魔女は気まぐれ
「ふぅん、よろり先生がそんなことを?」
心底どうでもよさそうに猫田さんは言った。
球技大会の翌日の昼休み、俺は人気のない階段の踊り場に猫田さんを呼び出し、よろりからの宣戦布告について相談した。
「よく考えたら、悪魔の力が効かないからってなんで俺が目の敵にされなきゃいけないんだろうって思ってさ。謎だよ」
「それは私が『大した悪魔じゃないのね』って馬鹿にしたからかもしれないわ」
「……女の子にこんなこと言いたくないけど、余計なことしやがってって怒っていいかな?」
猫田さんはくすぐったい声で笑う。
「でもまぁ、魔女の私の目から見ても、パンダくんって不思議よ。私やよろり先生の正体知っても大して怖がってないし」
「え? 怖いよ。でもあからさまに怖がったら弱みにつけこまれそうだから」
「そういうところが不思議なのよ。魔への的確な対処を自然にやっているんだもの」
そういうものなのか。
じゃあ、怖がっていたら弱みにつけ込むつもりだったということだろうか。
俺は自分の情報の少なさに不安を覚えた。
「もし良かったら、魔女と悪魔の関係について教えてくれないかな? どうしてよろり先生は猫田さんに仕えているの? もしかして単独では動けない?」
「私が本当のことを教えるとでも? 嘘をつくかもよ」
「教えてくれるよ。俺たちのクラス委員長は正しいことしか言わない」
気が強くて性悪かもしれないけど、猫田さんは嘘をつかない。
その点に関しては信用できる。
猫田さんは唇を尖らせ、ぶっきらぼうに告げた。
「悪魔がこっちの世界に滞在するには、誰かが許可を出さないといけないの。悪魔の存在を認知できる存在、私みたいな魔術師の家系の人間がね。そして、悪魔の滞在料として魔力を支払うのよ」
「誰に支払うの?」
「さぁ? 『大いなる森羅万象』、『全能の英知』とか呼ばれてるけど、よく分かんないのよね。多分、この現実世界を牛耳ってる神様的な何かよ」
「めっちゃアバウト……」
魔術師の魔力を消費し、悪魔などの魔の者はこの世界にやってくる。
たいていは魔術師の方から用があって呼び出すものらしい。
だけど猫田さんの場合は、向こうからのナンパ、もとい勧誘だった。
よろりの滞在料を払う代わりに、絶対服従を約束させた。といっても、猫田さんに悪魔を束縛する趣味はなく、わりとよろりには自由にさせている。その方が面白いからという理由でだ。
「じゃあ、猫田さんが魔力を払うのを止めれば、よろり先生は魔界的なところに帰る?」
「そうね。でも無理よ」
「どうして?」
「三年契約しちゃったもの。契約を破れば、私が神様的な何かから制裁を受ける」
ご利用は計画的に。
「何その呆れた目。私は後悔してない。だって先生のおかげで愉快だもの。普通に普通の高校生活なんて息がつまるでしょ」
さいですか。
三年契約かぁ。
俺たちが高校を卒業するまでよろりはこの世界にい続けるらしい。
「……まぁ、いるだけならいいか。それに日海学園に入学できたことや、クラスのみんなと出会えたことには素直に感謝もしてる。ただ、また遠足のときみたいな問題を起こすのは何としてでも阻止したいな。あと夢への不法侵入も」
「じゃあせいぜい私の機嫌を損ねないことね」
結局そこに行きつくのか。
俺もいろいろ考えた。
猫田さんを大人しくさせるにはどうすればいいか。
それこそ社会的に弱味を握って脅すのはどうか、とかゲスな発想も頭をよぎった。
だけどそんなことをしたら、俺の方が悪魔になってしまう。
やはりここは正攻法が一番だと思う。
「猫田さん」
「な、何?」
俺は左手で彼女の手を取る。そしてありったけの誠意をこめて彼女の瞳を見つめ、真剣な声で告げる。
「俺、信じてるから。猫田さんのこと」
猫田さんは目を見開き、戸惑い、そして顔を背けた。
「も、もう、やめてよね。び、びっくりするじゃない。パンダくんがこういう手を使ってくるなんて……」
猫田さんの頬が赤い気がする。
まずい、怒らせたかな。俺は焦り、手を離す。
「えっと、ああ、うん。もし体調悪いときに、学校の面倒な仕事を押し付けられたら俺に言って。手伝うからさ」
猫田さんはじぃっと俺を見つめ、ため息を吐いた。
「まぁ、パンダくんに免じて、しばらく悪魔の力で何かするのは自重してあげる」
「本当?」
「ええ。私、嘘はつかないわ」
俺の心配とは裏腹に、猫田さんはご機嫌に微笑んだ。
「と、ところで、パンダくんの方こそ右手の調子はどうなの?」
「え? ああ、まだ動かすとちょっと痛いよ。箸とか持ちづらい」
球技大会のドッジボールで突き指した中指には包帯が巻かれている。病院で診てもらったら、骨には異常はないが、内出血していて腫れている。一週間くらいは痛むそうだ。
「そう。箸だけじゃなくて、ペンも持ちづらいでしょ? 隣のよしみだし、ノートを――」
「あ、やっと見つけたー、パンダくん」
階段の下から弾むような声。
小熊さんだ。
「て、あ、猫ちゃんも……ごめんなさい。お取込み中だったかな?」
「いいえ。ちょっとした世間話よ。パンダくんに用事ならどうぞ」
猫田さんがいつものように上品な笑顔を向ける。小熊さんは安心したように息を吐き、俺にノートを差し出した。
「あのね、パンダくん、午前の分のノート、こんな感じでどうかな?」
ぱらぱらと中身を見せてくれる小熊さん。
丸っこい字で丁寧に書き込んである。
「本当に取ってくれたんだ。ありがとう」
「ううん。こちらこそ、庇ってくれたお礼だもん」
実は今朝、小熊さんからしばらくノートを代わりに取るという申し出があった。俺は恐縮して断ったのだが、ぜひぜひ、と言って小熊さんは一歩も引かなかった。
ドッジボールのときの負い目があるのだろうが、やはり小熊さんは優しい。
けがの功名といったら元も子もないけど、俺は素直に喜んだ。
「ふぅん。あなたたち、いつの間にか仲良しになったのね」
猫田さんの言葉に俺と小熊さんは赤面する。
あれ、猫田さんの目が笑っていないのは気のせいだろうか。
翌日、小熊さんが沈んだ表情で登校してきた。
心配して声をかけると、夢見が悪かったと打ち明けてくれた。
「怒らないで聞いてほしんだけど……パンダくんが本物のパンダになっちゃってサーカスに売られちゃったの。ドナドナが流れてた」
どう反応すればいいか分からん。
俺の夢を見てくれたのは嬉しい。というか、照れる。
でもなんでそんな微妙な夢を。
まさか、ね。
悪魔の力は自重すると約束したばかりだ。
俺は素知らぬ顔で本を読んでいる猫田さんをちらりと見て、悪い想像を打ち消した。




