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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
十二章

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第6話

その日の午後、ハーゼルベルク家から手紙が届いた。


封を切ると、ルーカスの母君からの茶会への招待状だった。


私はしばらくそれを手にしたまま、机の上へ視線を落とす。


「……手土産、どうしよう」


干し林檎は前にも渡している。

焼き菓子も、この前の舞踏会で持っていったばかりだ。


「料理人に相談しないと……」


そう考えかけた、そのときだった。


ノックとともに、侍女が顔を覗かせる。


「お嬢様、乾燥場から使いの者が参っております」


「使いの者が?」


「はい。四棟目のことで、少しご相談があると」


「……通して」


ほどなくして入ってきた女は、どこか困った顔で一礼した。


「お嬢様、四棟目のことでご相談が……」


「どうしたの?」


「新しく入った子の一人が、辞めたいと言い出しておりまして」


私は思わず目を上げた。


「ええ……理由は?」


女はためらってから、声を落とした。


「仕事そのものというより、人のことで少し……」


「……四棟目のまとめ役?」


「はっきりそうとは申しませんが……きつく言われるのがしんどいと」


「ああ……そう」


やっぱり、あれだけでは足りなかったか。


「分かったわ」


私は椅子を引いて立ち上がった。


「行ってみる」


上着を羽織り、そのまま部屋を出る。


四棟目へ向かう途中、私は深く息をついた。


囲いの中を覗くと、やはり空気が妙に静かだった。


誰も手を止めてはいない。


けれど、皆の肩は相変わらず強張っている。


そして、まとめ役の女――ミレナは、私に気づいた瞬間、気まずそうな顔をした。


私はミレナへ向き直る。


「お昼の後、時間を取れるかしら」


ミレナの表情が固まった。


「少し、お話ししたいの」


「……承知しました」



昼を過ぎて、人の動きが落ち着いた頃。


私は帳場の奥にある小部屋へ、ミレナを呼んだ。


ミレナは三十を少し越えたあたりだろうか。


手が早く、目も利く。


だからこそ、四棟目を任せた。


「どうぞ、座って」


そう言うと、ミレナは浅く腰を下ろした。


私はすぐには口を開かなかった。


帳面の上に置いた手を揃えたまま、相手を見つめる。


「……辞めたい子が出たの」


ミレナは目を伏せた。


「……申し訳ありません」


「責めているわけではないの」


私はなるべく落ち着いた声で言った。


「あなた自身が、今の役目をどう感じているのかを聞きたいのよ」


その言葉に、ミレナはわずかに顔を上げたが、すぐには答えなかった。


私は急かさず待った。


やがて、ミレナが低く言う。


「……向いていないのかもしれません」


私は黙ったまま、続きを待った。


「自分の手を動かす方が楽です」


「そう……」


「遅いのを見ると口を出したくなります。揃っていないのが分かると、そのままにできなくて……」


ミレナは膝の上で手を握った。


「分かっているのです。言い過ぎれば空気が悪くなることも。でも、任されている以上、見逃すわけにもいかなくて……」


私は声をやわらげた。


「では、どうすればあなたにとって働きやすいのかしら」


ミレナは戸惑ったように私を見る。


「……え」


「我慢して続けることだけが正しいとは思わないの。あなたが大変だと思うことを、教えてくれるかしら」


ミレナはしばらく言葉を探してから、絞り出すように言った。


「人を見るのが、思ったよりしんどいです」


私は頷いた。


「教えるより、自分でやった方が早いと思ってしまうのです。そうすると余計に苛立って……」


言葉を区切って、ミレナは目を伏せた。


「だから……前みたいに、自分の持ち場だけ見ていた方が楽です」


私はミレナを見た。


ミレナの仕事ぶりはいい。


だから、できれば下の者に教える側へ回ってほしかった。


けれど、このまま続ければ、ミレナも周りの者も苦しくなる。


「……分かったわ」


ミレナがゆっくり顔を上げる。


「全体のまとめ役は、別につけます」


「わ、わたしは……クビですか?」


「いいえ」


私はすぐに首を振った。


「あなたには、また自分の持ち場へ戻ってもらって、品質の確認や乾き具合の見極めをお願いしたいの」


ミレナの表情が揺れた。


「まとめ役が困った時は、補助に入ってちょうだい」


ミレナはしばらく私を見ていた。


「……よろしいのですか」


「ええ。もちろん」


私は肩をすくめた。


「人には得手不得手があるもの」


ミレナは何も言わなかった。


それから、胸に詰めていた息をようやく吐き出すように、ぽつりと答える。


「……ありがとうございます」


その声からは、さっきまでの硬さが抜けていた。


ミレナは再び頭を下げ、そのまま部屋を出ていった。


扉が閉まったあと、私は帳面を広げたまま呟く。


「得手不得手か……」


領地の仕事は、父も兄も「お前が向いている」と言って、いつの間にか私へ回していた。


向いている。

任せられる。

できるだろう。


そう言われてきたけれど――


私はそこで、ふとあの人を思い出しかけて、すぐに首を振った。


「……私がいなくなったら、どうするのかしら」


私は帳面を閉じ、席を立った。



屋敷に戻ると、ちょうど玄関先で執事が一礼した。


「お嬢様、お手紙をお預かりしております」


受け取り、白い封筒の表に記された名を見て、指先が止まる。


アーネスト・グラーフ。


胸の奥が、どくりと大きく脈打った。


「お部屋へお持ちしますか」


執事の声に、私ははっとして首を振る。


「いいえ、自分で持っていくわ」


手紙を抱えるようにして階段を上がる。


部屋へ入って扉を閉めると、ようやく息を吐いた。


私は少し震えた指で、白い封筒をゆっくり開く。


『干し林檎のジャムについて。


細かいことは会って話す。


三日後の午後、来い。


アーネスト・グラーフ』


短い文を読み終えても、すぐには視線を上げられなかった。


紙を持つ手に、じわりと熱が集まっていく。


「どうして……」


かすれた声が、誰もいない部屋に落ちた。

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― 新着の感想 ―
「来い」って・・・。果たし状かw 色っぽい手紙にしろとは言いませんが、もう少し丁寧な文にならないのかしら、と思ったところで気づいたんですが。 この態度、エリナ嬢に対してだけなんですよね? ある意味特別…
真面目だと監視役って自己嫌悪になって瞑れるんだよなぁ サボって人に任せるくらいのひとの方が上手くやる。 実際、営業成績トップを上にするよりも、そこそこのヤツを上げた方が「全体成績は落ちない」という研…
 口頭での会話の時も、手紙での文章でも個性があまりブレませんね、アーネストさん。でも少し、恋愛方面に攻めっ気が出てきた節があるかもしれませぬ。  そして、以前に四棟で故意での苛めとは違う形で叫んじゃ…
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