第4話
干し林檎のジャムについて話していた時のことを、ふと思い返す。
「グラーフ伯爵、この度は馬車を手配してくださり、ありがとうございました」
そう告げると、アーネストは一度こちらを見て、
「気にするな」
とだけ短く返したのだった。
本当は、その前に面会を願う手紙を出していた。
だが返事はなく、忙しい方なのだろうと思って、そのままになっていた。
だからこそ、あの日あの部屋にアーネストが入ってきた時は、少し驚いた。
それに――
――相手次第だ。
その言葉だけが、何度も頭をよぎる。
でも、考えたところで答えが出るわけじゃない。
私は小さく息を吐いた。
「……まずは、こっちよね」
視線を落とした先には、仕分け途中の干し林檎が並んでいた。
乾燥小屋の中には、甘い果実の匂いがほのかに満ちている。
籠を見渡しながら、私は眉を寄せた。
「規格外の量はどのくらいになった?」
近くにいた領民の男が、手を止めて振り返る。
「三割ほどですな」
「……多いわね」
顎に手を当てる。
規格外の中から、見た目の悪くないものを小売用へ回しても、なおこれだけ残る。
だからといって、全部をジャムにするのはまだ危ない。
「まずは少量をジャムにして、残りは王都の商会に打診してみるわ」
男が少し首をかしげた。
「王都へ、ですか」
「ええ。菓子屋や料理屋で買い取ってもらえるか聞いてみるの」
ジャムの売れ行きを見てから、どこにどれだけ回すか決めればいい。
私は籠から目を離し、ゆっくり頷いた。
「始めるにしても、まずは煮炊きする場所が要るわね」
そう考えて、その日のうちに私は、あらかじめ目をつけていた川沿いの旧倉庫へ向かった。
屋敷から少し離れた場所にあるその倉庫は、もともと収穫物の一時保管に使っていたものだ。
壁は古いけれど、屋根はまだしっかりしている。
すぐ脇には水場があり、荷車も入りやすい。
私は周囲を見回した。
「ここなら水場があって、果実も運びやすいわね」
「ええ。火も外で見られますし、煮炊きするなら悪くありません」
先に声をかけていた領民の男が答える。
鍋を置く場所。
水を汲む動線。
火の番をする人の立ち位置。
事前に聞いていた条件と見比べながら、私は小さく頷いた。
「うん、やれそう」
近くで作業していた別の領民にも声をかける。
「ジャム作りに少し人手が欲しいのだけど、頼めるかしら」
男は驚いたように目を瞬いたが、すぐに頷いた。
「量が多すぎなければ、今日のうちでも」
「最初は試作だから、そこまで多くはしないわ」
「なら、やれますな。準備しましょう」
倉庫の外では、さっそく鍋と薪が運ばれ始めた。
規格外の干し林檎を刻み、果肉の具合を見ながら鍋に入れていく。
火の支度をしていた男が口を開く。
「果物によっては、香辛料を入れることもありますな」
「香辛料?」
「林檎なら、シナモンとか」
「ああ、いいわね。合いそう」
「酒場で出す煮林檎なんかにも使います」
「へえ……」
たしかに、香りがつけば華やかになるし、高級感も出るかもしれない。
でも――。
「それって高い?」
領民は苦笑した。
「安くはないですな」
「砂糖と同じくらい?」
「いや、もっと高いです」
その返答に、私は思わず黙り込んだ。
砂糖だけでも決して安くはない。
そこへさらに香辛料まで加えるとなれば、最初から抱えるには重すぎる。
「……まずは普通のジャムね」
私ははっきりと言った。
「売れるか見てから、香辛料は考えましょう」
「それがよろしいかと」
「試作しますか」
「ええ。少量でいいから」
領民たちが動き出す。
鍋に火が入り、ぱちぱちと乾いた音が立つ。
私は並べられた道具を見渡した。
砂糖。
薪。
人手。
瓶や、包むための紙や紐。
考え始めると、どれも少しずつ金がかかる。
一つひとつは小さく見えても、重なれば無視できない。
しかも、グラーフ伯爵夫人は言っていた。
贈答に向くなら、見た目も整えた方がいい、と。
「……瓶も、もう少し見栄えのするものがいいよね……」
ぽつりと漏らすと、近くの領民が顔を上げた。
「見栄えはよくなるでしょうが、金はかかりますな」
「うん……」
貴族への贈り物は、見栄えのする器に入れて渡すものだと伯爵夫人は言っていた。
けれど、領内にあるのは保存用の簡素な瓶がほとんどで、贈答向きのものを数まで揃える余裕はない。
私は瓶の口元を見つめた。
「布をかけるのはどうかな」
「布、ですか」
「口のところに小さくかぶせて、紐で留めるの」
男は少し考えてから、首を横に振った。
「数をやるには手間がかかりますな。布代もありますし、汚れたら替えも要る」
「……やっぱりそうよね」
「贈り物用に少しだけならありですが、最初から全部にやるのは重いかと」
私は腕を組んだ。
そうだった。
布も高い。刺繍入りなど論外だ。
かといって、専用に織らせる余裕もない。
でも、全部に要るわけではない。
「……瓶を新しく揃えるよりは、まだ現実的よね」
ふと、伯爵夫人が呼んでくれた仕立て屋を思い出した。
あのとき、布を選ぶために、机の上にはたくさんの端切れが並べられていた。
ドレスには使えない小さな布。
色も柄もばらばらだったけれど――
「……瓶にかけるくらいなら」
思わず呟く。
端切れなら、あるかもしれない。
贈答用の少数だけなら、それでも十分だ。
「一度、聞いてみよう」
そう言って倉庫を後にした。
屋敷へ戻ると、すぐに机に向かう。
ペンを取り、紙を広げた。
――仕立て屋への手紙。
瓶にかける布として使える端切れがあれば、少し分けてもらえないか。
小さなものでも構わないこと。
色や柄は揃っていなくても大丈夫なこと。
「……これなら……」
封筒の宛名を、指先でなぞる。
結婚には――婚礼用の衣装も仕立てるのよね。
指先が、わずかに止まる。
私は静かに封を閉じた。




