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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
七章

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第7話

三日後の午後、再びグラーフ伯爵夫人と仕立て屋が屋敷を訪れた。


今度は迷う間もなく自室へ通され、私は侍女に手伝われながら仮縫いのドレスに袖を通した。


淡い色の布が、するりと肩を滑り、

背中で軽く留められ、裾が整えられていく。


仕立て屋が腰のあたりをつまみ、待ち針を打つ。


「少し腕を上げてください」


「は、はい」


言われるまま腕を上げる。


今度は肩の線を整え、胸元をほんの少し引き、仕立て屋が一歩下がった。


「歩いてみてください」


おそるおそる数歩、前へ出る。


裾が重くまとわりつく感じはなく、ふわりと揺れた。


伯爵夫人が目を細める。


「そのまま一度、こちらを向いて」


私はゆっくり振り向いた。


鏡の前に立たされる。


そこに映った自分を見て、私は思わず息を呑んだ。


「わぁ……素敵……」


思わず声が漏れた。


伯爵夫人はそんな私を見て、満足そうに微笑む。


「ええ、よく似合っているわ」


私は鏡の中の自分を、もう一度そっと見た。


淡い色の布が肌を明るく見せて、背中から裾にかけての線まで、いつもの自分とは別人みたいだった。


「少し長さを詰めます」


仕立て屋が静かに裾へしゃがみ込み、また一つ待ち針を打つ。


伯爵夫人は腕を組んだまま言った。


「さて、ここからもっと良くなるわよ」


伯爵夫人はそのまま私を眺めていたが、ふと視線を足元へ落とした。


「……靴は仮にそれを合わせたのね」


「え」


つられて私も足元を見る。


侍女がひとまず合わせてくれた靴は、傷んでいるわけではない。

けれど、こうして見ると、このドレスには少し合っていなかった。


伯爵夫人は侍女の方へ顔を向ける。


「あとで手持ちを見せてちょうだい。その中で一番合うものを合わせましょう」


「かしこまりました」


私は思わず口をつぐんだ。


伯爵夫人は気にした様子もなく続ける。


「胸元はこれ以上いじらなくていいわね」


仕立て屋は頷く。


「はい。十分きれいに落ちています」


「袖は?」


仕立て屋は布を指先でつまんだ。


「少しだけ細くすると、よりすっきり見えるかと」


「ええ、それがいいわ」


すると、背後から声がした。


「袖口に細いレースを入れるくらいなら、重くならないと思います」


鏡越しに見れば、いつの間にか姉が部屋の入口に立っていた。


伯爵夫人が楽しそうに姉の方へ顔を向けた。


「あら、リディア嬢。ごきげんよう」


姉は優雅に一礼する。


「ごきげんよう、伯爵夫人」


それから私をちらりと見て言った。


「妹が失礼をしておりませんか」


「いいえ、全然。むしろ可愛らしいわ」


私はますます居たたまれなくなる。


姉はそんな私を見て、ふっと笑った。


「前のより、ずっといいわ」


伯爵夫人は満足そうに頷いた。


「でしょう?」


褒められているはずなのに、二人に挟まれるとなんだか逃げたくなった。


仕立て屋はそんなことには構わず、静かに裾へしゃがみ込む。


姉は続けた。


「裾も刺繍は控えめでよろしいかと。この形なら、あまり飾りすぎない方が品よく見えます」


「あら、いいわね」


伯爵夫人は楽しそうに頷いた。


「ええ、そうね。やっぱり、分かっている子がいると話が早いわ」


姉は優雅に肩をすくめる。


「恐れ入ります」


二人の会話はそのまま弾んでいく。


「色味はこのままで十分」

「飾りは足しすぎない」

「でも少しだけ光は欲しいわね」


私は鏡の前で立ったまま、ぼんやり二人を見ていた。


……なんだか、すごい。


二人が少し言葉を交わすたびに、ちゃんとした“ドレス”になっていく気がする。


でも同時に、頭の隅では別のことがちらついていた。


靴まで見られて、袖口にレース、裾に刺繍。


それ、全部お金がかかるのでは?


手に汗が滲む。


姉はまったく気にした様子もなく、伯爵夫人と話している。


伯爵夫人も楽しそうだ。


仕立て屋が帳面にさらさらと書き込みながら言う。


「では、袖口は細レース。裾は同色の控えめな刺繍で整えます」


「ええ。それでお願い」


私は思わず口を開きかけた。


「あの……」


伯爵夫人がこちらを見る。


「あら、どうしたの?」


「い、いえ……」


喉の奥で言葉が引っかかる。


でも、このまま黙っている方がもっと駄目な気がした。


私は意を決して、小さな声で言った。


「あの……お代は、どれくらいに……?」


部屋の空気が、一瞬だけ静かになる。


伯爵夫人がぱちぱちと瞬いた。


姉はその横で、ふっと口元を押さえた。


仕立て屋は少しだけ目を伏せ、それから淡々と答える。


「現時点でのお見積もりですと、ドレスで銀貨九十八枚ほどになります。靴や小物は別になります」


私は固まった。


頭の中で数字が弾ける。


た、高い。


いや、分かっていた。

分かっていたけれど。


私は鏡の前で立ったまま、口を閉じた。


伯爵夫人が「あら」と小さく声を漏らす。


「……思ったよりするのね」


姉はあっさり言った。


「それくらいはするでしょうね」


それくらいはする、で済む額ではない。


私は思わず視線を落とした。


伯爵夫人は少しだけ考えるように黙り込んだ。

それから、私を見てふっと笑う。


「まあ、支払いは茶会の後でいいわ」


私は思わず顔を上げた。


「え?」


「今は気にしなくていいという意味よ」


伯爵夫人は肩をすくめる。


「せっかくの茶会なのに、値段のことばかり考えていたらつまらないでしょう?」


私は言葉を失った。


伯爵夫人は続ける。


「それにその干し林檎、きっと評判になるわ」


「……」


「そうしたら、このドレスの代金くらい、すぐ取り返せるでしょう?」


姉が横で小さく笑う。


「なるほど」


伯爵夫人は軽く頷いた。


「だから今は、似合うかどうかだけ考えなさい」


仕立て屋は静かに帳面を閉じた。


「では、この形で仕上げます」


私は鏡の中の自分を見た。


さっきより、少しだけ背筋が伸びていた。


その時、姉がふと思い出したように口を開く。


「そういえば」


伯爵夫人が視線を向ける。


姉はさらりと言った。


「茶会の日ですが、私も同席してよろしいでしょうか」


私は思わず振り向いた。


伯爵夫人は一瞬だけ目を細め、それから楽しそうに笑う。


「もちろんよ」


「ありがとうございます」


姉はそれだけ言うと、美しく微笑んだ。

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― 新着の感想 ―
 靴もドレスに合わせて調整ですか。伯爵夫人、今回もはりきってますね。そしてリディアさんも伯爵夫人にアピールする機会を逃したくないのか、介入……まあリンゴの宣伝に協力してる以上、部外者ではないですが、ド…
姉出しゃばりますね、 もし有能なら今まで何してたの。 なにかお家の家計が好転するよう貢献してるのかな。
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