく。
(……そこは同じ)
リゼは思うが、どこか違和感があった。
“徐々に難しくなる”という表現。
リゼの感覚では、そこまで明確な変化はない。
(個人差……?)
考えながら読み進める。
クエストの難易度が上がるごとに、報酬も上がる。
だが同時に――罰則も重くなる。
その人生は、スキルに強く縛られていた。
まるで、逃げ場のない契約のように。
そして――ある一文で、リゼの手が止まる。
「……」
そこに書かれていた言葉。
簡潔で、冷たい結末。
――彼は、消息を絶った。
――――――――――――――――――――
■リゼの能力値
『体力:四十八』
『魔力:三十三』
『力:三十三』
『防御:二十一』
『魔法力:二十六』
『魔力耐性:十三』
『敏捷:百四十三』
『回避:五十六』
『魅力:四十八』
『運:六十一』
『万能能力値:零』
■メインクエスト
・ ――消息を絶った。
その一文は、あまりにも簡潔だった。
生きているのか、死んでいるのか……それすら、書かれていない。
ただ、その直後に続く一文の“推測だが――”という文字。
リゼは、無意識に息を呑んだ。
記述は淡々としているが、その奥には確かな“恐怖”が滲んでいた。
彼は、スキルを活かし商人として成功していた。
富も名声も手に入れた、いわば“成功者”。
それでも――最後に会った時、彼は怯えていた、とある。
文章は静かに続く。
冒険者への報酬としては破格の金額を提示していた。
だが、それ以上に価値のある“今回のクエスト”に対して、異様な執着を見せていた。
成功すれば、さらに大きな利益。
だが同時に――失敗した場合の“代償”についても、繰り返し口にしていた。
その様子は、成功を確信している者ではない。
むしろ――失敗を恐れている者のそれだった。
“おそらく、今回のクエストに失敗したのだろう”
その一文で、記録は終わっていた。
リゼの指が、わずかに止まる。
(スキルのおかげで……成功した人生……?)
視線が文字の上をなぞる。
成功と破滅。
その両方を、同時に引き寄せているような感覚。
ナルセーユの言葉が、頭の奥で反響する。
“神からの試練”……その意味を考えながら、リゼはゆっくりと次の頁へと視線を移した。
二人目の記録。
ナルセーユは「三十年ほど前」と言っていた。
頁の冒頭に記された言葉は“彼女は”から始まる。
(女の人……)
自分と同じだ、と思い、頁をめくる。
最初は似ているように感じた。
クエスト、達成、報酬。
だが、読み進めるうちに、自然と目で追う速さが増す。
“毎日発生するクエスト”、それに加えて――“不定期に現れるクエスト”
規則性がないし、予測もできない。
彼女は、そのすべてに対応しなければならなかった。
そう……それは昔の自分と同じだった。
文章の端々に、疲労が滲んでいる。
“疲れ切っていた”という一文が、やけに重く感じられた。
個人で完結するものもあれば、他人を巻き込むものや、協力が必要なもの。
種類も内容も、統一性がない。
そのせいで――学業に集中できない。
生活が、スキルに侵食されていく。
リゼは、ふと気づく。
(……これ、在学中の記録だ)
書かれている内容が、明らかに学生の生活だった。
(年齢……近いかも)
ほんの少しだけ、距離が縮まる。
知らない誰かではなく、“同じ立場の誰か”として感じられた。
頁をめくる。
最初は、やはり簡単なクエストだった。
だからこそ――彼女は選んだ。
『成功報酬が上がりますが、難易度を上げますか?』というスキルからの問いに対して、『はい』と。
そこから、すべてが変わった。
クエストの難易度が跳ね上がり、失敗が増える。
当然、罰則が積み重なる。
リゼの胸が、強く脈打った。
(分かるよ……)
あの選択肢が、目の前に出されたときの感覚。
(もっと、強くなれるかもしれない!)
そんな期待を持っていた時があった。
その裏にある、見えない代償があることを承知で承諾した。
心臓の鼓動が、内側から胸を叩く。
頁をめくる指先が震える。
記録には、学習院側の対応も書かれていた。
希少なスキルであるため、研究対象として保護されていた。
報酬も支払われていた。
だが――日を追うごとに、彼女は衰弱していく。
それを心配する著者の言葉が、ところどころに差し込まれている。
一人目の記録とは明らかに違う。
こちらは“観察記録”というより――“感情の記録”に近かった。
そして、その中の一文にリゼの目が止まる。
「この時間だけは、気が紛れるんです」
文字が、にじんで見えた気がした。
「自分のスキルを話すことで、少しだけ解放された気分になれますから」
それは、彼女の“声”だった。
記録ではなく、叫び。
本来、スキルは他言しない。
それが常識。
だが彼女は違った。
希少スキルを与えられた宿命と、学習院という環境に、報酬という理由が存在していた。
だが、それ以上に――「話さなければ耐えられなかった」。
リゼには、そう感じられた。
鼓動が、さらに強くなる。
胸の奥から、何かが押し上げてくる。
一年――二年――記録は続く。
そのなかに、”成功報酬で、罰則がなくなるクエストがでた”という文字に視線が止まる。
そして、そのクエストが成功した。
続けて、”久しぶりに彼女の明るい表情を見た”という一文。
(罰則がなくなるクエスト!)
暗闇に一筋の光が差し込んだ感覚だった。
自分にも同じようなクエストが出る可能性がある! ……であれば、と期待しながら、次の文章へと目を移す。
――三年。
彼女は学習院を卒業する。
国家機関へ就職した、とある。
(……ここで終わり?)
リゼは、頁をめくる。
だが、そこに書かれていたのは――予想とはまったく違う言葉だった。
――これで彼女は、自身のスキルから解放された。
指が止まる。
――もう、スキルのことで悩み苦しむことはないだろう。
呼吸が浅くなるのが自分でも分かる。
――私としては悲しい結末だが、彼女にとっては良かったに違いない。
理解してしまう自分がいることにリゼは気付いていた。
――ここに彼女への感謝を記す。
その意味を理解する。
(……亡くなった)
本の中の彼女は――死んだ。
事故か、事件か、それとも――。
それ以上は、考えられなかった。
思考が、そこで止まる……いいや、止めたのかもしれない。
リゼは、震える指で頁をめくる。
だが、その先は、すべて破られていた。
裂かれた痕は、無造作ではない。
意図的に消されたような跡。
残された裏表紙の裏に書かれていたのは、「王都第一学習院」という文字だけだった。
リゼは、その文字をじっと見つめる。
王都だからこそ、希少なスキルが集まると、思っていた。
だが、実際は違う。
学習院に入る際、自分のスキルを申告する。
そんな仕組みがあることを、リゼは知らなかった。
当然だ……学習院に通ったことがないのだから――。
この本を読んで分かったこと。
それは、自分のスキルが”厄介なスキル”だということだ。
リゼは本を閉じて、ナルセーユに返却した。
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■リゼの能力値
『体力:四十八』
『魔力:三十三』
『力:三十三』
『防御:二十一』
『魔法力:二十六』
『魔力耐性:十三』
『敏捷:百四十三』
『回避:五十六』
『魅力:四十八』
『運:六十一』
『万能能力値:零』
■メインクエスト
・ナルセーユに有益な情報を与える。期限:ナルセーユの牢獄に滞在している間。
・報酬:体力(三増加)、力(三増加)
■サブクエスト
■シークレットクエスト
■罰則
・闇属性魔法”ドレイン”の消去
・身体的成長速度停止。期限:一生涯
・恋愛感情の欠落。期限:一生涯
期限:ナルセーユの牢獄に滞在している間。
・報酬:体力(三増加)、力(三増加)
■サブクエスト
■シークレットクエスト
■罰則
・闇属性魔法”ドレイン”の消去
・身体的成長速度停止。期限:一生涯
・恋愛感情の欠落。期限:一生涯




