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【完結】都合のいい私を、辞めることにしました【番外編あり】  作者: 福嶋莉佳
一章

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第8話 

「……ほ、ほほ……」


引きつった笑みが、勝手に顔へ張りつく。


部屋で一人、書類に向かっている時間が長いせいで、独り言が癖になっていたらしい。


今だけは、それが恨めしい。


「はは、堅実なお考えですな」


「若い方らしい着眼点だ」


「理想としては、ですな」


男たちが揃って軽く笑った。


その空気の中で――


「……つまり?」


伯爵が杯を置き、こちらを見る。


「え……あ……」


言葉が、すぐに出てこない。


「……その、使えなくなってから直すと、その年の備蓄ごと失ってしまうので……毎年、少しずつ積み立てておけば……と……」


「なるほど」


伯爵はそれだけ言うと、再び男たちへ視線を戻した。


胸の奥が、じわりと重くなる。


私はグラスを持ち直し、気配を消すように、そっと壁際へ下がった。


グラスの中で揺れる液体を見つめていると――


「――先ほどの話だが」


声がして、思わず顔を上げる。


倉庫の話をしていた男の一人が、いつの間にかすぐ近くに立っていた。


背が高いため、顔より先に服が目に入る。


濃紺の上着には、襟と袖口に鈍い銀糸で細い刺繍が施されていた。飾り気は少ないが、生地も仕立ても上等なものだとひと目で分かる。


「毎年積み立てて、突然の出費に備えると」


「……はい」


男は少し考えるように、手にした杯へ視線を落とした。


「それだけか」


――それだけ?


私が何日も頭を悩ませて考えた案なのに……。


「それだけではありません」


気づけば、口が先に動いていた。


「積み立てと並行して、商人倉庫との長期契約で備蓄の一部を外へ移す方法や、傷みの激しい区画から段階的に建て替える方法もあります。一度にすべてを建て直す必要は――」


「分かった」


男が短く遮った。


「そこまで考えているなら、悪くない」


それだけ言うと、男は踵を返した。


「……なに、それ」


思わず、小さく呟く。


自分から聞いてきたくせに、最後まで聞こうともしないなんて。


私はぎゅっとグラスを握り、壁際で小さく息を吐いた。


そのとき。


「――熱心に話されていましたね」


不意に、落ち着いた声がした。


はっとして顔を上げると、伯爵が数歩離れた場所に立っていた。


「聞いていましたよ。今の話」


「あ……」


「毎年の積み立てに、商人倉庫との契約、段階的な建て替え。先ほど口にされた案より、ずっと具体的でした」


思わず、胸の奥が温かくなる。


「ですが……夜会で話すには、少し長すぎましたね」


「あ……」


伯爵は、先ほどまで男たちが立っていた場所へ目を向けた。


「彼らは今夜、倉庫の方針を決めるつもりで話していたわけではありません。酒の席の話題として、軽く意見を交わしていただけです」


「……はい」


「そこへ具体的な案を出されれば、すぐに答えられず、困る者もいるでしょう」


私は俯いたまま、小さく頷いた。


「あなたの話が悪かったわけではありません。腰を据えて考える場ではなかった。それだけです」


「……すみません……」


「しょんぼりする必要はありませんよ」


顔を上げると、伯爵と視線が合った。


「話す場所を間違えただけです。考えまで間違っているわけではない」


「……ありがとうございます」


「また、話す機会はあります」


伯爵は穏やかに微笑んだ。


「そのときは、きちんと腰を据えて聞きましょう」


その言葉を残し、伯爵は若い貴族たちの輪へ戻っていった。


私は一人、広間に残された。



屋敷へ戻ると、玄関の明かりがまだ点いていた。


「……やっと帰ってこられた……」


重い足を引きずるように廊下を進む。


このまま部屋へ直行するつもりだったのに――


「お、帰ったのか」


声に呼び止められた。


居間では、兄が一人、ソファに腰掛けていた。書簡を片手に、くつろいだ様子だった。


「おかえり」


「……ただいま」


兄の視線が、私の服に止まった。


「ん? どうしたんだ、その服。姉さんのじゃないよな」


「……夜会で、ドレスを汚してしまって。伯爵夫人にお借りしたの」


「ああ、なるほどな」


兄は納得したように軽く頷く。


「よかったじゃないか。それなら、浮かなかっただろ」


笑いながら、続ける。


「お前に合ってなかったもんな。姉さんのドレス」


「……え?」


思わず聞き返していた。


「だって、可哀想だろ?」


兄は肩をすくめる。


「夜会へ行く前に言ったら、余計に気にすると思ってさ」


「……だったら」


言いかけた言葉は、途中で止まった。


兄はすでに興味を失ったように、書簡へ視線を戻している。


「まあ、結果オーライだろ」


それ以上、兄は何も言わなかった。


私も口を閉ざし、そのまま居間を出る。


静かな廊下を歩きながら、姉の部屋へ目を向けた。


扉は閉じたままで、部屋の前にも人の気配はない。


まだ夜会から戻っていないようだ。


「……今のうちに着替えよう」


姉が戻れば、残っている使用人も出迎えや後片づけに取られてしまう。今なら、背中の紐をほどくくらいは誰かに頼めるはずだ。


自室へ向かいながら、灰青色の裾をそっと持ち上げる。


「明日、手入れを頼んで、早くお返ししないと……」


借りたドレスだけを返して終わりというわけにもいかない。お礼の書状と、何か品物を添えた方がいいはずだ。


「普通は、こういうとき何を贈るんだろう……」


ヴァルクレイン伯爵家に贈って見劣りしない品など、すぐには用意できそうにない。


しばらく考えながら歩き、私は小さく頷いた。


「領地の品から、失礼にならないものを選ぼう……」


最後まで独り言を呟きながら自室へ入り、扉を閉めた。

第一章、ここで終わりです。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。


※本作の番外編として、短編を公開しています。

本編とは登場人物と視点が異なりますが、同じ世界観を背景にした話です。

「選ばれなかった母娘」

https://ncode.syosetu.com/n0288lt/

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― 新着の感想 ―
伯爵、議論白熱を一旦鎮火した……で、いいんですかね?  そして兄は相変わらず不干渉なうえ、仕事してる節もないんですね。
 ちゃんとヒーローでるのか不安。
主人公も含め登場人物の殆どが胸糞悪い。 その分今後に期待してます。
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