第6話
「林檎の中に、酸味が強すぎるものがあって……それに塩をまぶしたらどうかと思って、試してみたんです」
机の上には、塩をまぶした干し林檎を小皿に分けて置いていた。
カイルはひとつ摘まみ、口に入れる。
「……悪くないですね。甘いだけのものより、こっちの方が手が伸びる客もいそうです」
「本当ですか?」
「ええ。酒場でも、こういうのを好む人はいると思いますよ」
「旅人は塩気のあるものもよく食べると聞いたので、小売向けにできないかと思って」
「無駄がなくていいですね……エリナ様、本当に令嬢ですか?」
苦笑しながら、私も塩干し林檎を口にする。
うん、悪くない。
けれど、これは逆に酸っぱい林檎でなければ成り立たない。
甘い林檎だと、塩の加減が難しい。
カイルは干し林檎を摘まんだまま、私の顔を見た。
「今日は、いつもより静かですね」
「え……?」
「顔が、表情が大人しいです」
言われて、私は思わず口をつぐんだ。
「……少し、考え事をしていて」
そう答えると、カイルは干し林檎をもうひとつ口に入れ、食べ終えてから言った。
「商売の話ですか」
「半分は」
「残り半分は?」
問い返されて、私は視線を落とした。
すぐには答えられなかった。
卓の上に置かれた干し林檎から、甘い香りと、かすかな塩の匂いが、静かな応接間に残っていた。
「……つらいことを、ずっと引きずらずにいるには、どうしたらいいのかなって」
カイルはすぐには答えなかった。
代わりにもうひとつ、塩気のある干し林檎を摘まんで噛む。
「忘れるのは無理でしょうね」
「……そうですか」
「ただ、手を動かしている間は、少し薄れるんじゃないですか」
たしかに、と思う。
何もしていないと、言葉ばかりが胸の中を巡る。
「でも……手を動かしていると、余計に思い出す時もあって……」
「そういうものですよ」
「そういうもの?」
「忘れたいからって、都合よく消えるわけじゃありません。だったら、抱えたまま進むしかないでしょう」
抱えたまま進む。
その言葉が、胸の奥に静かに落ちた。
仕事も、家のことも、あの人のことも――簡単に切り離せるものではない。
「……そうするしか、ないですよね」
しばらく黙ってから、私は顔を上げた。
「カイルさん」
「はい」
「私、結婚できると思いますか?」
「できるでしょう」
あまりにあっさり返されて、私は瞬きをした。
「……即答なんですね」
「迷うところですか?」
カイルは当然のように言った。
「家のことが見える。金の勘定もできる。働くことを嫌がらない。そういう相手を欲しがる男はいますよ」
「え……そういう話では」
「違うのですか?」
言葉に詰まる。
うまく聞けない。
知りたいのは、そんな表向きのことではないのに。
カイルは少しだけ肩をすくめた。
「誰にでも好かれるかは知りません。でも、ちゃんと一緒に暮らしていける相手かどうかなら、エリナ様は十分でしょう」
胸の奥が、少しだけ揺れた。
「……そう見えるんですか」
「少なくとも、俺はそう思います」
カイルは懐から革袋を取り出した。
卓の上に置かれたそれが、じゃらりと重い音を立てる。
「今回の分です。王都に回した分と、この前の追加分」
革袋を見つめたまま、指先が膝の上でこわばる。
「……こんなに?」
これだけあれば、次の仕込みに手が届く。
スパイス入りのジャムも試せるかもしれないし、瓶ももう少し見栄えのいいものにできる。
ああ、その前に、働いてくれた者たちにも臨時手当を――。
そんな計算が、自然と頭に浮かんでいた。
「……その顔だと、もう次に何をするか考えていますね」
はっとして顔を上げると、カイルは少しだけ口元をゆるめた。
「そういうところ、ちゃんと見ている人は見ていますよ」
「……そういうところ?」
「つらい時でも、次に何ができるかを考えているところです。そういう相手を好ましく思う人は、少なくないでしょう」
私はすぐには返せず、小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
「実際そうです。もう少し自信を持っていいと思いますよ」
◆
部屋へ戻ると、私は呼び鈴を鳴らし、廊下にいた使用人に執事を呼んでもらった。
ほどなくして現れたセバスが、一礼する。
「お呼びと伺いました。何か御用でございましょうか」
「家に届く夜会や茶会の招待状は、誰が管理しているの?」
「招待状でございますか。まずは私どもでお預かりし、差出人と日時を控えます。名指しのものはご本人へ。家としてご返答が必要なものは、ご当主様にお目通しいただいております」
「今、名指しでない招待状はある?」
「はい。いくつかは、まだご返答前にございます」
「では、その招待状はお父様が?」
「いえ。現在は、リディア様のお手元にございます」
「お姉様? お父様ではなく?」
「社交のお付き合いについては、まずリディア様にお目通しいただいております。そのうえで、最終的にはご当主様のご判断となります」
「そう……分かったわ。ありがとう」
セバスは一礼して退出した。
私は部屋を出て、姉のもとへ向かった。
廊下の先、姉の部屋の扉を軽く叩く。
「誰?」
「エリナです」
「……何?」
「少し、お話ししたいことがあって」
少し間があった。
「……入っていいわ」
中へ入ると、姉は長椅子に腰かけていた。
手元にあった封書を、小卓の端へ揃える。
その仕草が妙に早くて、私は思わずそこへ目をやった。
「何かしら」
姉の声は、いつもより少し低かった。
「招待状を見せていただけますか」
姉の眉がぴくりと動く。
「……招待状?」
「はい。私も夜会に参加したいので」
「……朝の話を聞いていなかったわけではないわ」
姉は封書の上に手を置いたまま、まっすぐこちらを見た。
「でも、だからといって、何でもあなたの好きに選んでいい話ではないでしょう」
「どうしてですか」
「社交には順番があるの。どの家から顔を出すか、誰と並ぶか、それで見え方は変わるわ」
――見え方。
以前、姉と一緒に参加した夜会のことを思い出す。
笑顔の裏で交わされる値踏み。
やわらかな声に包まれた、見えない棘。
たしかにあの場は、ただ立っていればいい場所ではなかった。
「出ること自体に反対しているんじゃないの。けれど、いきなり一人で好きに動かれては困るの」
「お姉様。私は、すでにグラーフ伯爵夫人のお名前をお借りして事業を広めました」
「それは知っているわ。だから何?」
「伯爵夫人が機会をくださいました。だからこそ、屋敷に籠るわけにはいかないのです」
「……だったら、なおさらよ」
「え?」
「グラーフ伯爵夫人のお名前を借りたのでしょう。なら、余計に雑な出方はできないわ」
私は一瞬、息を止めた。
お姉様の言うことは正しい。
「……それでも、行かなければなりません」
私はじっと姉を見据えた。
姉はしばらく黙って私を見返していた。
その目には苛立ちもあったが、それだけではなかった。
「……少し前まで、そんな目をしなかった」
私はすぐには答えられなかった。
姉は小さく息を吐く。
「見たいならどうぞ。でも、あなた一人に選ばせるつもりはないから」
「……分かりました」
姉は卓の上の封書を指先で分けた。
「二通だけよ。最初から大きな夜会へ出るのは無理だわ。けれど、このくらいなら――考えてもいい」
差し出された封書を見て、私は目を落とした。
「ありがとうございます」
「……今後、招待状を選ぶ時は私を通しなさい。勝手に選んで、勝手に返事を出すのはなしよ」
私は小さく頷いた。
「はい。お姉様」
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