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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
十章

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第6話

朝の食卓には、妙に重い空気が落ちていた。


父はいつも以上に口数が少なく、兄は苛立ったようにナイフを置く音を立てていた。

何があったのか知らない姉だけが、怪訝そうに二人を見比べていた。


「……何なの、朝から」


姉の声に、誰もすぐには答えなかった。


その沈黙の中で、私は口を開く。


「……お姉様」


「何かしら」


「今後の夜会は、私にも出席の機会をいただきたいのです」


「……は?」


兄が顔を上げ、姉は目を瞬かせる。


「どういうこと?」


私は手元のナプキンで口元を押さえ、静かに言った。


「お姉様は、すでにご婚約がお決まりでしょう。けれど私は、まだそうではありません」


「それは……」


「私にも、出会いの場は必要です」


姉は信じられないものを見るように私を見て、それから小さく息を吐いた。


「何があったの? あなたがそんなことを言うなんて」


「自分の将来について、考えただけです」


「ねぇ、夜会はそんなに簡単な場ではないのよ。慣れていないまま出れば、かえって恥をかくことにもなりかねないわ」


「だからこそ、今から慣れる必要があります」


私は顔を上げて、姉を見た。


「お姉様が嫁がれれば、家の外へ出せる娘は私だけになります」


「……私が、いなくなる前提で話しているの?」


「事実でしょう。お姉様には、すでに嫁ぎ先があります。私には、まだありません」


姉は何か言おうとして、口を閉ざした。


「それと、お姉様の夜会へのご出席は、今後は必要なものに絞った方がよろしいかと」


「……何ですって?」


姉の声がわずかに尖る。


「家の信用を保つためなら、必要な場を選ぶべきです。数をこなせばよい、というものではないはずです」


そこで私は、静かに兄へ視線を向けた。


「そうでしょう、お兄様」


兄の顔が引きつる。

けれど、短く息を吐いた。


「……必要な場に限る、という意味ならな」


「レオンまで、何を――」


「今の家に、これまで通りの付き合いを続ける余裕があるとでも?」


兄の声は苛立っていたが、否定はしなかった。


姉の唇が震える。


私はナプキンを膝に置き直した。


「お姉様を閉じ込めたいわけではありません。ただ、これまでと同じようにはいかないと、ご理解いただきたいのです」


父はなおも黙ったままだった。


姉はしばらく俯き、それから小さく言った。


「……随分、言うようになったのね」


「この家に必要なことですから」


再び沈黙が落ちる。


重たい空気の中で、私はそっと息を吐いた。


家族を完全に切り捨てるつもりはない。

けれど、支えるのなら、もう曖昧なままではいけない。


少しずつでも、変えていくしかなかった。



部屋に戻ると、手の中の封筒がやけに重く感じられた。


王都商会から届いた手紙には、前回納めた干し林檎の追加注文が記されていた。


規格外は王都の製菓へ回してもらえることになった。

規格を揃えた旅人向けの分も、三箱から八箱へ増えている。


「よかった……」


試しで終わらなかった。


居ても立っても居られず、私はその足で乾燥小屋へ向かった。


小屋をのぞくと、作業台の上では領民たちが黙々と手を動かしていた。


「エリナ様」


気づいた娘が顔を上げる。

最近入ってくれた娘だ。


私は頷き返しながら、小屋の奥へ進んだ。


「仕事には慣れた?」


「はい。だいぶ手が追いつくようになりました」


「この子は物覚えが早かったんです。もう一人で任せても大丈夫なくらいで」


答えたのは、今いちばん古くから入っている女だった。


彼女は新人たちの後ろを回り、包丁の入れ方や厚みを見ていた。


「手元はどう?」


「だいぶ揃ってきました」


そう言って、古参の女は作業台の端を示した。

そこには、木で作った小さな当て板が置かれている。


「切る前にこれへ当てるようにしたら、厚みのばらつきが減りました。切り落としは最初から別籠へ入れています」


籠の中には、端が欠けたものや形の崩れたものがまとめられていた。

規格外として回す分だ。


「無理に揃えようとして、削りすぎてはいない?」


「はい。そこはよく言ってあります。端を落としすぎると、かえって損になりますので」


そう言って、古参の女は一人の若い娘の手元をそっと示す。


「この子はだいぶ安定してきました。もう少し数をこなせば、二棟目のまとめ役もできます」


その娘が、照れたように肩をすくめる。


私は小さく笑ってから、棚の方へ目を向けた。


「仕分けの方は?」


別の女が、すぐに口を開いた。


「はい。大きさで一度分けて、それから厚みを見ております。形がある程度整ったものを小売向けに回すようにしたので、規格外はだいぶ減りました」


「ならよかった。分けたものが混ざってしまうことはない?」


「今は札を分けています。贈答向けは黒、小売向けは赤、規格外は白で。箱詰めの時も見間違えないようにしています」


「それなら大丈夫そうね。……念のため、出荷前にも二人で確認してくれる?」


古参の女が、少しだけ目を瞬いた。


「出荷前にも、ですか?」


「そうよ」


「札も分けておりますし、箱詰めの時にも見ています。そこまでしなくても……」


言いかけて、女は慌てたように口を閉ざした。


「いえ、申し訳ありません」


「謝らなくていいの。手間が増えるのは分かっているわ」


私は棚に並ぶ林檎へ目を向けた。


「でも、どれだけ気をつけていても、見落とすことはあるでしょう?」


女たちは黙った。


「王都へ出す以上、一箱の間違いで信用を落とすこともあるわ。だから、最後も一人で決めず、二人で見てほしいの」


古参の女は、少し考えてから頷いた。


「……分かりました。出荷前に、二人で札と中身を確認します」


「お願いね」


「はい」


私はその言葉に、静かに息を吐いた。


「……でもね、ちゃんと結果は出てるのよ。追加の注文が来たの」


「王都商会からですか?」


「ええ。小売向けが三箱から八箱。規格外も引き取ってもらえることになったわ」


小屋の中に、わっと空気が動いた。


「八箱も……!」


「王都で、また使ってもらえるんですか」


「じゃあ、しばらく仕事が続くんですね」


誰かが、ほっとしたように笑う。


「ええ。だからこそ、質を落とさないよう気をつけないとね」


「はい!」


返る声が、前よりずっと力強い。


私は棚に並ぶ林檎を見上げた。


あの人に、やってみろと言われた。

背を押されたのは、ほんの一言だったはずなのに。


それが今では、三棟の乾燥小屋を動かし、

王都から追加注文まで来るところまで育っている。


――嬉しいはずなのに。


胸の奥が、静かに痛んだ。


その時だった。


戸口の方が急に騒がしくなる。


「エリナ様、失礼します!」


屋敷の下働きの少年が、息を切らせて駆け込んできた。

額に汗をにじませ、何度も息を継いでいる。


「どうしたの」


「村外れで揉め事が――境の杭が動いたと言って、畑持ち同士が言い合いになっております!」


私は眉を寄せた。


「お父様は?」


「旦那様は今、帳場の者と話しておいでで……すぐには離れられないと」


「お兄様は?」


「ご不在です」


「……そう」


まただ、と思った。


こういう時、誰が行くのか。

最初から答えは決まっているようなものだった。


古参の女が、遠慮がちに口を開く。


「エリナ様……」


私は小さく息を吐いた。


「分かったわ。私が行きます」


「よろしいのですか」


「放っておいたら、余計に拗れるもの」


そう言ってから、私は棚へもう一度目をやった。


「ここは予定通り進めて。午後の手順確認は戻ってから見ます」


「はい」


返る声に頷き、私は小屋を出る。

外の空気は冷たかった。


商いが動き始めても。

家の形が少し変わり始めても。


領地の日々は待ってくれない。


私は足を止めず、そのまま村外れへ向かった。

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― 新着の感想 ―
兄は跡を継いで当主になった後、領内の揉め事の仲裁や交渉など、ちゃんとこなせるのかしら。 まさかいつまでもエリナに任せられるとか思ってないだろうな?
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