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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
八章

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第1話

グラーフ伯爵家の屋敷へ向かう馬車の中は、妙に静かだった。


向かいに座る姉は、いつもより口数が少ない。


私は膝の上で手を重ねた。

仕立てたばかりのドレスの感触が、まだ少し落ち着かない。


窓の外に、石造りの門が見えてくる。

グラーフ伯爵家の紋章を掲げた大きな門扉がゆっくりと開き、馬車は敷地の中へ入っていった。


「そんなに強張らないの」


姉がようやく口を開いた。


「強張って見えますか?」


「見えるわ。背筋が棒みたい」


「……そうですか」


伯爵夫人のご厚意で開いてもらった茶会だ。

失敗はできない。


「今日は伯爵夫人の茶会よ」


姉はちらりと私を見る。


「あなたは、聞かれたことに答えればいいの」


「はい……わかりました」


「それでいいの」


馬車はゆっくりと止まり、御者の声が聞こえた。


「グラーフ伯爵家に到着いたしました」



侍女に案内され、私たちは屋敷の奥へ通された。


長い廊下を抜け、開かれた扉の先は控室だった。

茶会の前に客を待たせるための小さなサロンらしい。


大きな窓から庭園が見え、壁には淡い花葉模様の織物壁掛けが掛けられている。

いくつかのソファと丸テーブルが置かれ、すでに数人の夫人が静かに談笑していた。


私は持参した手土産の包みを二つ、案内してくれた侍女へそっと預ける。


「恐れ入りますが、グラーフ伯爵夫人へお渡しいただけますか」


「かしこまりました」


侍女が包みを受け取って下がると、姉が小さく眉を寄せた。


「……二つ?」


「はい」


「なにを持ってきたの」


「紅茶と、干し林檎とチーズを和えたものです」


姉が一瞬だけ目を丸くした。


「……変わった取り合わせね」


「甘いものだけではない方がいいかと思って」


そう答えながら、胸の奥が少しだけ落ち着かない。


伯爵夫人へ、とは言ったけれど。

あの人も……受け取ってくれるだろうか。


そう思った時だった。


「まあ」


聞き覚えのある声がした。


思わずそちらへ視線を向ける。


窓際のソファに座っていたのは、ヴィオラだった。

藤色のドレスを優雅に整え、その隣には年配の夫人が座っている。


姉が一歩進み、礼をした。


「ごきげんよう、ヴィオラ様」


ヴィオラはゆっくりと立ち上がった。


「リディア様。ごきげんよう」


それから、私を見る。

ほんの一瞬だけ目を細めた。


「……まあ。エリナ様もいらしていたのですね」


私は慌てて礼をする。


「ごきげんよう」


「グラーフ伯爵夫人の茶会にいらっしゃるとは、少し驚きましたわ」


「……伯爵夫人が、お声をかけてくださいましたので……」


「伯爵夫人が?」


ヴィオラの視線が私をなぞる。


「それは少し意外ですわ。今日は、どのようなご縁でいらしたの?」


その瞬間、姉がすっと一歩前へ出た。


「奥様が、妹の領地の干し林檎をお気に召してくださって」


私は思わず姉を見る。


姉は穏やかな笑みのまま続けた。


「今日はそのご縁で、お招きいただきましたの」


姉がそう言うと、隣に座っていた年配の夫人が、ゆっくりと私を見た。


「まあ。ヴィオラ、この方は?」


ヴィオラは小さく肩をすくめる。


「実務者会でお見かけした方ですわ」


それから、少しだけ口元を緩めた。


「領地の干し林檎を扱っていらっしゃるの」


クラウゼン夫人は少し驚いたように目を瞬かせた。


「そうなの」


視線がもう一度、私に向く。


「最近はいろいろなことをなさる令嬢がいらっしゃるのね」


姉は柔らかく微笑んだ。


「まだ小さな試みですけれど」


それから、私を軽く振り返る。


「妹が領地で工夫しているだけなのです」


私は頭を下げた。


「まだ小さな試みですが、領地で作っているものです」


夫人はにこやかに微笑んだ。


「それは興味深いわ」


ヴィオラも穏やかに笑った。


「令嬢でいらして、ずいぶん働き者なのね」


どういう意味なのだろう……。


けれど考える前に、控室の扉が静かに開いた。


「皆様、お待たせいたしました」


明るい声が響く。


振り向くと、グラーフ伯爵夫人が立っていた。


淡い水色のドレスの裾を揺らしながら、ゆっくりと部屋へ入ってくる。


「いらしてくださって嬉しいわ」


それから、私を見つけると目を細めた。


「あら、エリナ様」


「ごきげんよう、奥様」


「お会いできて嬉しいわ」


そして控室を見回す。


「それでは、そろそろお茶の部屋へ参りましょうか」


控室を出ると、侍女たちが静かに先導した。


私たちは廊下を進み、やがて大きな扉の前で足を止める。


扉が開かれると、柔らかな光が広がった。


そこは茶会のための広間だった。


窓辺には白椿と常緑の枝が静かに活けられ、中央には白いクロスをかけた丸テーブルがいくつも置かれている。

その上にはすでに茶器が整えられ、銀のポットが静かに光っていた。


伯爵夫人が軽く手を広げる。


「どうぞ、皆様」


夫人たちはそれぞれ穏やかに席へ向かう。


私は姉の後ろについて歩きながら、どこに座ればよいのか分からず足を止めかけた。


すると伯爵夫人が席を見回し、ふっと笑った。


「あら、エリナ様。こちらへいらっしゃいな」


私は思わず目を瞬かせた。


伯爵夫人は自分の隣の席を軽く示す。


「ここへどうぞ」


「よ、よろしいのですか……?」


「もちろんよ」


伯爵夫人は楽しそうに微笑んだ。


「今日は少し、お話も伺いたいのですもの」


私は慌てて頭を下げる。


「ありがとうございます」


椅子に腰掛けながら、そっと周囲を見る。


向かいの席にヴィオラが座っていた。

その隣には、先ほどのクラウゼン夫人がいる。


ヴィオラは静かに微笑んでいる。

けれど、その目は私をまっすぐ見ていた。


伯爵夫人が穏やかに言う。


「それでは、始めましょう」


侍女がすっと前へ出る。


銀のポットが持ち上げられ、

香り高い紅茶が一人ずつカップへ注がれていった。

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― 新着の感想 ―
姉は割と年相応に頑張っているように見える。 自分と家の進退が掛かってるから優良物件に繋ぎを作れる機会には首を突っ込んでくるけれども、自分が行かせたような夜会と違って迂闊に失敗できないタイプの催しと判断…
兄はもうダメ男認定なんだけど、姉はどうなのかなあ。 疑心暗鬼になってしまうw
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