第1話
夜会のことを引きずりながらも、相変わらず忙しい日々が続いていた。
そんなある日、私宛に手紙と荷物が届いた。
「私宛? なんだろ……」
封を切ると、端正な文面が目に入る。
『この会では、そうした話を遮られることはありません。
装いは、形式を満たした上で、身軽なものを。
有望若年実務者会への正式なご招待として、
本状をお届けします。
アーネスト・グラーフ』
「……誰?」
私が首を傾げると、手元を覗き込んだ姉が眉を上げた。
「あなた宛の手紙? 珍しいじゃない」
「そうなの。でも、差出人に心当たりがなくて……」
姉は何気ない仕草で封筒を受け取り、差出人を見て――表情が、すっと変わる。
「……ちょっと待って。これ……本物……?」
「え? 知ってるの?」
姉はもう一度差出人を確かめ、唇の端を上げた。
「……ええ」
その視線は、差出人の名前から離れない。
「これ、皆の憧れの場よ」
「そ、そうなの……?」
実感が湧かずに返すと、姉はくすっと笑った。
「あなた、本当に分かってないのね」
そして手紙を私に返して、続ける。
「でも、よかったわ。私が一緒に行ってあげる。あなた一人じゃ勝手が分からないでしょう?」
私は手紙を見下ろした。
「でも、これ……同伴者については何も――」
言いかけたところで、背後から声が落ちた。
「……何の話だ?」
はっと振り返ると、扉口に兄が立っていた。手には書類の束を抱えている。
「ああ、ちょうどよかった。エリナ宛に面白いものが届いたの」
姉が手紙を差し出すと、兄は無言で目を落とした。
数行、視線を走らせ――眉が動く。
「……有望若年実務者会?」
「そうなの。ね、すごいでしょう?」
兄は答えず、宛名にもう一度だけ目を落とした。
「行くなら、家の代表としてだ」
兄は手紙を私に返す。
「……余計なことは言うなよ」
「……私、招待された覚えは――」
「勝手に動くな。話は俺がつける」
それだけ言い残し、兄は部屋を出ていった。
残された空気の中で、姉が息を吐く。笑顔を作り直し、私の肩に手を置いた。
「心配しなくていいわ。私たちも一緒に行くから」
「……うん」
姉は視線を横へ滑らせた。
「それより……この荷物は?」
手紙ばかりに気を取られていた箱が、そこにある。
「手紙と一緒に届いたの」
「開けてみたら?」
留め紐を解き、箱の蓋を開ける。
「……わあ」
中に収められていたのは、淡い水色のドレスだった。
柔らかな光沢のある生地に、銀糸で細かな草花の刺繍が施されている。ひと目で上等なものだと分かった。
「……綺麗……」
姉が無言で身を乗り出し、指先でドレスをつまむ。生地や縫い目を確かめるように、じっくりと目を走らせた。
「……既製品じゃないわね」
「え?」
「あなたに合わせて仕立ててあるんじゃない?」
言われて、もう一度ドレスを見る。
どうして、そこまでしてくれるのだろう。
姉はしばらくドレスを眺めていたが、やがて箱の蓋を閉じた。
「……まあ、返事だけ出しておきなさい。細かいことは、あとで考えればいいわ」
「……はい」
手紙とドレスの箱を抱えて、部屋に戻る。
扉を閉め、ようやく一人になると、机に荷物を置いた。
もう一度、手紙に目を落とす。
どうして私宛に来たのだろう……。
『この会では、そうした話を遮られることはありません』
「……そうした話……?」
指でなぞるように文字を追っていると、ふと、あの夜会の光景がよぎる。
――もしかして。
「あの場にいた人たちの……」
確かめるように、視線を箱の方へ向ける。
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
机に突っ伏し、小さく声が漏れる。
「うう……そんなに、変だったの……」
そのまま、しばらく動けずにいた。
◆
当日。
朝から屋敷の中は、どこか慌ただしかった。
私は、送られてきたドレスに袖を通し、姿見の前に立つ。
淡い水色の生地は身体に沿うのに窮屈さがなく、腕を動かしても裾が引っかかることもない。
「……着心地がいいな……」
「うん。問題ないわね」
背後から姉の声がした。
振り返ると、姉はすでに身支度を終えていた。
身につけているのは、華やかな薔薇色のドレスだった。流行を取り入れた新しい意匠なのだろう。姉自慢のブロンドにもよく映えて、いつも以上に華やかに見える。
「なに?」
視線に気づいた姉が、楽しそうに笑う。
「べつに。ただ……」
言いかけて、言葉を呑み込む。
なんだか今日は、やけに気合が入っている気がした。
「緊張してる?」
「……うん」
そう答えると、姉は楽しそうに笑った。
「大丈夫よ。私がついてるんだから」
やがて、馬車の用意が整った。
先に姉が乗り込み、私はそのあとに続く。
向かいの席には、きっちりとした正装の兄が座っていた。こんな姿を見るのは久しぶりだ。
馬車が動き出すと、姉は楽しそうに窓の外を眺めた。
「どんな人が来ているのかしら」
何気ない口調だった。
「実務派の若手が多いはずよね。将来性のある家と顔を繋げられたら――」
「話は俺がする」
兄が腕を組みながら言う。
「余計な愛想はするなよ」
「分かってるわ」
姉は軽く頷く。
「でも、せっかくの機会だもの。無駄にはしたくないでしょう?」
兄は答えなかったが、否定もしなかった。
二人の意識が、同じ方向を向いているのが分かる。
家のことや、これからのこと。
私は膝の上で手を組み直した。
「……あの」
声を出しかけて、結局、何も言えずに口を閉じる。
二人とも、私を見ていなかった。
揺れる馬車の中で、ふと膝の上へ視線を落とす。
誰が招待してくれたんだろう。
それに、この服……。
私は、ちゃんと着られているだろうか。
変じゃないだろうか。
また余計なことを言ってしまわないだろうか。
そんなことばかりが、頭の中をぐるぐる回る。
馬車はやがて速度を落とし、停まった。
「着いたわね」
姉が、弾んだ声で言う。
扉が開き、外の空気が流れ込んできた。
ドレスの裾をそっとつまみ、私は馬車を降りた。
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