第6話
朝の食卓には、妙に重い空気が落ちていた。
父はいつも以上に口数が少なく、兄は苛立ったようにナイフを置く音を立てていた。
何があったのか知らない姉だけが、怪訝そうに二人を見比べていた。
「……何なの、朝から」
姉の声に、誰もすぐには答えなかった。
その沈黙の中で、私は口を開く。
「……お姉様」
「何かしら」
「今後の夜会は、私にも出席の機会をいただきたいのです」
「……は?」
兄が顔を上げ、姉は目を瞬かせる。
「どういうこと?」
私は手元のナプキンで口元を押さえ、静かに言った。
「お姉様は、すでにご婚約がお決まりでしょう。けれど私は、まだそうではありません」
「それは……」
「私にも、出会いの場は必要です」
姉は信じられないものを見るように私を見て、それから小さく息を吐いた。
「何があったの? あなたがそんなことを言うなんて」
「自分の将来について、考えただけです」
「ねぇ、夜会はそんなに簡単な場ではないのよ。慣れていないまま出れば、かえって恥をかくことにもなりかねないわ」
「だからこそ、今から慣れる必要があります」
私は顔を上げて、姉を見た。
「お姉様が嫁がれれば、家の外へ出せる娘は私だけになります」
「……私が、いなくなる前提で話しているの?」
「事実でしょう。お姉様には、すでに嫁ぎ先があります。私には、まだありません」
姉は何か言おうとして、口を閉ざした。
「それと、お姉様の夜会へのご出席は、今後は必要なものに絞った方がよろしいかと」
「……何ですって?」
姉の声がわずかに尖る。
「家の信用を保つためなら、必要な場を選ぶべきです。数をこなせばよい、というものではないはずです」
そこで私は、静かに兄へ視線を向けた。
「そうでしょう、お兄様」
兄の顔が引きつる。
けれど、短く息を吐いた。
「……必要な場に限る、という意味ならな」
「レオンまで、何を――」
「今の家に、これまで通りの付き合いを続ける余裕があるとでも?」
兄の声は苛立っていたが、否定はしなかった。
姉の唇が震える。
私はナプキンを膝に置き直した。
「お姉様を閉じ込めたいわけではありません。ただ、これまでと同じようにはいかないと、ご理解いただきたいのです」
父はなおも黙ったままだった。
姉はしばらく俯き、それから小さく言った。
「……随分、言うようになったのね」
「この家に必要なことですから」
再び沈黙が落ちる。
重たい空気の中で、私はそっと息を吐いた。
家族を完全に切り捨てるつもりはない。
けれど、支えるのなら、もう曖昧なままではいけない。
少しずつでも、変えていくしかなかった。
◆
部屋に戻ると、手の中の封筒がやけに重く感じられた。
王都商会から届いた手紙には、前回納めた干し林檎の追加注文が記されていた。
規格外は王都の製菓へ回してもらえることになった。
規格を揃えた旅人向けの分も、三箱から八箱へ増えている。
「よかった……」
試しで終わらなかった。
居ても立っても居られず、私はその足で乾燥小屋へ向かった。
小屋をのぞくと、作業台の上では領民たちが黙々と手を動かしていた。
「エリナ様」
気づいた娘が顔を上げる。
最近入ってくれた娘だ。
私は頷き返しながら、小屋の奥へ進んだ。
「仕事には慣れた?」
「はい。だいぶ手が追いつくようになりました」
「この子は物覚えが早かったんです。もう一人で任せても大丈夫なくらいで」
答えたのは、今いちばん古くから入っている女だった。
彼女は新人たちの後ろを回り、包丁の入れ方や厚みを見ていた。
「手元はどう?」
「だいぶ揃ってきました」
そう言って、古参の女は作業台の端を示した。
そこには、木で作った小さな当て板が置かれている。
「切る前にこれへ当てるようにしたら、厚みのばらつきが減りました。切り落としは最初から別籠へ入れています」
籠の中には、端が欠けたものや形の崩れたものがまとめられていた。
規格外として回す分だ。
「無理に揃えようとして、削りすぎてはいない?」
「はい。そこはよく言ってあります。端を落としすぎると、かえって損になりますので」
そう言って、古参の女は一人の若い娘の手元をそっと示す。
「この子はだいぶ安定してきました。もう少し数をこなせば、二棟目のまとめ役もできます」
その娘が、照れたように肩をすくめる。
私は小さく笑ってから、棚の方へ目を向けた。
「仕分けの方は?」
別の女が、すぐに口を開いた。
「はい。大きさで一度分けて、それから厚みを見ております。形がある程度整ったものを小売向けに回すようにしたので、規格外はだいぶ減りました」
「ならよかった。分けたものが混ざってしまうことはない?」
「今は札を分けています。贈答向けは黒、小売向けは赤、規格外は白で。箱詰めの時も見間違えないようにしています」
「それなら大丈夫そうね。……念のため、出荷前にも二人で確認してくれる?」
古参の女が、少しだけ目を瞬いた。
「出荷前にも、ですか?」
「そうよ」
「札も分けておりますし、箱詰めの時にも見ています。そこまでしなくても……」
言いかけて、女は慌てたように口を閉ざした。
「いえ、申し訳ありません」
「謝らなくていいの。手間が増えるのは分かっているわ」
私は棚に並ぶ林檎へ目を向けた。
「でも、どれだけ気をつけていても、見落とすことはあるでしょう?」
女たちは黙った。
「王都へ出す以上、一箱の間違いで信用を落とすこともあるわ。だから、最後も一人で決めず、二人で見てほしいの」
古参の女は、少し考えてから頷いた。
「……分かりました。出荷前に、二人で札と中身を確認します」
「お願いね」
「はい」
私はその言葉に、静かに息を吐いた。
「……でもね、ちゃんと結果は出てるのよ。追加の注文が来たの」
「王都商会からですか?」
「ええ。小売向けが三箱から八箱。規格外も引き取ってもらえることになったわ」
小屋の中に、わっと空気が動いた。
「八箱も……!」
「王都で、また使ってもらえるんですか」
「じゃあ、しばらく仕事が続くんですね」
誰かが、ほっとしたように笑う。
「ええ。だからこそ、質を落とさないよう気をつけないとね」
「はい!」
返る声が、前よりずっと力強い。
私は棚に並ぶ林檎を見上げた。
あの人に、やってみろと言われた。
背を押されたのは、ほんの一言だったはずなのに。
それが今では、三棟の乾燥小屋を動かし、
王都から追加注文まで来るところまで育っている。
――嬉しいはずなのに。
胸の奥が、静かに痛んだ。
その時だった。
戸口の方が急に騒がしくなる。
「エリナ様、失礼します!」
屋敷の下働きの少年が、息を切らせて駆け込んできた。
額に汗をにじませ、何度も息を継いでいる。
「どうしたの」
「村外れで揉め事が――境の杭が動いたと言って、畑持ち同士が言い合いになっております!」
私は眉を寄せた。
「お父様は?」
「旦那様は今、帳場の者と話しておいでで……すぐには離れられないと」
「お兄様は?」
「ご不在です」
「……そう」
まただ、と思った。
こういう時、誰が行くのか。
最初から答えは決まっているようなものだった。
古参の女が、遠慮がちに口を開く。
「エリナ様……」
私は小さく息を吐いた。
「分かったわ。私が行きます」
「よろしいのですか」
「放っておいたら、余計に拗れるもの」
そう言ってから、私は棚へもう一度目をやった。
「ここは予定通り進めて。午後の手順確認は戻ってから見ます」
「はい」
返る声に頷き、私は小屋を出る。
外の空気は冷たかった。
商いが動き始めても。
家の形が少し変わり始めても。
領地の日々は待ってくれない。
私は足を止めず、そのまま村外れへ向かった。




