第2話
会場となる屋敷までは、我が家からそれほど時間はかからなかった。
門をくぐった瞬間、私は思わず息を呑んだ。
庭は華美ではないものの、季節の花が美しく配されている。屋敷も装飾は控えめなのに、どこか余裕を感じさせる佇まいだった。
馬車が止まると、使用人がすぐに動いた。一人が扉を開き、頭を下げる。
中へ通されると、思わず声が漏れた。
「……わぁ」
ヴァルクレイン伯爵邸では、緊張して周囲を見る余裕などなかった。
今日は、少しだけ落ち着いている。
高い天井には繊細な意匠が施され、壁際には品のよい調度品が並んでいる。その間を、使用人たちが音も立てずに行き交っていた。
……うちとは、違う。
爵位の差なのか。それとも、そもそもの資産の違いなのか。
「ふーん……」
「あら、素敵な装飾ね」
姉も兄も、足取りに迷いがない。何度も、こういう場所に来ているのだろう。
私だけがほんの少し歩調を落とし、足の運びを意識しながら進んでいた。
受付へ着くと、兄が慣れた様子で一歩前に出た。懐から招待状を取り出す。
「リュークハルト家だ。本日は――」
言い切る前に、受付の視線が兄から私へと移った。
「失礼ですが、同伴者の方はお断りしております」
「同伴ではない。家の代表として来ている」
姉が、柔らかく微笑む。
「まあ、ごめんなさい。妹が招待されたものですから、付き添いとして参りましたの」
受付は表情を変えなかった。
「恐れ入ります。本日は、ご招待状にお名前のある方のみお通ししております」
兄の口元が、わずかに歪む。
姉は私と受付を見比べ、それ以上何も言わなかった。
そのとき。
「その必要はない」
低く落ち着いた声が、背後から響いた。
振り返ると、少し離れたところに長身の男性が立っている。
仕立てのよい服を身につけ、装飾は控えめなのに、不思議と目を引く。
年齢は二十代後半だろうか。整った顔立ちに、鋭い眉と落ち着いた目。
男性は受付へ視線を向けた。
「ご本人がいらしている。それで十分だ」
それから、兄と姉へ目を向ける。
「今回は、付き添いの二人も通して構わない」
「承知いたしました」
受付が一礼する。
「エリナ・フォン・リュークハルト嬢。本日は、お越しいただきありがとうございます」
名を呼ばれ、一拍、反応が遅れた。
「……え、あ……」
すると、姉が私の前へすっと出た。
「お久しぶりです、伯爵。覚えていらっしゃいますか?」
私は、ぼんやりと姉を見る。
男性はほんの一瞬だけ姉へ視線を向け、それから私へ目を戻した。
「どうぞ、中へ」
姉の笑顔が、そのまま固まった。
「あ、は、はい……」
促され、私は一歩前へ出る。
兄も続こうとしたところで、男性が足を止めた。
「……失礼」
短くそう言って、一歩こちらへ戻る。
「こちらへ」
差し出された手を見て、私は一瞬迷った。それから、おそるおそる自分の手を重ねる。
軽く導かれ、私はそのまま男性と歩き出した。
背後でわずかに間が空き、遅れて兄と姉の足音が重なる。
扉をくぐった瞬間、私は思わず足を止めかけた。
……あれ?
視界に入ったのは、揃いの正装に身を包んだ男性たちばかりだった。
女性の姿は、ほとんど見当たらない。
「……?」
反射的に周囲を見回す。
夜会のような華やかさはない。向けられる視線も、装いを値踏みするようなものではなく、どこか実務的だった。
……社交の場じゃない?
男性に導かれて進む私と、その後ろから入ってきた兄と姉。
この場に似つかわしいのは、明らかに兄の方では……。
そう思ったところで、男性が私の手を離した。
「ここからは、自由に」
「あ……」
また放置された……。
……でも、今日はお姉様とお兄様がいるし。
そう思って振り返った。
兄は室内を見回しながら、胸を張って立っている。姉はその横で背筋を伸ばし、笑みを浮かべていた。
「お兄様……どうすれば……?」
小さく囁くと、兄は視線を室内から外さないまま答えた。
「とりあえず、立っていろ」
それだけだった。
姉は一瞬口を開きかけ、結局、何も言わずに閉じた。
どう振る舞えばいいのか分からないまま、三人並んで立っている。
そのとき。
「――ああ、失礼」
声の方へ向くと、年の近そうな男性がこちらを見ていた。
人当たりのよさそうな表情だが、どこか場慣れした落ち着きがある。手には、夜会には似つかわしくない薄い書類の束を持っていた。
「この会は、初めてですか?」
「ええ。そうですが」
兄が即座に答え、一歩前へ出る。
「リュークハルト家の後継を務めております、レオン・リュークハルトです。本日は妹が――」
「ああ、なるほど」
男性は頷いたが、兄の言葉を待たずに続けた。
「この会は、顔合わせと情報交換の場なんです」
周囲を軽く見渡す。
「同世代の当主候補か、すでに領地や事業を任されている立場の方がほとんどでして。実務の話をするために集まっています」
こちらへ視線を戻した。
「ですから、誰かに挨拶して回る必要はありません。立場を紹介する時間も、特には設けていないんです。気楽ですよ」
兄が眉を寄せた。
「では、どうやって――」
「必要になったら、声がかかりますよ」
男性は、あっけらかんと言った。
「あるいは、自分から話しかける。ただ、相手に興味がなければ、そこで終わりです。誰も引き止めません」
姉が、小さく息を吸う。
「……ずいぶん、割り切った場なのですね」
「ええ」
男性はあっさり頷いた。
「なので、女性は少ないです。社交や出会いを目的に来ると、少し肩透かしかもしれませんね」
姉の肩が、ぴくりと揺れた。
男性は私へちらりと視線を向ける。
「ですが、話を聞くことができる方なら、居心地は悪くないはずですよ」
ほんの少し口元を緩めた。
「とりあえず今は、壁際で立っていれば大丈夫です。話が始まれば、自然と分かりますから」
軽く会釈すると、男性は別の輪へ戻っていった。
残された私たちは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
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※本作の番外編として、短編を公開しています。
本編とは登場人物と視点が異なりますが、同じ世界観を背景にした話です。
「選ばれなかった母娘」
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