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浅葱を脱いで、夜を出る

 屯所から戻った乙葉は、戸をこんこんと叩く。

 しばらくして、静かな足音が戸の奥から聞こえてくる。

 からりとゆっくり戸が開く。

 志保里が顔を覗かせ、「おかえりなさい」と笑みを浮かべる。

 

 乙葉を出迎えた志保里はいつもと変わらない。

 志保里の顔を見た途端、屯所の騒がしさが遠のいた気がした。


「ただいま」


 乙葉は笑みを返そうとした。

 少しだけぎこちない笑みだった。


 草履を脱いで、志保里の横を通り過ぎる。


 廊下を進んで自室へ向かう。

 いつもより床が軋む音が大きく聞こえた。


 襖に手をかけ、すっと引く。

 少し乱暴に開いた襖がかたんと音を立てて跳ねた。


 部屋に入って、肩から荷物を下ろす。

 

「……ふぅ」


 小さく息が漏れた。

 どさりと畳へ落ちた音に、張りつめていたものまで一緒にほどけた気がした。


 部屋の奥に進み、羽織を脱ぐ。

 畳の上に羽織がぱさりと落ちる。

 

 袴、男物の着物を一枚ずつ脱いでいく。

 袴を畳に置くと、少し重さのある布の音がした。


 体から重みが消えるたび、愁生から、乙葉へ戻っていく気がする。


 脱いだ隊服を雑に畳んで、視界からどかすように部屋の隅においやる。

 遅れてやってきた志保里の影が伸び、乱雑に置かれた隊服に影を落とした。

 

 乙葉は女物の着物に手を伸ばし、慣れた様子で着替えていく。

 

 しゅるり、と帯を引き、最後にきゅっと締め上げる。

 帯を締める手だけが今日は少し荒い。


 乱暴に結んだ帯がぎゅっと締まった。

 帯が少しだけ曲がったが、乙葉はそのままにした。


 着替えが終わり、乙葉はがらっと音を立てて箪笥を開ける。

 箪笥から着替えを一組、手ぬぐい、櫛、小さな巾着を取り出していく。


 その手つきは荒く、放り出した櫛がころりと畳を転がった。

 

 「……乙葉さん?」


 少しだけ、動きの早い乙葉。

 物を取り出す音も、室内にいつもより響いて聞こえ、志保里が静かに声をかける。


 黙々と乙葉は荷物をまとめ始める。

 

 志保里の視線が、乙葉の手元へ向く。

 少し出かけるという荷物ではない。


 一拍の間を置いて、もう一度志保里が声をかける。


「……どちらへ?」


 ぎゅっと荷物を詰めながら、乙葉は振り返らずに答える。


「家出」


「……え?」


 一瞬、志保里は乙葉の口から出た言葉が理解できず、首を傾げた。


「い、家出……ですか?」


「家出するから!!」


 乙葉は乱暴に荷物を押し込んだ。


 志保里は乙葉に近づき、恐る恐る問いかける。 


「……土方様と喧嘩でも、されたのですか?」


 ぴたりと荷物を詰める手が止まる。


 屯所を出た時の静けさが、ふいに胸を掠める。

 

 ……聞こえなかった。

 あの足音だけは。

 

 乙葉は俯いたまま黙る。


 風が木々の間を抜け、さわさわと葉の鳴る音が響く。

 静寂が落ちる。



「あいつ!!!!」


 

 荷物を乱暴に風呂敷へ放り込んで、乙葉が叫ぶ。


 乙葉の声に、びくりと志保里の肩が揺れた。

 

 一歩乙葉に近づき、


「何があったんですか?」

 

 もう一度問いかける。


 そこで乙葉がようやく振り返った。

 帰宅したときの硬い表情はそこにはない。

 少し乱れた髪。

 上がった眉。

 きゅっと引き結ばれた唇。


 志保里はその様子に「土方様がなにか?」と聞く。


「……あいつ!」


 視線を荷物に戻し、ぎゅっと押し込める。


「ほんっと信じらんない!」


 また畳む。


「何なのよ!」


「何か、言われたのですか?」


「言われたわよ!」


 ぼすんと荷物を叩く。


「『好きにしろ』ですって!」


「好きにした結果がこれよ!」


 志保里は静かに聞く。

 

 乙葉はそこまで言って、深く息を吐いた。


 荷物の上の掌をぎゅっと握る。

 

「もう勝手にすればいいのよ、あんな男」


「乙葉さん……」


「……こっちだって心配ばっかりしてるのに」


 握られた拳の指先が白くなる。

 先ほどまでの勢いはしぼみ、声は小さくなっていく。


 ——どうして、伝わらないの。


『そんなに一人でやりたいなら好きにしろ』

 その冷たい声が、聞こえた気がした。


 目頭に熱を感じ、乙葉はぎゅっと唇を噛みしめた。


 最後に、部屋の隅へ放っていた浅葱色の隊服を乱暴に引き寄せる。


「……」

 

 一瞬だけ睨むように見つめ、それも風呂敷へ押し込んだ。

 荷物を詰め終わった風呂敷を力いっぱいに結ぶ。

 

 すっと立ち上がる。

 無言で志保里の横を通りすぎ、足早に玄関へ向かう。


「どちらへ行かれるのですか?」


 慌てて志保里が乙葉を追う。


「心配しないで。行先はあるから」


「ですが……っ」


 乙葉は乱暴に草履をひっかけ、くるりと振り返る。

 

 口元を持ち上げる。

 今度は、ちゃんと笑えた。

 

「ごめんね」


 それだけ言って、乙葉はがらっと戸を開け出て行った。


 ぴしゃりと戸が閉まり、乙葉の姿が見えなくなる。

 

 足音が遠のき、やがて聞こえなくなる。

 残されたのは、乙葉が置いていった熱だけだった。

 

 わずかな間、志保里は玄関で立ち尽くした。


 ——あんな笑い方をする乙葉さんを、見送ってはいけなかった。


  そう思った時にはもう遅い。

  志保里は急いで草履を履いた。


「土方様に、お知らせしないと」


 そう決めると、志保里は新選組の屯所へと急いだ。



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