98 拙い交渉
案内された先はテラスの席では無く、部屋に通じる通路の手前の歓談できるスペースだった。
ヘンリー子爵はまだ着いていないようで、ここで来るのを待つことになった。
途中、支配人が別の貴族に挨拶にいったりしたので、ヘンリー子爵と行き違いになっていないか不安になる。
「でも、良かったっすね。さすがのノチアっちでも成人男性の部屋に向かうのは外聞が悪いっすから、ここでなきゃ止めなきゃならなかったっすよ」
「ううっ……。迂闊だったことは謝るから、母様には内緒にしておいて、お願いテスラ!」
「今日はホローしてくれるアイラ様やルキラ様がいないんっすから気をつけてくださいっすよ!」
「……はい」
私の迂闊さをテスラに指摘されてしょんぼりする。
フェリシアに尊敬するような眼差しで見られて、調子に乗ってしまっていたのは事確かだ。
怒られている時、恥ずかしくてフェリシアの方を見れなかった。
「これはこれはノチア嬢。このような所に私をお呼びだてくださるとは、さすがは陛下に謁見を賜る程のご令嬢はその振舞い方からして違うようですね」
出会い頭に痛烈な批判を受けてしまった。
言葉を発したのは、支配人のダスと執事を伴った男性。
彼がヘンリー子爵で間違いないだろう。
「お初にお目にかかります。ラウメ領ダスティン・ライ・ラウメ子爵が長女ノチアと申します」
「ミューヘ侯爵家長女のフェリシアよ」
「丁寧な挨拶痛み入るが、正式な場でもないので簡単な挨拶で十分だ。ヘンリーだ」
私は挨拶を交わしながらヘンリーの恰好を見る。
飾りは控えめだが光沢のある生地は高級で作りも丁寧だ。
金色の髪は綺麗にまとめられていて、その瞳は少し神経質に細められている。
「要件を簡潔に言うわ。あなたが行っている演出について改善をして欲しいの。彼女の歌は素晴らしいわ。もっとちゃんとした場の雰囲気さえ作ってもらえれば……」
「必要ない! 歌を聞かせて何になる。それで貴族の妾にでもしてもらうのか? 歌手など男に媚びるしか出来ない職業ではないか。……嘆かわしい」
「なっ、彼女は媚びてなんていないわ。取り消して!」
「アリスが媚びているかどうかなど関係ない。あの娘の舞台など酒場で十分だ!」
「アイリーヌよ! 名前もうろ覚えで良くも彼女の歌を否定できたものだわね」
「……チッ! とにかく話はこれで終わりだ」
「それはあんまりだ。私もぜひノチア嬢の絶賛する歌声を静かな環境で聞きたいんだが?」
思わずムキになりそうになっていた私たちの会話に、割り込んできたのは聞き覚えのある声だった。
「シリオスお兄様!」
「こら! 母さんたちに心配をかけちゃダメじゃないかフェリシア」
「それは……ごめんなさい」
「でも良かったじゃないか。憧れのノチア嬢に会えたんだね」
「ちょっ……兄さま、シーッ!」
シリオスの発言にフェリシアが必死に人差し指を立ててアピールする。
「なんだい? 言ってなかったのか? 妹はダイアで竜を従えたと噂になっていた時点からの君の大ファンなんだ。なんて言ったって、酒場の吟遊詩人が歌にしていた程度の噂話を集めて本にしてしまったのは妹だからね」
「ああー! 違うんですノチアお姉さま!」
そこでやたらとフェリシアが私を焚きつけていた理由がわかった。
判断したのは私だが、フェリシア的には新たな伝説が見れるとでも思ったのだろう。
「シリオス殿。個人的な事ゆえ干渉しないでいただきたい」
「干渉? 私は歌を静かに聞きたいから演出を変えて欲しいと言う提案に乗っただけだよ?」
「そうです。取るに足らない歌だと言うのなら、わざわざ邪魔をする必要もないでしょ」
「…………」
「今回だけでもいいんです。お願いします」
私は誠心誠意に頭を下げた。
もう、許可が出るまで頭を上げるつもりはない。
「……今回だけだ」
「はい」
かなり強引で無策な手だったが、ヘンリーは折れてくれたようだ。
「妹と劇を見るつもりだったけど、ここで待つよ。私もフラウに誤解されたくないからね!」
去っていくヘンリーの後ろ姿を見ているとシリオスがそんなことを言って来たので笑ってしまう。
すると、舞台が始まったようでオーケストラの音が響いた。
シリオスの言葉に甘えて、私はフェリシアとテラス席に戻ると、そのまま舞台を鑑賞させてもらった。
そして、いよいよアイリーヌの出番になる。
「わっ! 暗くなったぞ」
ヘンリーは私の意見を実行してくれたようで、アンリーヌの登場と共に周りが騒がしくなり始めると魔道具の明かりを落としてくれた。
しばらくすると、スポットライトの様にアイリーヌだけが照らされ、歌声が響き始める。
すると、暗闇の中でも続いていたざわめきが徐々に収まっていく。
「お姉さまの言う通り。綺麗な歌声だわ」
膝の上に座っているフェリシアのつぶやきに、私は小さくガッツポーズする。
アイリーヌの歌声は見事に観客の心を射抜いたのだ。
歌が終わると舞台の光が落とされる。
その瞬間に、歓声が爆発したように上がった。
明るさの戻った観客席はアンリーヌの歌声を称える声で溢れていた。




