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家出娘、芸妓になる

 乙葉が葵屋に来て、数日が経った。

 はじめは理瀬と一緒に台所に立ったり、膳を運んだりするだけだった。


 けれど、乙葉が店に馴染むまでにそう時間はかからなかった。


 誰が何を必要としているのか、どこに何があるのか。

 頼まれる前に動く。

 客の様子を見て、必要なものを察する。


 それは、乙葉がこれまで人と向き合う中で身につけてきたものだった。




「あら、ええやない」


 椿の声に、乙葉は振り返った。

 華やかな着物。整えられた髪。普段とは違う化粧。


 数日前まで新選組の隊士として男装していたとは思えない姿だった。


「……乙葉」


 乙葉は理瀬を見る。


「どう? 似合う?」


「……うん」


 乙葉を知る者なら、一瞬言葉を失うくらい、似合っていた。


(……本当に、楽しんでいる)


 普通なら戸惑うところなのに。

 乙葉はいつだって、知らない場所でも前を向く。

 そういうところが、乙葉らしいと思った。

 



 ――少し前。

 事の始まりは、椿の一言だった。


「乙葉」


 いつものように膳を運んでいた乙葉に、女将の椿が声をかける。


「あんた、緊張せぇへんのえ?」


「何が?」


「ここで働くことや。島原やいうても」


「別に。やることは変わらないでしょ」


 あっさり返す乙葉に、椿がくつりと笑う。


「あんた、座敷に出したら案外よう務まるかもしれへんな」


「私が?」


「人の顔色読むんが上手いやろ」


「……それ、褒めてるの?」


 椿は乙葉をじっと見つめると、ふっと口元を緩めた。


「一遍、きれいに整えてみよか。こっちおいで」


「整えるって何?」


 乙葉は首を傾げながら、椿のあとについていった。




 気づけば乙葉は鏡の前に座らされていた。


「動かんといておくれやす」


 髪を結われ、白粉を丁寧にのせられる。


「お口、閉じておくれやす」


 いつもとは違う紅を引かれる。


「……まるで別人やなぁ」


 乙葉を整えた芸妓が、化粧道具をしまいながら言う。

 

 化粧が終わると、着替えもさせられた。

 

 着物を重ねられる。


「ちょっと待って。これ毎日着てるの?」


 帯を締められた瞬間、乙葉は小さく息を吐いた。


「帯ってこんな締めるものなの?」

「歩きにくいんだけど」


 着替えさせながら、「息がしづらい」「重い」と文句を言っていた乙葉も、着替え終わる頃には、少しだけ表情を変えていた。


「ほれ見ぃ。やっぱり、よう似合うやないの」


 芸妓姿の乙葉を見て、椿が満足そうに頷く。


 姿見に映るのは、自分のはずなのに、知らない女だった。

 

 スーツを着た自分とも、いつもの着物姿とも、隊士姿とも違う。

 白粉と紅に彩られたその姿は、まるで別人だった。


「……へえ」

  

 思わず、感心したような声が漏れる。

 くるりとその場で一度、裾をひるがえした。


「ほんまに、ようお似合いやす」


「そう?」


 椿は乙葉を頭の先から足元まで眺めると、ひとつ頷いた。


「……」


 少し離れたところでは、腕を組み、理瀬が呆れたような顔でその様子を眺めていた。

 

「ええなぁ、華もあるし」


 椿は顎に手を添え、満足そうに頷く。


「せっかくや。立ち居振る舞いも覚えとき」


「私、そんなの知らないわよ」


 化粧を施してくれた芸妓は、「うちはこれから座敷やさかい」と軽く会釈すると、部屋を後にした。


 椿は、壁際で静かに控えていた理瀬へ目を向ける。


「理瀬。あんた、座敷に上がることもあるやろ。教えたってくれへんか」


「……私が、ですか」


「そや。わても仕事がある。あんたの仕事はほかの子に回しとくさかい、頼んだえ。ほな、あとで顔出すわ」


 そう言って椿は理瀬の肩をぽんと叩き、そのまま部屋を出ていった。


 残されたのは、乙葉と理瀬の二人だけ。


 廊下の向こうでは、椿が誰かに指図する声と、忙しなく行き交う足音だけが響いていた。


「理瀬、この着物すごいわね。こんな重いのをいつも芸妓さんたちって着てるの?」


 理瀬からはなにも返事がない。


「どうしたのよ」


「……乙葉」


 低い声だった。

 

「……なによ」


「みっちり、教えてあげる」


 にこりと、理瀬は笑った。


「理瀬? ちょっと、笑顔が怖いわよ?」


 その笑顔に、乙葉は嫌な予感を覚える。

 理瀬は本気で乙葉を座敷に出せる状態まで仕上げるつもりなのだ。


 理瀬は笑顔のまま、乙葉に近づく。


「口答えしない」


 それだけ言って、ぱしんと乙葉の手をたたく。


「痛っ!」


「指先そろえて」


「ちょっと理瀬……」


「足」

「笑い方」

「背筋」


 次々と容赦のない指摘に乙葉は「ちょっと待ちなさいよーー」と叫んだ。



 しばらくして。


「……悪くない」


 ようやく、理瀬から合格が下りた。


(……やっと終わった……)


 乙葉は疲れ切っていた。

 けれど、不思議と嫌ではなかった。

 

 指摘されるたび、できなかったことができるようになる。

 その感覚は、嫌いではない。

 

「問題なく座敷に出られる?」


「問題ない。……正直、乙葉の飲み込みが早くて驚いた」


 少しだけ感心したような声だった。


「まあね」


 得意気に胸を張る。


 一瞬、理瀬は何か言いたそうに乙葉を見た。


「……調子にのらないで」



「どないな調子や」


 理瀬に所作を叩き込まれ終えたころには、椿が部屋へ戻ってきた。


「一通り教えました」


 理瀬が答える。


「この短い間にか」


 椿は半信半疑で乙葉へ目を向けた。

 

 先ほどまでとは違う。


 背筋はすっと伸び、指先まで気が通っている。

 歩くときも、座るときも、無駄な動きがない。


 乙葉は教わったとおり、静かに一礼した。


 まだ初々しさは残る。

 けれど、客前に出しても見劣りしない華があった。


(見込みがあるとは思うたけど……ここまでとはなぁ)


「……ほぉ」


 椿は目を細める。


「すっかり、ほんまもんみたいやないの」


 満足そうに頷くと、すぐに次の算段を口にした。


「今日の座敷は小ぃさい席や。乙葉も上げてみよか」


「ずいぶん、急ね」


 そう言いながら、乙葉の表情はむしろ楽しげだった。


「椿さん、本気ですか」


 理瀬が眉を寄せる。


「案じな。あんたのつく座敷や。何かあっても目ぇ届くやろ」


「だったら安心ね」


 黙ったままの理瀬へ、乙葉は笑う。


「大丈夫よ! 任せて!」


「あなたが言うと、不安」


 冷たく返される。


「さて、頑張るわよ!」


 すっかりその気の乙葉。


「……家出娘が、何をしているの」


 静かな突っ込みを、乙葉は聞こえないふりをした。


 理瀬は小さく息を吐いた。

 けれど、止める気はなかった。



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