期末テストは悪夢の始まり
「ねえ、何でこんなことになってるのかしら」
みんな無言だった。
冷房がばっちり利いた図書室の一画。
ある日の放課後、アニマルクラスの生徒五人が一つの机を占領していた。
一人は死んでも口をきくものかと片眉を吊り上げて、意地を張るようにシャーペンを動かしている忠弥。
一人は涙目で古典のテキストに答えが浮かび上がってくるように懇願する、ノックダウン間近のボクサーのようにふらふらな小熊さん。
一人はノートを開いて三秒後にその上に頬をつけて、死んだように眠ってしまった響子ちゃん。
「ねえ、どうしてなの?」
一人は先ほどから不機嫌さを隠さずに冷笑する猫田さん。
「どうもこうも、みんな地獄の補習を避けたくて必死なんだよ」
最後の一人は猫田さんに睨まれる羽目になった、損な役回りの俺だ。
あ、手のけがは治りました。
「だからってどうして、私が協力しなければならないの?」
「でも、猫田さん、勉強教えてくれるって言ったから」
「パンダくんになら教えてあげてもいいと思ったのよ。あなたは破滅的な馬鹿というわけではないし、隣の席のよしみでね」
「光栄だなぁ」
「……それがどうしてこの人数に膨れ上がるの?」
「この三人は、無謀にも俺に勉強を教えてくれと頼んできたんだよね。でも自分のことで精いっぱいだったもので」
「それで私に身勝手なパスを出したの。ふうん、私をこき使うなんていい度胸じゃない」
俺は逃げたくなった。
だけど猫田さんのノートには千金の価値がある。同時にご機嫌取りにも。
「こき使うだなんて……俺は猫田さんと仲良くしたいんだ」
苦し紛れの言葉に、猫田さんと何故か小熊さんまで驚くほどに反応した。
「ふぅん」
猫田さんは町を牛耳る悪い支配者のような意地悪な笑顔。
「な、仲良く……?」
小熊さんは増税を言い渡された市民のような悲愴な顔。
「みんなで勉強して、仲良くなれたらいいなって」
「……パンダくん」
猫田さんは呆れたように目を閉じた。
「え、俺、なんか変なこと言った?」
「ううん、全然。わたしも、みんなとお勉強会楽しいよー」
小熊さんが笑顔でそう言ってくれたので、俺は一安心する。
「……おい。無駄話している暇があったら、勉強した方がいいんじゃねえの。次のテストで赤点取ったら、夏休みが潰れるんだぞ」
忠弥がテキストから顔を上げもせず、つまらなそうに鼻を鳴らした。
そうなのである。
七月のビッグイベント、期末テストが迫っている。
そこで悪い点数を取ってしまうと、よろりによる『地獄の捕囚、もとい補習』が行われ、一教科につき五日間、夏休みに登校しなければならなくなる。考えただけで身ぶるいが。
「あら、元はと言えばネズミくんが原因でしょ? よろり先生がへそ曲げてそんなことを言い出したのも」
猫田さんの言葉に忠弥は顔をしかめる。
球技大会の男子バスケの決勝。
忠弥たちは死力を尽くして試合に臨んだが、やはりドッジボールの疲れが後半に響いて準優勝になってしまった。よろりはもちろん二番手で満足するような人間ではない。ていうか本当に人間ではない。
夏休みに行うという補習も、敗北で機嫌を損ねたよろりが言い出したのだ。
「うるせぇ。そもそも参加しなかった奴に言われたくねえよ」
「しょうがないでしょ? あなたと違って繊細な体なんだから」
「心の方はまったく繊細には見えないけどな」
「あなたの心は意外と繊細みたいだけどね」
「はぁ?」
忠弥は猫田さんを睨みつけた。しかし彼女は動じない。
「球技大会の決勝戦、手加減してたでしょ? 対戦チームに、例の何とか先輩がいたみたいね。私に熱烈なお手紙をくれた人」
「……そ、それが何だって言うんだ」
獲物をいたぶるのを楽しみながら、猫田さんは言う。
「気を遣ったんでしょ? 尊敬する先輩を、私が観ている前で後輩に負けさせるわけにはいかないから」
忠弥は否定しようと口を開いたらしいが舌がもつれて何も言葉にならなかった。その態度は認めたに等しい。
「私への態度は大きいくせに、先輩へとなると随分気が小さいのね」
忠弥の顔がかあっと赤くなり、一瞬でその場の空気が緊張した。
俺は口を挟めない。猫田さんは今、忠弥の心の地雷原でダンスを踊っているようなものなのに。
「処世術のつもりかしら? だとしたら、あなたには似合わないわね。わざと負けるなんて、スポーツマンシップはどうしたのよ。それとも――」
「黙れ!」
忠弥は机に拳を振り下ろし、立ち上がった。図書室内が静まり返り、さすがの響子ちゃんも飛び起きた。
マジギレだった。
もしも机を挟んでいなかったら、猫田さんの胸倉を掴みかかっていてもおかしくはない。
「……帰る」
忠弥は俺と響子ちゃんに少しだけ申し訳なさそうに目を伏せて、荷物をまとめて出ていった。退室際に司書の先生に注意されている背中に、俺は何か声をかけるべきだっただろうか。
しかし俺はその場に氷漬けになったように動けなかった。
昔の忠弥だったら、きっと喚き散らしてかなり遠慮のない言葉を猫田さんに返していた。それがない分、彼は成長したのだ。今どんな声をかけても、彼の我慢を踏みにじってしまうような気がする。飲み込んだ言葉が胸につっかえて、鉛のように重い。
結局、図書室を利用する生徒たちが眉根を寄せて咳払いをした後にまた自らの時間に没頭しだすまで、残された俺たちは無言を貫き通した。
「あ、あの、猫ちゃん……謝ったほうがいいんじゃないかなー」
猫田さんの苛烈な一面を目の当たりにして固まっていた小熊さんが、我に返って恐る恐る言う。
「知らないわよ、そんなこと」
「でも」
「うるさい」
小熊さんは言葉に詰まり、猫田さんは鞄を手にとった。
「……不愉快だから私も帰る」
猫田さんは無表情だった。何の感情も読み取れない。
「怒らせちゃった」
「小熊さんのせいじゃないよ」
どうしよう、と残された三人は顔を見合わせる。
「さったん、頑張れ」
「パンダくん、お願い」
響子ちゃんと小熊さんの中で答えはすぐに出たらしい。
いや、あの二人の仲直りは俺も望んでいるけども、ちょっと荷が重いよ。
マジでどうしよう。




