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【完結】都合のいい私を、辞めることにしました【番外編あり】  作者: 福嶋莉佳
六章

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第7話

アーネストが、こちらを見ていた。


目が合った瞬間、胸がどくんと鳴る。


アーネストはまっすぐこちらへ歩いてくると、私の前で足を止めた。


「少しいいか」


私は思わず頷いた。


アーネストは、私の向かいにいた男へ視線を向ける。


「少し借りる」


男は笑った。


「どうぞ」


アーネストは周囲を一度見回した。


「場所を変える」


「え?」


「話がある」


戸惑いながらも頷くと、アーネストはそのまま歩き出した。私は慌てて籠を抱え直し、その後を追う。


広間のざわめきが、少しずつ遠ざかっていった。


廊下の角を曲がったところで、アーネストが足を止めて振り返る。


「さっきの話」


「え……」


「旅人向けの店だ」


私は慌てて頷いた。


「悪くない。だが、一軒では足りない」


思わず目を瞬く。


「売るなら、最初から数を押さえろ」


アーネストは淡々と続ける。


「王都へ来る旅人は多い。酒場、宿屋、街道沿いの店」


指を三本立てた。


「最低でも三つは欲しい」


「三つ……」


年間五十箱。


三つの店なら、一店あたり月に一箱ほど。


……うん、できる。


いや、収穫が悪い年は厳しいかもしれない。でも、試すだけなら。


私は口元に手を当て、考え込んだ。


そのときだった。


「あと一つ」


顔を上げる。


「クラウゼン嬢だが、婚約していない」


胸が跳ねた。


「誤解されたままというのも、面倒だからな」


「……そ、そうなのですね……」


よかった……。


――いや、何を考えているの、私!?


頭の中が一気に熱くなる。それなのに、口が勝手に動いた。


「お似合いでしたから……つい……」


「そう見えたか」


アーネストは表情を変えない。


「なら、訂正しておく」


その言葉のあと、アーネストが一歩こちらへ近づいた。


思わず息を呑む。


まっすぐ私を見たまま、アーネストは言った。


「違う」


「っ……」


頬が熱くなり、思わず目を伏せる。


「……はい」


少しの間を置いて、アーネストが続けた。


「この辺りの街道沿いにな、個人で店をやっている連中がいる」


私は顔を上げる。


「興味があるなら、紹介してやってもいい」


「……! ぜひ……!」


慌てて頷いた。


「お願いします!」


「来い」


それだけ言うと、アーネストは歩き出した。


私は籠を抱え直し、慌ててその後を追う。


さっきまでより、少しだけ足取りが軽い気がした。


広間へ戻っていく二人を、少し離れた場所から見つめる視線があった。


ヴィオラだった。


けれど、私はそれに気づかなかった。



数日後。


アーネストに紹介してもらった店に、お試しで干し林檎を置かせてもらえることになった。


パン工房の夫人に「送料が高すぎて……」と相談したところ、


「半分持ちますよ」


と、あっさり言われてしまった。


しかも――。


「ついでに、うちでも追加で頼める?」


追加の発注まで入った。


「うーん……」


私は収支表を見ながら呟く。


「パン工房ばかりに偏るのもなぁ」


何かあったときのためにも、売り先は分散しておきたい。


指で数字をなぞる。


「ええと……」


領地の分を残して――。


「年間三十箱は回せるし……」


余白に数字を書き出していく。


「店によって売れ方に差が出たとしても……」


そこで、もう一度数字を見直した。


「……銀貨九十枚」


思わず手が止まる。


凄い……。


こうして書き出してみると、思っていた以上の金額だ。


「でも……」


私はもう一度、別の数字を書く。


残り五年。


銀貨九十枚を、五年。


「……四百五十枚」


小さく呟き、その下にあの契約の金額を書く。


必要額には、遠い。


「……全然足りない」


さっきまで少し明るくなっていた胸の奥が、すうっと冷えていく。


「これだけじゃ駄目……」


売り先を増やしても、足りない。


干し林檎がうまく回っても、足りない。


一つずつ積み上げても、あの金額には届かない。


ふと、アーネストの言葉を思い出した。


――婚約はしていない。


わざわざ言ってくれた。


あの一言を思い出すだけで、胸の奥がまた熱を帯びる。


「でも……」


アーネストも、いずれは誰かと結婚するんだ。


伯爵夫人になれるような、家柄も教養も美しさも備えた人と。


私は紙の上で指先を止めた。


そのとき――。


私は、どこにいるんだろう。


五年後も、まだこの家で返済に追われているのか。


それとも、どこか別の場所へ嫁いでいるのか。


あるいは――何も掴めないまま、全部を諦める日が来るのか。


分からない。


ただ一つ分かるのは、立ち止まっている時間なんてないということだけだった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます!

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― 新着の感想 ―
 干し林檎の宣伝先についてアドバイスすると共に、わざわざ婚約してないとエリナさんに告げるアーネストさんと、それを静かに不穏に見るヴィオラさん。流石に三角関係の勃発ですかね。  そしてパン屋の方からも…
婚約していない、とわざわざ教えてくれるんですね。わざわざ。 紹介よりそっちが主題?
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