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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
十三章

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第2話

玄関先では、ほかの令嬢たちもそれぞれ帰り支度をしていた。


「本日はご一緒できて楽しかったですわ」


エルネスタが明るく笑う。


「ええ……ありがとうございました」


マルティナも控えめに頭を下げた。


セシリアは扇を閉じたまま、崩れない笑みを向けてくる。


「またお目にかかれますとよろしいですわね」


「こちらこそ」


私は礼を返し、迎えの馬車へ乗り込んだ。


馬車が動き出してから、ようやく息をつく。


茶会は終わったはずなのに、心は少しも静まらなかった。


――また、お会いする機会をいただけませんか。


ルーカスの柔らかな声が、まだ耳に残っている。


けれど、それに重なるように、別の言葉も蘇った。


――報せくらいは寄越せ。


「……どう伝えたらいいのかな」


手紙でよいのだろうか。


そもそも、なぜ彼はこんなにも気にするのだろう。


窓の外へ目を向ける。


グラーフ邸は、ここからそう遠くない。


「……すみません」


御者へ声をかけると、小窓越しに返事があった。


「少し寄り道をお願いしてもいいかしら。グラーフ伯爵家へ」


「かしこまりました」


御者はそれ以上尋ねることなく、馬車の向きを変えた。


……直接伝えた方が早いもの。


胸の内でそう言い聞かせてみたものの、どこか言い訳めいて聞こえた。



グラーフ邸へ着いた頃には、空がわずかに暮れかけていた。


見慣れた門をくぐり、馬車がゆるやかに止まる。


途端に、今さらのように気後れが押し寄せた。


勢いで来てしまったけれど、迷惑ではないか。


こんな時間に、ただ茶会の報告をするためだけに訪ねるなんて。


「お嬢様」


御者の声に、はっと我に返る。


「お降りになりますか」


「……ええ」


自分で決めたはずなのに、返事が少し遅れた。


扉が開き、私は馬車を降りる。


ほどなくして、邸の使用人がこちらに気づき、足早に近づいてきた。


「エリナ様。ようこそお越しくださいました。本日はどのようなご用向きでしょうか」


見覚えのある顔だった。


以前、応接間へ案内してくれた使用人だ。


私は裾を直し、頭を下げる。


「突然申し訳ありません。アーネスト様に、茶会のご報告をと思いまして……」


「承知いたしました。こちらで少々お待ちくださいませ」


使用人は私を玄関広間へ通すと、邸の奥へ下がっていった。


私はその場で手を重ね、落ち着かない気持ちを押さえる。


しばらくして、先ほどの使用人が戻ってきた。


「伯爵様がお会いになるとのことです。どうぞ、こちらへ」


「……ありがとうございます」


案内に従い、以前にも通った廊下を進む。


執務室の前で使用人が足を止め、扉を開いた。


「エリナ様をお連れいたしました」


「入れ」


低い声が、部屋の中から返ってくる。


私はひとつ息を吸い、中へ足を踏み入れた。


「失礼いたします」


机に向かっていたアーネストが、書類から目を上げた。


「こんな時間に、すみません……」


「いや。報せは寄越せと言った」


アーネストは向かいの椅子を示した。


「座れ」


「ありがとうございます」


勧められるまま腰を下ろすと、彼はすぐに尋ねた。


「それで、どうだった」


「無事に終わりました。ハーゼルベルク子爵夫人は、とても穏やかな方でした」


そう答えてから、次の言葉を選ぶ。


「ほかにも、私と同じくらいの年頃の令嬢が三人いらして……」


アーネストは黙って続きを待っている。


「好きなものや、贈り物の選び方についてお話ししました。それぞれ考え方が違っていて、少し意外でした」


「お前は何を話した」


「私は……相手に気を遣わせすぎず、あとに残りすぎないものがよい、と」


「お前らしいな」


「子爵夫人も、そういう考え方は嫌いではないとおっしゃってくださいました」


「そうか」


短く答えたあと、アーネストがわずかに間を置く。


「……ルーカスは」


私は思わず彼を見た。


表情はいつもと変わらない。

けれど、その問いだけが妙にまっすぐに聞こえた。


「夫人が手土産を喜んでくださったと、教えてくださいました」


そこまで話してから、少しためらう。


「それから……また会う機会をいただけないか、と」


「……そう言われたのか」


「あの……こんなことをお聞きするのも、変かもしれませんけれど」


私は膝の上で手を組み直した。


「あれは、その……好意を持ってくださっていると受け取ってもよいのでしょうか」


アーネストはすぐには答えなかった。


「社交辞令だけで、あそこまで踏み込む男ではないだろう」


「では……」


「お前に好意があると見ていい」


「そうですか……」


息を吐くと、肩から力が抜けた。


嬉しさより先に安堵してしまった自分に気づき、わずかに苦笑する。


アーネストが目を細めた。


「安心したのか」


「……はい。少なくとも、拒まれたわけではないのだと思うと」


「そこで安心して終わるな」


私は唇を引き結んだ。


「お前は、そうやっていつも自分を低く置く」


「……そうですね」


「いい加減、自分の価値を過小に見るな」


「……ですが」


膝の上の手に、思わず力が入る。


「私には分かりません。自分の価値なんて……」


「……では、何があれば信じられる」


私は膝の上へ視線を落とした。


「もし、それを信じられる時が来るとしたら……」


そこで声が止まる。


アーネストは急かさずに問い返した。


「……何だ」


「……好きな人に、選んでもらえた時だと思います」


その言葉が落ちると、部屋から音が消えたように感じた。


――何を言っているの、私は。


急に恥ずかしさが込み上げ、顔を上げられなかった。


重ねた指にさらに力を込めると、アーネストが椅子の肘に置いていた手を動かす気配がした。


「……なら、なおさら覚えておけ」


私はゆっくりと彼を見る。


「お前は、誰かに選ばれるだけのものを、もう持っている」


鼓動が大きく跳ねた。


「……本当ですか?」


アーネストはすぐには答えなかった。


ただ、こちらから目を逸らすこともしなかった。


「本当だ。分かっていないのは、お前だけだ」


私は何も言えず、彼を見つめた。


やがてアーネストは、先に目を外した。


「……はい」


ようやく、それだけが喉からこぼれる。


「それと、誰かに選ばれて初めて価値が決まるような言い方はするな」


「え……」


「お前の価値は、そんなことで増えもしないし、減りもしない」


その言葉が、ゆっくりと胸の内へ染み込んでいく。


私は小さく頷いた。


気づかないうちに口元が緩む。


アーネストは一瞬黙り込み、なぜか窓の方へ目を逸らした。


「……どうかしましたか?」


「いや」


それだけ答え、ひとつ息をつく。


「もう遅い。今日は帰れ」


「……は、はい」


私は立ち上がり、扉へ向かった。


「お忙しいところ、お時間をくださりありがとうございました」


取っ手に手をかけようとしたところで、背後から声が届く。


「着いたら、すぐに休め」


振り返ると、アーネストはすでに書類へ目を戻していた。


「はい……失礼いたします」


返事はなかった。


その横顔を一度だけ見てから、私はそっと部屋を出た。

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― 新着の感想 ―
 自分の値打ちや評価がいまだにピンと来ないと伝えつつ、好きな人に認めてもらえればと声に出すエリナさんに、なら、なおさら覚えておけと前置きしつつ、エリナさん独自の輝かしい物について伝えるアーネストさん。…
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