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都合のいい私を、辞めることにしました  作者: 福嶋莉佳
六章

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第1話

廊下を案内されながら、さっきの令嬢の姿が頭をよぎる。


綺麗な人だった。


……同い年くらいだろうか。


伯爵のことを、よく知っているような口ぶりだった。


もしかして――


伯爵の、恋人……?


胸の奥が、少しだけざわつく。


私……何を考えているの。


思わず、持っていた鞄を抱きしめた。


「あ……」


そう言えば――


そうこうするうちに、廊下の奥で侍従が足を止めた。


「こちらでございます」


重い扉が開かれる。


執務室は、思っていたよりも飾り気がなかった。


広い木の机。

磨かれた濃い色の天板には、余計なものがほとんど置かれていない。


壁一面の書棚。

書類箱が、きちんと揃えて収められている。


窓から差し込む光の中で、一人の男が立ち上がった。


グラーフ伯爵。


私は、この人のことを何も知らない。


アーネストの視線がこちらへ向く。


「来たか」


久しぶりの声に、思わず背筋が伸びた。


「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」


一礼する。


「座れ」


机の向かいを示される。


椅子に腰を下ろすと、アーネストは椅子の背に軽く手を置いた。


「書状は読んだ。名義、取れたそうだな」


「はい……」


膝の上で指を揃える。


「グラーフ伯爵が後押ししてくださったおかげです……」


書類に目を落としたまま、アーネストは言った。


「取ったのはお前だ」


「でも……グラーフ伯爵がいなければ、何も進めることはできませんでした……」


アーネストは一瞬だけ黙った。


それ以上は言うなとでもいうように、視線を手元の書類へ落とす。


書類を一枚めくる。


「夫人の件は」


顔を上げないまま言う。


「発注は通ったか」


「……はい。ただ……」


「?」


「規格外が思いのほか多くて……」


言葉を選びながら続ける。


「……規格品は二ヶ月分。それとは別に、規格外も買い取っていただけました」


書類をめくるアーネストの手が、そこで止まった。

そして、顔を上げる。


「規格外も買い取ったのか」


「はい。ジャム用に、と」


アーネストは少しだけ頷いた。


「悪くない」


それから、書類を閉じる。


「だが、規格外が多いのは、いい状態じゃない」


「……はい」


「売れたのは運がよかっただけだ」


淡々と続ける。


「出さない工夫も考えろ」


目を伏せて、小さく頷く。


「……はい」


沈黙が落ちた。


アーネストはしばらく私を見ていた。

それから、椅子の背に手を置いたまま言う。


「落ち込むほどの話でもない」


私は顔を上げる。


「規格外が出るのは、どこでも同じだ。

問題は、その後どうするかだ」


机の上の書類を指で軽く叩く。


私は少しだけ息を整えた。


「……製造工程の見直しを考えています」


指を揃えたまま、言葉を選ぶ。


「これまでは嗜好品扱いでしたので、乾燥の最終確認が曖昧な部分がありました」


一度、言葉を切る。


「ですので、果物の切り方を統一して……ひっくり返すのも同じ時間に揃えるのと……」


ゆっくり続ける。


「それと、乾燥中の確認を……今は人の感覚に頼る部分が多いので……無作為に取って重さを量って……」


そこまで言って、視線が机の端へ落ちた。


アーネストが眉をわずかに寄せる。


「……どうした」


「え?」


「いつもより考え込んでいる」


「……そうでしょうか……」


「……廊下で誰かに会ったか」


私の指先がわずかに強張った。


その反応を見て、アーネストは短く言う。


「……クラウゼンか」


私は咄嗟に顔を上げた。


「……何か言われたか」


ぎゅっと、膝の上で手を握る。


どうして、気になるのだろう。


伯爵が誰と親しくしていようと、私には関係ないはずなのに。


……そもそも。


令嬢が、そんなことを尋ねるものではない。


胸の奥に残るざわめきを、私は小さく息を吐いて押し込めた。


「いえ……ご挨拶してくださっただけで……」


そう答えながら、膝の上の手をそっと緩める。


――伯爵はお忙しい方ですもの。


扉の前で聞いた言葉が、ふと頭をよぎった。


「……本日は、報告も済みましたので」


椅子から静かに立ち上がった。


「お忙しいところお時間をいただき、ありがとうございました」


深く一礼する。


「そろそろ失礼いたします」


「そうか」


アーネストは、椅子の背に手を置いたまま続ける。


「気をつけて帰れ」


私は再び一礼し、踵を返しかけて――はっと足を止めた。


「あ……」


小さく声が漏れる。


「申し訳ありません」


振り返り、鞄を開く。


「忘れておりました」


中から小さな包みを取り出した。


「王都で見かけまして……

珈琲豆です。もしよろしければ」


両手で差し出す。


アーネストは包みを見た。

それから、ゆっくり手を伸ばして受け取る。


「……珈琲か」


包みの重さを指先で確かめる。


「気を遣うな」


私は小さく首を振った。


「いえ……」


少しだけ笑みを浮かべる。


「いつもお世話になっておりますので」


もう一度、深く頭を下げる。


「それでは、失礼いたします」


今度こそ扉へ向かい、静かに部屋を出た。

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