第3話
……どうしよう。
立っているだけでいいと言われても、本当に立っているだけでいいのか分からない。
そう思っていた、そのとき。
「あれ? この間の夜会で、会いましたよね」
不意に声をかけられ、顔を上げた。
目の前に立っていたのは、落ち着いた色合いの服を着た男性だった。
「あ、えっと……」
「ほら、あのとき。倉庫の修繕と備蓄の話をしてた」
思い出した。ヴァルクレイン伯爵と話していた輪にいた一人だ。
「ああ……」
男性は私の反応を見て、少しだけ目を細めた。
「もう一回、聞かせてもらえません? あの続き」
私は一瞬だけ迷ってから、小さく頷いた。
「……はい」
「じゃあ、こっち」
言われるまま、男性のあとを歩く。振り返ると、兄と姉も少し遅れてついてきていた。
向かった先では、兄と年の近そうな男性たちが、数人集まって話している。どの顔にも見覚えはない。そして、女性の姿はなかった。
私たちが近づくと、会話が途切れた。一斉に視線を向けられ、思わず背筋が伸びる。
「へえ。倉庫の修繕費を積み立てるって、この子がそんなことを言ってたのか?」
笑い混じりの声が飛ぶ。
「領地経営してるのか?」
「それとも、爵位を継ぐ予定?」
矢継ぎ早に問われ、私は思わず口を閉じた。
答えようと口を開く。その前に、兄が一歩前へ出た。
「いや、違います。領地の管理は、私が担当しています。妹は、継承者ではありません」
一瞬、輪の空気が止まる。
「……ああ」
誰かが曖昧に相槌を打った。
「じゃあ、あなたの領地では倉庫をどう管理しているんです?」
問われて、兄は一瞬言葉に詰まった。
「……必要に応じて、修繕しています。老朽化の程度を見て……」
そこまで言って、言葉が続かない。
「……まあ」
「そうだよな」
私を連れてきた男性が、グラスを差し出した。
「――で、君の考えは?」
不意に話を振られ、私ははっと顔を上げる。
「え……」
グラスを受け取り、透明な液体を見つめながら、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「過去の修繕費を、何年分か洗い出して……平均を出します。それを基準にして、毎年一定額を積み立てています」
男性たちが、少しだけ身を乗り出した。
「ほう」
「突発的な修繕が出ても、その年の予算を全部使い切らずに済みますし……」
「……なるほど」
誰かが低く唸った。
私は飲み物を一口飲み、ひと息ついて続ける。
「大規模な建て替えが必要になる前に、資材や契約の準備もできます。一度に直すより、段階的に手を入れた方が、倉庫自体も止めずに済みますから」
今度は、曖昧な相槌は返ってこなかった。
その場にいる全員が、私の話を聞いている。
「じゃあ、これはどうしてる?」
「湿気が強い倉は?」
「香料と一緒に置く場合は?」
次々と質問が飛んできた。
「実際の数値を見ないと……」
「倉の用途を分けられるなら、ですけど」
「それなら、先に棚の位置を――」
私は考えながら答えていく。分からないことは、分からないと正直に言った。その上で、こうしてみたらどうだろう、と自分なりの考えを話す。
誰かが「それはうちと似てるな」と言い、別の誰かが「いや、こっちは逆で」と続ける。話は、自然に広がっていった。
――楽しい。
仕事の話を、こんなふうに誰かとしたことがあっただろうか。
話し相手は皆、私より年上の男性ばかりなのに、真剣に聞いてくれる。問いを投げかけてくれる。
同じように仕事をしている人たちと、こうして話すことが、こんなにも楽しいなんて。
笑い声が混じり、杯が置かれ、また手に取られる。いつの間にか、輪の人数は増えていた。
――あれ。
そう思ったのは、喉の渇きを覚えたからだ。
私はようやく周囲を見回した。
兄の姿は、少し離れたところにあった。輪の中の会話を追うように、時折頷いている。
けれど、話を振られることはない。
姉は壁際に立ち、こちらを見ていた。
「それで、その場合は――」
声をかけられ、意識がまた会話へ戻る。
「あ、はい。その場合でしたら……」
答えながら、ふと視線を上げた。
少し離れたところに、案内してくれた男の姿があった。誰かと話していたようなのに、なぜかこちらを見ている。
一瞬、目が合った気がした。
私は小さく首を傾げる。
けれど、すぐに別の声が飛んできた。
「さっきの積み立ての話だけど――」
「あ、はい」
私はまた、会話の輪へ向き直った。
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