第2話
玄関先では、ほかの令嬢たちもそれぞれ帰り支度をしていた。
「本日はご一緒できて楽しかったですわ」
エルネスタが明るく笑う。
「ええ……ありがとうございました」
マルティナも控えめに頭を下げた。
セシリアは扇を閉じたまま、崩れない笑みを向けてくる。
「またお目にかかれますとよろしいですわね」
「こちらこそ」
私は礼を返し、迎えの馬車へ乗り込んだ。
馬車が動き出してから、ようやく息をつく。
茶会は終わったはずなのに、心は少しも静まらなかった。
――また、お会いする機会をいただけませんか。
ルーカスの柔らかな声が、まだ耳に残っている。
けれど、それに重なるように、別の言葉も蘇った。
――報せくらいは寄越せ。
「……どう伝えたらいいのかな」
手紙でよいのだろうか。
そもそも、なぜ彼はこんなにも気にするのだろう。
窓の外へ目を向ける。
グラーフ邸は、ここからそう遠くない。
「……すみません」
御者へ声をかけると、小窓越しに返事があった。
「少し寄り道をお願いしてもいいかしら。グラーフ伯爵家へ」
「かしこまりました」
御者はそれ以上尋ねることなく、馬車の向きを変えた。
……直接伝えた方が早いもの。
胸の内でそう言い聞かせてみたものの、どこか言い訳めいて聞こえた。
◆
グラーフ邸へ着いた頃には、空がわずかに暮れかけていた。
見慣れた門をくぐり、馬車がゆるやかに止まる。
途端に、今さらのように気後れが押し寄せた。
勢いで来てしまったけれど、迷惑ではないか。
こんな時間に、ただ茶会の報告をするためだけに訪ねるなんて。
「お嬢様」
御者の声に、はっと我に返る。
「お降りになりますか」
「……ええ」
自分で決めたはずなのに、返事が少し遅れた。
扉が開き、私は馬車を降りる。
ほどなくして、邸の使用人がこちらに気づき、足早に近づいてきた。
「エリナ様。ようこそお越しくださいました。本日はどのようなご用向きでしょうか」
見覚えのある顔だった。
以前、応接間へ案内してくれた使用人だ。
私は裾を直し、頭を下げる。
「突然申し訳ありません。アーネスト様に、茶会のご報告をと思いまして……」
「承知いたしました。こちらで少々お待ちくださいませ」
使用人は私を玄関広間へ通すと、邸の奥へ下がっていった。
私はその場で手を重ね、落ち着かない気持ちを押さえる。
しばらくして、先ほどの使用人が戻ってきた。
「伯爵様がお会いになるとのことです。どうぞ、こちらへ」
「……ありがとうございます」
案内に従い、以前にも通った廊下を進む。
執務室の前で使用人が足を止め、扉を開いた。
「エリナ様をお連れいたしました」
「入れ」
低い声が、部屋の中から返ってくる。
私はひとつ息を吸い、中へ足を踏み入れた。
「失礼いたします」
机に向かっていたアーネストが、書類から目を上げた。
「こんな時間に、すみません……」
「いや。報せは寄越せと言った」
アーネストは向かいの椅子を示した。
「座れ」
「ありがとうございます」
勧められるまま腰を下ろすと、彼はすぐに尋ねた。
「それで、どうだった」
「無事に終わりました。ハーゼルベルク子爵夫人は、とても穏やかな方でした」
そう答えてから、次の言葉を選ぶ。
「ほかにも、私と同じくらいの年頃の令嬢が三人いらして……」
アーネストは黙って続きを待っている。
「好きなものや、贈り物の選び方についてお話ししました。それぞれ考え方が違っていて、少し意外でした」
「お前は何を話した」
「私は……相手に気を遣わせすぎず、あとに残りすぎないものがよい、と」
「お前らしいな」
「子爵夫人も、そういう考え方は嫌いではないとおっしゃってくださいました」
「そうか」
短く答えたあと、アーネストがわずかに間を置く。
「……ルーカスは」
私は思わず彼を見た。
表情はいつもと変わらない。
けれど、その問いだけが妙にまっすぐに聞こえた。
「夫人が手土産を喜んでくださったと、教えてくださいました」
そこまで話してから、少しためらう。
「それから……また会う機会をいただけないか、と」
「……そう言われたのか」
「あの……こんなことをお聞きするのも、変かもしれませんけれど」
私は膝の上で手を組み直した。
「あれは、その……好意を持ってくださっていると受け取ってもよいのでしょうか」
アーネストはすぐには答えなかった。
「社交辞令だけで、あそこまで踏み込む男ではないだろう」
「では……」
「お前に好意があると見ていい」
「そうですか……」
息を吐くと、肩から力が抜けた。
嬉しさより先に安堵してしまった自分に気づき、わずかに苦笑する。
アーネストが目を細めた。
「安心したのか」
「……はい。少なくとも、拒まれたわけではないのだと思うと」
「そこで安心して終わるな」
私は唇を引き結んだ。
「お前は、そうやっていつも自分を低く置く」
「……そうですね」
「いい加減、自分の価値を過小に見るな」
「……ですが」
膝の上の手に、思わず力が入る。
「私には分かりません。自分の価値なんて……」
「……では、何があれば信じられる」
私は膝の上へ視線を落とした。
「もし、それを信じられる時が来るとしたら……」
そこで声が止まる。
アーネストは急かさずに問い返した。
「……何だ」
「……好きな人に、選んでもらえた時だと思います」
その言葉が落ちると、部屋から音が消えたように感じた。
――何を言っているの、私は。
急に恥ずかしさが込み上げ、顔を上げられなかった。
重ねた指にさらに力を込めると、アーネストが椅子の肘に置いていた手を動かす気配がした。
「……なら、なおさら覚えておけ」
私はゆっくりと彼を見る。
「お前は、誰かに選ばれるだけのものを、もう持っている」
鼓動が大きく跳ねた。
「……本当ですか?」
アーネストはすぐには答えなかった。
ただ、こちらから目を逸らすこともしなかった。
「本当だ。分かっていないのは、お前だけだ」
私は何も言えず、彼を見つめた。
やがてアーネストは、先に目を外した。
「……はい」
ようやく、それだけが喉からこぼれる。
「それと、誰かに選ばれて初めて価値が決まるような言い方はするな」
「え……」
「お前の価値は、そんなことで増えもしないし、減りもしない」
その言葉が、ゆっくりと胸の内へ染み込んでいく。
私は小さく頷いた。
気づかないうちに口元が緩む。
アーネストは一瞬黙り込み、なぜか窓の方へ目を逸らした。
「……どうかしましたか?」
「いや」
それだけ答え、ひとつ息をつく。
「もう遅い。今日は帰れ」
「……は、はい」
私は立ち上がり、扉へ向かった。
「お忙しいところ、お時間をくださりありがとうございました」
取っ手に手をかけようとしたところで、背後から声が届く。
「着いたら、すぐに休め」
振り返ると、アーネストはすでに書類へ目を戻していた。
「はい……失礼いたします」
返事はなかった。
その横顔を一度だけ見てから、私はそっと部屋を出た。




