第十三章 家出仲間は増えません
乙葉と葵が言い争っていると、音もなく襖が開く。人形――と思うほどの美しい女が立っていた。
「何してるの」
その芸妓は、水面に波紋を作るように、声を落とした。
「理瀬さん!」
「今は、霧乃」
それでも、「今は誰もいないので、理瀬さん」と呼んで楽しそうに手を引く葵。
ため息を吐きつつ、理瀬は二人の近くに腰を下ろした。
葵は「二人並ぶとお姫様みたい」とうっとりした。
理瀬は葵の男装と、雑に結ばれた髪の束をちらっと見て、「ありがとう」とごく薄い反応のみを返す。
面倒事をさっさと解決しようとせんばかりに口を開いた。
「先に言っておく。私は手引きしてない。乙葉が家出して転がり込んでるだけ」
乙葉は「言い方……」と不満を漏らす。
「事実でしょ?」
取り澄ましている。というよりは淡々としている理瀬。
乙葉は家出人扱いされるのは面白くなかったが、居候で肩身が狭い分、大人しくするしかなかった。
「乙葉さん危険なことしてません?」
葵が心配そうに尋ねる。
理瀬の無言の重圧が乙葉に刺さる。
何かを悟られているのだろうか。だけど、乙葉も現段階で口にできることはない。
「……危険なことなんて、してないわよ」
「どうなんですか理瀬さん」
理瀬は首をわずかにかたむける。
「してないかな」
今のところは……と続く言葉を飲み込んだのか、理瀬は密やかに瞬きをした。
葵を巻き込みたくないという乙葉の気持ちを察してくれたのだろうか。
今はその心遣いがありがたい。
「理瀬さんがいるんなら安心ですよね。芸妓の先輩としても、乙葉さんの監督者としても」
「あんまり期待しないで」
理瀬は答えて、不審なものを見張るように、ちらと障子へ目を滑らせる。
先程の不気味な男がいる部屋の方角だった。
勘の鋭い理瀬のことだ。島原にはびこり始めた悪意を敏感に感じ取っているのだろう。
乙葉に気づくと、理瀬はわずかに目を細め、葵に言った。
「まあ、乙葉とは同じ部屋だから……本当に危険なときは止める」
守る。ではなく、止める。
だけど、見て見ぬふりはしない。
そんな、理瀬の回答に安心したのか、葵は後ろに手をつき、足を前に投げ出した。
「いいなぁ二人部屋。修学旅行みたい」
「葵、理瀬は修学旅行わかんないでしょ」
理瀬は純然たるこの時代の人間だ。
乙葉が呆れ顔で指摘すると、葵はそっか、と話を変えた。
「夜は二人で恋の話したり?」
「しない」
理瀬は顔色一つ変えない。
「えー? 理瀬さんすっごく綺麗ですもん。恋人いるんでしょう?」
「……いない」
半拍空いた理瀬に、乙葉はぷっと声を漏らした。
「なに?」
理瀬から不機嫌な声が飛ぶ。
乙葉は足を崩した。
「だって理瀬、あの人の話になると、仮面が剥がれるっていうか」
理瀬は、ひくりと眉を寄せる。
「この話はもう終わり」
一刀両断だ。
乙葉は、理瀬の部屋にあった二振りの刀を思い出す。
理瀬だって、葵と年は変わらない。
なのに、その細い肩に重いものを背負っている。
それを思うと、こうして女三人で和やかに話していることの方が、非日常に感じる。
ずっと、こうならいいのに。
幕末では無理なことか、と自嘲しかけた。
そのとき、
「私も家出したい……」
突如落とされた言葉に、乙葉は耳を疑った。
「は?」
声の主は葵だった。
「私も屯所を出て、理瀬さんと乙葉さんと住みたいですっ!」
理瀬は乙葉と顔を見合わせ、こめかみを押さえた。頭痛の種を潰すように、強めに指が食い込んでいる。
「乙葉、家出人増やすつもり?」
素の呆れ顔だ。
葵は颯爽と立ち上がった。
「そうと決まれば、沖田さんに話してきますね」
何も決まってなどいない。
乙葉は、葵の袴を引っ張った。
「バカなこと言わないの。総司が聞いたら、卒倒して三日三晩寝込むわよ」
「二人だけ楽しむなんてズルいですっ!」
「ズルいとかじゃないでしょ。子どもね」
「子どもで結構ですっ」
頭上を飛び交う声を聞きながら、理瀬は再び障子、次いで新選組の座敷へ向かう襖へ目を向けた。
理瀬が動き方を測っている間にも、二人の姉妹漫才は止まない。
「葵まで来たら迷惑でしょうが!」
「乙葉さんも十分迷惑ですよ! 家出やめてください!」
「嫌よ!」
葵は俯いた。
「副長が、心配してますよ……」
その一言に、乙葉の瞳が揺れた。




