第3話
※下書き状態の本文を誤って投稿してしまい、編集中のメモが一部混入しておりました。
雰囲気を壊してしまい、申し訳ありません。
現在は修正版へ差し替えております。
振り向くと、そこに立っていた青年に、私は目を見開いた。
「……ルーカス様」
ハーゼルベルク子爵家のルーカスが、柔らかな笑みを浮かべていた。
「やはり、どこかで見覚えがあると思いました。ヴァルクレイン伯爵家の夜会以来ですね」
そう言われて、胸の中でようやく名と屋敷が結びついた。
「ご無沙汰しております」
私が礼をすると、ルーカスも軽く一礼した。
「本日はよくお越しくださいました」
「では、こちらはルーカス様の……」
「ええ。父が場を提供しております。こうした集まりは、私にも勉強になりますので」
知った顔に会えたことで、張っていた気持ちが少しだけ和らいだ。
「エリナ嬢が実務者会にいらっしゃるとは、少し意外でした」
「ご縁がありまして……」
ルーカスはわずかに笑った。
「実は私もです。ヴィオラ様がアーネスト様にご紹介くださったのです」
その名に、私はほんの一瞬だけ視線を揺らした。
「……そうでしたのね」
そこで、抱えていた籠の上に載せていた小さな包みに手を伸ばした。
「本日はお招きいただきましたので、ささやかですが……」
包みを差し出すと、ルーカスは少し意外そうに目を瞬かせた。
「これは?」
「領地で作っている干し林檎です。あと、こちらは塩をまぶしたものを少しだけ」
そう言って、もうひとつの小包も添える。
「塩干し林檎、ですか」
「はい。甘いものとは少し違って、口直しや軽い酒の肴にも向くように思いまして」
ルーカスは興味を引かれたように、包みを見下ろした。
「面白いですね。前に伺った干し林檎に、そんな広げ方もあるとは」
「まだ試している段階ですが」
「試している段階で、すでに人に渡せる形になっているのがすごい」
私は小さく瞬いた。
ルーカスは包みを受け取りながら、穏やかに続ける。
「以前の夜会でも思いましたが、あなたは話を聞くだけで終わらない方なのですね」
頬の奥が、わずかに熱を帯びた。
褒め言葉なのだろう。
けれど、まっすぐ言われると少しだけ落ち着かない。
「……ありがとうございます」
「あとでぜひ味見させていただきます」
ルーカスはそう言って笑い、それから広間の奥へちらりと視線を向けた。
「今夜は人が多いでしょう。よければ、先に何人かご紹介しましょうか」
「ぜひ、お願いいたします」
「では、まずはあちらへ」
そうしてルーカスが歩き出しかけた、そのときだった。
「エリナ嬢」
聞き慣れた低い声に、私ははっと顔を上げた。
振り向くと、アーネストがこちらへ歩み寄ってくるところだった。
「グラーフ伯爵……」
胸が、ぎゅっと締めつけられる。
「無事に着いたようでよかった」
そう言ってから、アーネストの視線が私の姿に止まった。
「……よく似合っているな。そのドレス」
喉の奥が、急にうまく動かなくなった。
「あ、ありがとうございます……」
辛うじて出た声は、震えていた。
実務者会では、そんなことを言われたことがない。
落ち着かない鼓動を抑えるように、私はそっと指先を握った。
「ちょうどエリナ嬢に、何人かご紹介しようとしていたところです」
ルーカスがそう言うと、アーネストは短く頷いた。
「そうか。なら、私も顔を出しておこう」
私はアーネストの方を見る。
アーネストは自然な口調のまま続けた。
「今夜は初顔も多い。私からも一言添えた方が、話しやすい相手がいるだろう」
ルーカスは一瞬だけ目を細めたが、すぐに穏やかに頷いた。
「もちろんです。では、ご一緒に」
三人で歩き出す。
ルーカスの案内に従っているだけのはずなのに、足元が少し落ち着かなかった。
少し後ろにいるアーネストの気配。
――離れなければいけない。
そう思ったはずなのに、声をかけられただけで、心は簡単に揺れてしまう。
悟られないよう、私は前だけを見た。
ルーカスに案内された先では、若い当主候補たちが小さな輪を作っていた。
近づくにつれ、交わされている話が耳に入る。
「結局のところ、小領地は人手が足りんのだ」
「賃を上げれば済む話でもない。集めても長続きせん」
誰かがそう言って肩をすくめる。
ルーカスが穏やかに声をかけた。
「お話し中、失礼いたします。リュークハルト家のエリナ嬢です」
何人かがこちらを向き、軽く会釈を返した。
私は裾をつまみ、控えめに礼をする。
「はじめまして」
「リュークハルト家……」
「たしか、干し林檎を扱っているところだったか」
そんな小さな声が混じる。
アーネストは私の少し後ろに立ったまま、特に口を挟まなかった。
「今、人手不足の話をしていたんです」
輪の一人が苦笑しながら言う。
「どこの領地も似たようなものですよ。人が足りない、残らない、育たないで」
「ああ、確かに……」
ルーカスが頷き、それから私へ目を向けた。
「エリナ嬢のところでも、加工の人手は工夫しておられましたよね」
不意に水を向けられ、私は少し目を見開いた。
けれど、すぐに気持ちを切り替える。
「そうですね……」
一度、輪の顔ぶれを見渡してから口を開いた。
「人手不足より、誰に何を任せるかを見直すのはどうでしょうか」
一瞬、輪の空気が止まった。
「……どういう意味です?」
若い男が首を傾げる。
数人の視線が、静かに私へ向いた。
「私のところでは、干し林檎の作業を女性たちにお願いしております」
「女性に?」
「はい。洗浄や切り分け、仕分けなど、細かい手元の作業です」
私は頷いて続けた。
「その代わり、慣れた方には作業だけでなく、新しい人を見る役も担っていただいております」
「……なるほど」
別の一人が腕を組んだまま呟く。
「男手だけで考えるから、足りなく見えるのか」
「ええ。工程を分けて考えると、任せられるところは案外ございますから」
「たしかに、繁忙期だけでも女手を入れられる場面はありそうだ」
輪の中に、先ほどまでとは少し違う空気が流れた。
ルーカスが小さく笑う。
「さすがですね。実際に回している方の話は違う」
私はそちらへ目を向けた。
その言葉に重なるように、後ろから落ち着いた声がした。
「現場を見ていなければ、そこまでは出てこないだろう」
アーネストだった。
視線が一斉にそちらへ向く。
「リュークハルト家は規模の大きい領地ではないが、そのぶん人の動かし方をよく見ている。加工品を回しているのも、その延長だろう」
胸に、ふっと熱が灯った。
「面白いですね」
「……たしかに、その視点はなかった」
輪の一人が感心したように頷く。
「エリナ嬢でしたか。今度、そのあたりをもう少し詳しく伺いたい」
「私でよろしければ」
そう答えながらも、内心は少しだけ落ち着かなかった。
そのとき、輪の一人が笑った。
「いやあ、感心しました。そんなふうに領地を見ておられるなら、どこへ行っても重宝されそうだ」
感心したような笑みのまま、男は続けた。
「婚姻のお話など、もう決まっておいでなのですか?」
私は言葉に詰まった。




